第四十七話「ここでアクセル全開、インド人を右に! 」


「結論から言えば、結果としては悪くないと思います。その、虎子ちゃんは悪い子じゃないと思うんです。初心者のオタクを沼に沈めるのは義務と言ってもいいと思うんです。幸せそうな顔で沼に沈んで行って欲しいと思います。社会的には窒息寸前になるぐらいの」


 再度主張しておく。

 愛する高橋部長から、意見を求められたのだ。

 自分としての意見を明確にしなければならないと、私は思う。


「エマも反対じゃないと。まあしないとは思ってたけれど。いや、そうだね。エマのいう通りだね。初心者を優しくゆっくり沼に沈めていくのは、まあオタクたちの義務だからね。そりゃそうだよね」


 はあ、と高橋部長が眼鏡を外しながらに口にした。

 そもそも私はオタクであったが、無産のオタクであった。

 その状態から手取り足取り、高橋部長に漫画の描き方というもの。

 そして友達を得るということを教えてもらったのだ。

 もちろん、梶原君にも好意を抱いている。

 そんな私が、あの虎子ちゃんにお前だけは駄目だなんて言えるわけがない。

 反対できる権利なんて、最初からないように思えた。

 

「まあ――付き合ってみなければわかりませんが、今のところ良い子だと思いますよ? 梶原君の事が無ければ、それこそ最初からオタに興味のある新入部員なんて諸手を上げて歓迎してましたし」


 瀬川ちゃんが、今までの経過から見ての判断を下す。

 うん、彼女は悪い子じゃないと思うんだ。

 むしろ、社交性の無い私なんかよりも。

 よっぽど良い子のように思える。

 そう心中で自分を下げるが、そういうことを口にすると、自分が悲しくなるだけじゃなくて。

 そうやって「私の友達を貶めるな」と、高橋部長が怒るから口にしない。


「瀬川ちゃんもそう思う?」

「コミュ力完璧。絵画力についても申し分なし。性癖もある。まあ大丈夫なのでは? わけのわからんオタ活に興味も無い連中がどっと押し寄せるより、はるかに良い結果かと」


 瀬川ちゃんの冷静な判断。

 それに得心したのか、高橋部長ははあ、とため息を吐いた。


「私も部員としては申し分ないんだけどね。まあ、今更か。受け入れるって言ったことだしね」


 シャッフル。

 自分のカードスリーブに包まれたカードをシャッフルし、おまけにシャカパチしながら高橋部長が自分を納得させるように口にする。

 

「よし! 切り替えていこう!! 今日から六人で部活動だい! 天下取ったるぜ!」

「……張り切っていきましょう。オタクの天下が何処かわかりませんが」

「……多分、目指すは壁サークルか商業法人化?」


 首を捻りながらに高橋部長が答えた。

 私は、このエマはというとだ。

 もちろん梶原君が彼女に夢中になってしまうのも怖いが。

 それ以上に、高橋部長が新入部員の彼女に構って、私の分が取られるのが怖い。

 私に構ってもらえる余裕がなくなるのが怖い。

 そんな百合じみたことを考えつつも、口に出せないでいる。

 梶原君とのアオハルはもちろん欲しいが、高橋部長との時間だって私には何より大事だった。

 それを奪われるのは私にとって、クトゥルフ神話じみた恐怖にも等しいことだった。

 壁に何か、とんでもないものが忍び寄っているかのような。

 そんな恐怖を感じている。


「部活に来るまでの時間を二人きりにさせるなんて嫌だい、と子供の嫌がらせじみた感情で初音が一年生のクラスに迎えに行ったから。まあ、とりあえず虎子ちゃんにひとつ漫画を描き始めてもらおうかい!!」


 はしゃいだような高橋部長の言葉。

 まあ、彼女が私を見捨てることなんてないだろう。

 そんなことだけはないと信じていた。

 コクンと頷きながら、私は生徒会室から貰ったという追加の席一つを見る。

 橘虎子ちゃん用に用意された席だった。

 旧式ではあるが、梶原君に渡した以外にも中古の液晶タブレットが余っている。

 作業には事欠かないだろう。

 本当に一から教えてくれる、高橋部長という教導者にも。


「さてさて、初音と虎子ちゃん。変な争いしてないといいけどねえ。私のチンチンを奪うな。梶原君のチンチンを奪うなとか意味不明で卑猥な言葉を口にしてないといいんだけど」


 まるっきり親友の品性と人間性を信用していないことを口にしながら。

 高橋部長が『部長』という文字が書かれた陶器製の寿司湯呑みで、昆布茶を啜りながら。

 とにかくも三人が来るのを待っていると。


「ウオオオオオ! コナン・ザ・グレート!!」


 何やら蛮人の雄叫び――ついでに何故か蛮人の名前まで叫んでいる。

 間違いなく藤堂初音の声。

 それを廊下に響かせながらに、彼女はばーん、と部室の引き戸を開けた。


「虎子ちゃん、部活やめるってよ!」


 ここで、高橋部長が猛烈に昆布茶を噴き出した。

 今なんて言った?

 私は耳を疑って何か尋ねようとしたが、それより先に瀬川ちゃんが立ち上がった。


「お前何した。仮部活初日なのにやめるって、お前何した!?」


 ちょっとキレていた。

 藤堂ちゃんが何かやらかしたに違いないと瀬川ちゃんは考えたのだ。

 だが――多分違う。


「何もやってない! 話は本人から聞け! 今連れて来るから!!」


 リバーブロー。

 ナードの我らは人を傷つける力を持たぬ。

 だが、まあ力いっぱい肝臓を殴れば、瀬川ちゃんを自分の襟首から離す事ぐらいは藤堂ちゃんにもできた。


「やっぱり私のせい扱いされるから! 虎子! お虎! ちょっと来いや!!」

「いえ、うん。ちゃんと自分で説明するんですけどね。あと藤堂先輩、私別に部活辞めたいなんて一言も言ってませんからね。勝手にそういうことにしないでください」


 おっかなびっくり、少ししてから虎子ちゃんと梶原君が現れた。

 梶原君はちょっと憮然とした、何やら状況が気に食わぬ表情で。

 そして虎子ちゃんは滅茶苦茶に申し訳なさそうな表情で、部室に現れる。


「初音のせいじゃないのね」

「藤堂先輩に何か言われたとかじゃないです。辞めたいわけでもないです。ですが、家庭の事情と言いますか――」


 橘虎子ちゃん。

 如何にもギャルっぽい、改造制服のチャラチャラとした格好で彼女は語る。


「母が入部に強く反対しているんです。その、なんですか、仮入部の立場で申し訳ないんですが。出来れば助けて下せえ。情けない話ではあるんですが、先輩方の力無しでは母を説得することが出来そうになく……」


 虎子ちゃんは、何故か最後は代官様に年貢削減を頼み込む百姓のような口調で、憐れを請うた。

 私はと言えば目を丸くして、高橋部長と顔を見合わせるのだった。


「え、何が気に食わないの?」


 多分、虎子ちゃんの母親はオタクのはず。

 我々の同人誌を所持していたことから、間違いなくオタクのはず。

 そのオタクの娘が、現代文化研究会に入ること。

 これについて反対することは、私たちには本当に不可思議に思えたから。




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