第3話 第一回体育祭実行委員会

「望月さん」


 帰りのホームルームが終わり、続々と生徒が席を立ち始めた頃。


「体育祭実行委員の集まり、一緒に行きませんか」


 男性の中では少し高めの、穏やかな声。

 話しかけてきたのはもう一人の実行委員である和泉いずみだった。

 目にかかりそうな少しクセのある黒髪と、フレームの細いオシャレなメガネが理知的な雰囲気を漂わせている。

 今日はこれから体育祭実行委員の集まりがあった。初回なので他クラス、他学年の実行委員とは初顔合わせとなる。

 

「うん」


 断る理由もないので頷いた。向かうのは三階の多目的室だ。

 席を立ち、和泉に並んで教室を出る。

 和泉は平均より少し高いくらいの身長で、特別高身長というわけではない。だが一五〇センチ台前半のハルと並ぶと、頭の高さも脚の長さもかなりの差があった。


「……すごい見られてる」


 二人とも口数が多い方ではない中で、先に口を開いたのは和泉だった。


「そう?」

「望月さん大人気だから」

「そんなことはないと思うけど」

「おぉ無自覚だ」

「和泉も女子にモテるって聞いたよ」

「誰情報ですかそれ……」


 謙遜ではなく、心の底からそう思っているような苦笑いだった。

 ちなみに情報源は例のごとく、充希みつき絵梨えりの二人だ。


「僕、中学生までめちゃくちゃ太ってたんですよ。高校デビューってやつで……痩せてようやく普通に接してもらえるようになりましたけど、モテるなんてとんでもない」

「そうなの?」

「はい」


 三階へ続く階段を上がりながら、ハルは和泉の顔を横目で見る。

 

「わたし、そのへんの感覚疎いからわかんないけど」


 無駄な肉のないシャープなフェイスラインは、最近まで太っていたようにはとても思えなかった。


「和泉の顔、わたしは綺麗だと思う」


 昨日見たテレビ番組の話でもするみたいに、足を止めずに口にする。

 今までほとんど話したこともなく、知っていることもあまり多くないが、少なくとも容姿だけを見るならば十分美男の部類に入るだろう。充希と絵梨もそう言っていたから、自分の勘違いでは恐らくないはずだ。


「あれ」


 階段を登りきったところで、隣に和泉がいないことに気づいた。

 後ろを振り返れば、階段の途中で立ち止まってる彼がいる。

 口元を手で抑え、頬はおろか耳たぶにいたるまで、これでもかと顔全体に朱が差していた。


「和泉?」

「あ、はいっ、すみません……!」


 充希と絵梨が見れば、和泉のその反応の意味を即座に理解しただろう。しかし残念ながら、ハルにその察し能力は皆無だった。

 慌てて階段を上がってきた和泉と並び、再び歩き出す。

 そのまま会話を交わすことなく、二人は多目的室に到着した。

 開け放されたドアから中に入ると、八割ほどの人数がすでに集まっていた。


──あ、先輩。


 後方の窓際、同じクラスの男子生徒と隣り合って座る翼の姿を見つける。


──隣……坂本蒼さかもとそう先輩、だっけ。


 中学の頃から仲がいいんだと、いつだか六人の写真を見せてもらったことがあった。その中に彼の顔があった気がする。

 翼がこちらに気づいて、その綺麗な顔を綻ばせた。ハルもそっと目礼で返す。


「おぉ一年か。空いてる席テキトーに座ってくれぃ」

「はい」

 

 ホワイトボードの前には、いかにも体育祭を仕切ってそうな雰囲気の快活な男女が立っていた。男子生徒が実行委員長、ペンを持っている女子生徒が書記だろうか。

 言われたとおりに、二人はホワイトボード正面の空席に座った。自由席だと正面前方が空きがちなのは、学校あるあるかもしれない。

 

「ねー今回のメンバーやばくない?!」


 二人が座った背面で、生徒たちの声が騒がしくなった。


「翼先輩と望月さんが同じ空間にいるって何事??」

「顔面良すぎて目潰れそう。てか顔ちっさ」

「その二人もそうだけど、蒼先輩と和泉くんいるのもなにげえぐい」

「体育祭実行委員とかめんどくさって思ってたけど、役得だったなコレ」

 

 席のあちこちで、同じクラスの実行委員の片割れと思い思いに喋る生徒たち。隣に聞こえる程度の声量でしかないので、その内容をはっきりと聞き取ることは出来ない。


「今日って何決めるんだろうね」


 残りの実行委員が来るのを待つ間、手持ち無沙汰になったハルもなんとはなしに口を開いた。

 しかし、隣の和泉から返事はない。


「和泉?」

「え、あ、はいっ」


 顔を覗き込むようにして名前を呼ぶと、ハッと我に返ったように慌てて和泉がこちらを見た。

 階段でのやり取りとまったく同じ。その顔は先ほどよりだいぶマシなものの、まだ少し赤らんでいた。


「どうかした? 体調でも悪い?」

「いえ、なんでも……」

「本当に?」

「本当に……!」


 ずい、と顔を近づけてくるハルに、必死で平気だと訴える和泉。


「ならいいんだけど」


 ハルが顔を離すと、和泉は安心したように小さく息を吐いた。


「なんか距離近くね? あの二人」


 その様子を、窓際の席で見ていた蒼が呟く。


「ハルはあれが通常運転というか、なんというか……」


 蒼の隣で翼が苦笑した。

 ホワイトボード正面の席に座る二人の様子は、後ろの席に座る生徒からはどの位置からでも自然と目に入る。実際、何人かは蒼と同じような反応をしていた。


「最近すごくモテるよね、ハルちゃん」

「え、蒼もやっぱり思いますか……?」


 恋人になったことで、自分がハルに向けられる視線に敏感になっていただけかと思っていた翼は、蒼の言葉に敏感に反応した。


「思う思う。俺の周りの男子にもハルちゃんのこと好きってやつ何人かいるし」

「え……」

「あ、やっぱり恋人としてはちょっと複雑?」


 翼の微妙な反応に、からかうような表情を浮かべる蒼。


「そんなこと──って、え?」


 途中まで言ったあと、翼は目をぱちぱちと瞬きさせた。


「なんで知ってるんですか?」


 ハルと恋人であることは、相談に乗ってくれていた茜しかまだ知らない。

 花火大会のメンバーにはいずれ伝えるつもりだが、まだしばらくは言わないでおく予定だった。茜もそのことについては了承してくれたし、ベラベラと吹聴するような人間ではないはずだが。


「いや見てればわかるって」


 蒼の答えはいたってシンプルだった。


「光樹たちはそのへん鈍感だし、気づかないかもしれないけど」


 頬杖をついて大人びた笑みを浮かべる蒼には、同い年とは思えないほどの恋愛上級者感が漂っている。


「茜が気づくようなことは、蒼にもお見通しってことですね」

「そそ」

「さすが双子……」


 そんなところまで似なくていいのにと思いながら、そう零す。


「で、どうなの? 恋人がモテモテってけっこう危機感覚える状況だと思うんだけど」


 話題が一周して、もとの話に戻ってくる。

 これは根掘り葉掘り聞かれるやつだと、翼は察した。


「……実行委員、まだ集まらないんでしょうか」

「話題逸らすの下手すぎない?」

「こういう話は慣れてなくて……」

「ま、そうだわな」


 翼が恋愛と縁遠い人間であったことは、花火大会のメンバーならもちろん知っている。蒼も当然、それはわかっていた。


「なんていって、引き下がる俺じゃないけど」

「えぇ」

「まぁでも、今の答え方で何となくわかったわ」

「う……」


 誤魔化し方がテキトーすぎたかもしれないと、翼は少し反省した。


「なんかちょっと安心した、俺」

「? 何にです?」

「翼がちゃんと恋愛してることに」


 他の生徒が聞いたら卒倒者が大量発生しそうなワード。しかしガヤガヤ騒がしい室内では、翼にしか聞こえていない。


「変なやつに好かれて苦労するたびに、恋愛なんて……みたいな顔してた頃より、モテモテの恋人にジェラシー感じてる今のほうが、よっぽど健全に見える」

「……大袈裟ですよ」

 

 やたら恋愛や恋人という言葉を強調する蒼に、翼は静かに言った。


「付き合ったとはいえ、以前とあまり関係は変わってないですし」

「そうなの?」

「はい」


 吸血もキスも、恋人らしいことはあの事件の日以降まったくしていない。

 二人きりのときも、そういう甘い雰囲気になる気配は今のところなかった。

 

「変えたくないの? 関係」

「そういうわけでは……」


 蒼の問いに曖昧な答えを返す。


「ただなんというか、今は一緒にいられるだけで十分幸せというか……付き合ってまだ日も浅いですし」


 もともと翼は性的な欲求が強い方ではない。

 ハルへの気持ちを友情か恋愛感情か、散々迷う程度には。

 恋人らしいことをしたくないというわけではないが、いま二人の間に絶対に必要なものであるかと言われれば──答えはノーだった。


「ただ、それはそれとして……自分より他の人のほうがハルと仲良くしてるのを見ると、少しモヤモヤはするというか……」

「なるほどね」

 

 そこまで言って、翼ははたと我に返った。いつの間にか自分の方からベラベラと話し込んでいることに気づく。

 茜の時もそうだ。坂本姉弟は人の話を聞くのが上手い。それが恋愛上手な理由のひとつかもしれないが。


「じゃあさ」


 今更取り繕っても仕方ないので、ここはひとつ、恋愛経験豊富な彼のアドバイスを貰っておくことにした。


「そんなことにいちいちモヤモヤしなくなるくらい、翼がハルちゃんとイチャイチャすればいいんじゃない?」


 特に考え込むこともせず、スラスラとそう口にする蒼。

 ぽかん、と翼は口を半開きにした。

 いちいち、モヤモヤ、イチャイチャ──それらで頭が埋め尽くされる。


「えっと、つまりどういうことです……?」

「そのままの意味だよ」


 まるで授業を受けているような気分になりながら、翼は蒼の考えを聞く。


「自分がハルちゃんの一番なんだって強く実感できれば、今感じてるモヤモヤはかなり軽減できるんじゃないかなって。正妻としての自信をつける、的な?」

「正妻って……」


 蒼のワードチョイスに少し引っかかりを覚えつつも、ひとつのアドバイスとしては存外、間違ってはいない気がした。


「……一理、ありそうな気はしなくもないですが」


 一緒にいるだけで十分幸せというのも、いま恋人らしい行為の必要性を感じていないのも本当だ。けれど、それは決して「したくない」という気持ちとイコールなわけではない。


「…………」


 ただ、もし仮にそれを実行すると決めたとして、問題はそこからだ。

 言葉で言うだけならそんなの、誰だってできる。


「そんな難しく考えないでいーんだよ」


 まるでこちらの心を見透かすように、軽い調子で蒼が言う。


「ただ眺めてモヤモヤしてるより悪くなることなんて早々ないから。翼がやりたいことをとりあえずやってみたら?」


 その余裕を感じさせる態度に、なんとなく蒼がモテる理由がわかるような気がした。


「ごめんなさーい! 遅れました!」


 そのとき、タイミングを見計らったかのように、残っていた最後の実行委員が頭を下げながら中へ入ってくる。


──やりたいこと、か。


 開始時刻に少し遅れて、第一回体育祭実行委員会が始まった。

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