第二十二話「お母様といっしょ」
やらかした。
この私は、高橋千尋はやらかした。
一言で言えばそれに尽きる。
「どうしたらいいのか。これ怒られるルートだよな」
顔を両手で覆う。
誰にも合わせる顔がない。
特に、梶原君のお母様には。
「あーもー」
何かの動物の鳴き声のように、「あーもう」という言葉を繰り返す。
私には責任があるのだ。
現代文化研究会の部長としての責任だ。
梶原君を即売会に連れて行った、監督者としての責任だ。
彼が起こした騒動の責任は、私に直結する。
いや、すべきなのだ。
「そりゃお母様も怒るよなあ」
大切にしていた息子が、露出度低いとはいえ急にコスプレをしていて、その写真を世界中に公開していたのだ。
それもSNSで大いにバズっている。
この男性が貴重な社会において、存在を知られると言うことは大いに問題がある。
何かトラブルが起きるかもしれない。
犯罪に巻き込まれるかもしれない。
梶原一郎という人物の個人情報が写真という媒体で公開され、SNSに流出すると言う今回の件で、彼が大いに注目されたのは間違いないだろう。
アレだ、いくら現代社会の民度が高かろうが、ストーカーなんてのが湧く可能性はどうしてもある。
未成年である梶原君の行動について、保護者であるお母様が世間で笑われたり責められたりする可能性もあるのだ。
梶原君にはどうもピンと来ていないようだったが。
私はといえば、現実を突きつけられると「やらかした」としか言えなかった。
「……」
頭を抱えている。
いや、そんな場合ではない。
梶原君のお母様は仰ったのだ。
私と今回の件で、直接話がしたいと。
梶原君は抜きで。
電話番号を教えたとたんに、その連絡があった。
「絶対これ、現代文化研究会を辞めさせて欲しいって話だよ」
私が母親ならどう思うだろう。
息子が身勝手をやらかしたのだ。
自分ならば、所属している部長のせいにはしないと思うが――世間のお母様方はそう考えまい。
どうにかしてトラブルの元を断ちたいと願う。
今回の場合はオタク趣味だ。
梶原君のオタク趣味をやめさせるように動く可能性があった。
「あー、もう」
何もかも、そこのところをよく考えなかった自分の判断ミスだ。
また鳴く。
鳴き声を上げて、呻く。
だが、仕方ない。
ともかく、あれだ、お母様の話を聞いてみよう。
喫茶店のドアを開く。
確か、一番奥の席だと伺っているが。
「あ、ここ。ここよ」
入ったとたんに声がかかった。
ぶんぶんと、手を振っている。
そんな元気のよい女性の姿が見てとれた。
いかにもビジネスウーマンといった感じの、カッチリしたスーツに身を包んでいる。
学生である私などには判断できないが、かなりお高いものだろう。
確か、梶原君に聞くところによれば五大商社の営業と聞いていた。
ガチガチのエリートである。
「失礼します」
丁寧に頭を下げて挨拶をする。
「どうぞ椅子に座って。何か頼む? ここのイチゴのショートケーキ、凄く美味しいのよ。もちろん奢るから」
「いただきます」
断ってはかえって失礼だろう。
私は頷いて、薦められたショートケーキとコーヒーを頼む。
「それでね、わざわざ来てもらったのは言うまでもないことなんだけど」
「はい」
どう考えても、私の監督者としての不始末についてである。
頭を下げるしかない。
出来る限り印象が良いように、ハキハキと答えて頭を下げようとして――
「今回は、ウチの一郎がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
先に頭を下げたのは、梶原君のお母様であった。
いやいや。
こちらこそ本当に――
「え?」
私は一瞬思考が停止する。
「ビックリしたでしょう。いきなり休みの日に私に呼びつけられて。こんな身勝手なオバサンを許して頂戴ね」
「いえいえいえ」
そりゃあビックリしたが、したのはその件ではない。
私が想像した展開と違う。
「あの、今回は監督者である私の責任を問うための話し合いでは?」
「え、何言ってるの? 話を聞く限り、高橋さんは何も悪くないでしょう? 勝手にウチのバカ息子がコスプレしてきたんでしょう?」
「ええ、まあ――その――」
「私は物事の道理を踏まえないほど、老いぼれちゃいないわよ? 見かけはモッサリしたおばさんかもしれないけどね」
そんなことはない。
梶原君とはあまり似ていないが、美人さんである。
私もこのような歳の取り方をしたいものだとさえ考えた。
「あのね、息子が身勝手な事をしたことについてヒステリーを起こした母親のように怒り狂ってるとかそんなことを考えたのかもしれないけれど、私はあの子の母親。そんなことしたら息子が一番悲しむって誰よりも知ってるのよ」
「はい」
そうだ。
梶原君のお母様を、そんな過保護じみた母親扱いするなんて失礼じゃないか。
私は勝手に、無礼な考えをしていた。
反省しつつ、会話を続ける。
「私がむしろ心配しているのは、これで高橋さん達と一郎の縁が遠くなることよ」
「私たちと梶原君がですか」
「そう」
お母様が、フォークで苺を刺している。
美味しいものは一番最初に食べるタイプらしい。
口に運び、紅茶で喉を潤してから――本当に心配そうに口にした。
「あのね、あの子は馬鹿だから何も考えずに今回の行動に出ちゃったけど。本人に聞く限り、そうすれば部長さんや部活の皆に喜んでもらえると思ってやっちゃったことなのよ。その身勝手を許して頂戴ね」
「いえ、その――写真撮影会だけはホント止めるべきでした。申し訳ありません」
何故許可してしまったのだろうか。
よくよく考えるべきであったな。
「いや、それも別にいいわよ。本人は楽しんでいたみたいだし……そうね、本当に楽しそうだったわ。あんなに楽しそうにしているのを見るのなんて、生まれて初めてかもしれない。写真撮影会だって、あの子が楽しめるなら別にやって良かったのよ。あの子のオタク行動について、もう止める気は更々ないわ。好きにしてよいのよ」
「そうなんですか?」
「そうなのよ。よっぽどオタク友達が欲しかったみたいね。あの子はどうも気が合わないって、他の男の子同士の関りでさえも拒否していた節があるし……」
そうなのか。
いや、そうなんだろうな、多分。
彼がぽつんとカードショップ専門店の前で、一人立っていた時のことを思いだす。
梶原君のことを考える。
おそらく私と出会うまで、彼には友達なんて一人もいないように思えた。
容姿こそ整えど、彼の性格はおそらくエマに近い。
少し卑屈で、自己評価が低いのだ。
「ねえ、高橋さん。貴方は一郎とこれからも仲良くしてくれる?」
お母様の問い。
私は、少しだけ梶原君のことを思った。
彼のことを思うと胸が熱くなる。
きっと。
いや、多分、これは恋だろう。
その自覚があるのだ。
だから、つい、心の声を漏らしてしまった。
「私は梶原君のことが好きですよ。安心してください。付き合い方を変えるつもりはありません」
ハッキリと口にしてしまう。
よりにもよって梶原君のお母様の前でだ。
私は少し恥ずかしくなった。
「あの子の事が好きなのね。それは性的な意味で? 付き合い方は変えても良いのよ?」
「え」
そして、ハッキリとお母様に告げられる。
これはおそらく――
「友人としてとか、同じオタクとしてとかはどうでもよいのよ。性的な意味で、女として男である一郎が好きかどうかを聞いているの。私は別にあの子が勝手にコスプレしてたとか、写真集を出そうとしてるとか、そんなことはどうでもよくて。ここまで楽しそうにしている理由について調べたかっただけなのよ。それが貴女だと私は考えて、ここにお呼びしたの」
「あの、えーと」
戸惑う。
そんなこと、まさか今日聞かれるとは思わなかったからだ。
それもお母様に。
だけど、今更嘘をつくわけにもいかないではないか。
「あの、その、将来恋人として付き合えたらなあ……と思っています」
こすりこすりと。
梶原君と掌合わせをした、その掌を擦り合わせる。
まるでお母様にゴマをするように。
「だよね。私の自慢の息子だもんね。一人くらいそういった子が現れてもいいわよね」
ふんす、と鼻息荒くしてお母様が頷いた。
ニコニコとしている。
私の告白を拒むのではなく、むしろ喜んでいるようだ。
「あのね、今日こうして呼んだのはね。一郎が高橋さんの事ばかり話すからなのよ」
「梶原君が!?」
「そう。今日は高橋部長とこんな話をした。明日は高橋部長と即売会に行くんだ、ちゃんとお役に立てるかな。高橋部長がって――最近は貴女の話題ばかりよ」
だから、こうしてと。
お母様が食事を促した。
慌てて、お母様の真似で苺を口に運び、コーヒーを口にする。
興奮で味などわからない。
自分の顔は真っ赤に染まっていることだろう。
「一郎の不始末を謝りたかったのは本当。でも、それ以上に一度お逢いしたかったのよ。うん、貴女ならしっかりしてそうだし、私も応援できそうだわ」
お母様がそうおっしゃる。
梶原君との関係を認めてくれている!
将来、私が恋人になってもよいと応援してくれている!!
「一郎のこと、本当によろしくね。あの子と趣味が合う人なんて、そうそういないと思うから」
お母様が、丁寧に頭をこちらに下げてくる。
「はい」
私も慌てて頭を下げて――右手でネクタイを掴んだ。
首を絞めるようにひっぱって、自分を押さえつける。
この男女比がイカれた世界で一番の難関といえる、相手の母親に認められると言う行為を全うした喜びで、どうにかなってしまいそうだったから。
明日から、どんな顔をして梶原君と話をしよう。
お母様に認められたからと言って、突然に恋人面できるわけじゃない。
私が梶原君に恋人として認められるためには。
そのためには、どんな艱難辛苦であろうと乗り越えよう。
私はそう決意して、引っ張ったネクタイを戻し、再びお母様に向き合った。
まずは、梶原君の懸念――今回の件で私たちに迷惑をかけたであろうという心配。
それを解きほぐしてやる必要があるだろう。
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