第4章 すれ違い
第14話 放課後デート
住宅街と駅前商店街とに分かれる交差点に来た私たちはそこで手を振ってサヨナラを言った。小さくなっていくコノミの後ろ姿に手を振り続けた私は、見えなくなったところで自分の家のほうに身体を向ける。
――寂しいな……。
一人で通学路を歩くことがほとんどない私には、隣に誰もいないというこの状況がツラくてしょうがない。昨日は気づいたら家の前にいたので気にならなかったが、今日は途中までコノミと一緒だったせいで余分に寂しい気持ちが込み上げる。
「はぁ……」
自然と漏れるため息。
――よーちゃん、早く元気にならないかな?
私はぼんやりと交差点で立っていた。
春の柔らかな陽射しと冬の名残を感じさせる冷たい風。通りを彩るだろう街路樹は若葉をつけ始めている。道行く人々の姿もいつしか厚手のコートから薄手のジャケットに変わりつつあるようだ。
余計に寂しくなってしまって、いい加減に帰らないとと住宅街に続く道へと入ったときだった。
「結衣ちゃん」
意外な人物の声が聞こえてきて、私は幻聴だと思って無視を決める。典兎さんの声が聞こえるなんてありえない。
私が脇目も振らずに歩き続けると、肩をポンポンと叩かれた。
「結衣ちゃん、無視しないで」
聞き間違いではなかったようだ。立ち止まり、振り返れば細身の男性――典兎さんがいた。
「無視しようと思ったわけじゃないんですよ? こんな場所にいるわけがないって思ってたから、その」
「今日は非番だよってメッセージを入れていたから?」
「まあ、そんなところです」
本当はぼんやりしていたからなのだけど、それを言ったところでどうにもならなそうなので曖昧に頷いておいた。
「元気がなさそうだけど、どうかしたのかな。駅前商店街に行って、何か食べる? おごるよ」
「食べ物には釣られませんから」
私がそっけなく答えると、典兎さんは楽しそうに笑う。
「おや、じゃあ何なら釣られてくれる?」
――何なら……?
典兎さんの言葉に、思わず真剣に悩んでしまう。
――うーん、よーちゃんの誘いならなんでも乗るんだけど。
自分の行動の基準がよーちゃんにあることを再確認すると、私は典兎さんにしっかりと向き直る。
「残念ながら、今日は寄り道する気分じゃないんです。――なので、また家まで送ってくれません?」
「面白くないなー。せっかく二人っきりなのに――」
そこで典兎さんは話すのを止め、何かを思いついたらしく目を輝かせた。腕時計を見て時間を確認している。
「――今ならミロク、店にいるかもしれないな」
この通りを歩いて行くとスペクターズ・ガーデンの脇を抜けることになる。私の家もこの通りを行かなければ、かなり遠回りになってしまう。
「そうですねぇ……」
典兎さんの思惑がなんとなくわかり、つい顔をひきつらせてしまう。
「よし、わかった。家まで送ろう。始めっからそのつもりだったし」
「ふぇ?」
――それはどういう意味?
喋り方から感じられたのは、そのままの意味だった。寄り道しようと誘ったのが冗談だったということではなく、寄り道しようがしまいが家まで私を送るつもりだったのだと言っているように聞こえたのだ。
――でもなんかそれって、ボディガードみたいじゃない?
心配されるほどおてんばな女のコではないつもりだ。だから不思議な気分。
「――ところで、勿体無いなんて思わない? 独り占めするチャンスなのに」
家に向かって歩き出した典兎さんがさりげなく訊ねてくる。
「典兎さんって、実は自惚れ屋さんだったんですか?」
その言葉には乗せられまいと私は返す。歩くペースはいつもよりずっと遅い。
「ここは世辞で返すところじゃない?」
「からかわれることがわかっていて、無謀に突き進んだりはしませんよ」
がっかりした様子の声に、私はツンと返した。
――さすがに少しは学んだってこと。
「だけど、少しは興味を持っているんじゃない?」
すぐに何か言ってやらねばならない場面であったが、うまく言葉にならなくて黙る。
「自分で鈍感だって言っていたけど、こうあからさまにアピールされりゃ、満更でもないでしょ?」
どんな顔をしてそんな台詞を言っているのかと隣を盗み見ると、店で働いているときと同じ人畜無害な微笑みを浮かべていた。
「――肯定しておきますよ」
否定しても結果は変わらない。私は典兎さんの指摘に頷いておいた。
「でも、典兎さん、私のどこがいいんですか? からかう対象としてってだけでもないんでしょ?」
この際だから確認しておこうと思った。典兎さんが冗談ではなく私を好いているのなら、こちらとしてもきちんとした態度で接したい。うやむやなままはすっきりしなくて嫌だった。
「うーん、ここで訊かれてもなぁ」
典兎さんは否定しなかった。
「すっごく興味あるんですけど」
強調して促す。
顔を覗き込むと典兎さんは困ったような顔をしていた。
「あんまり期待しないでくれる?」
そう言われても、やめられるものでもない。
典兎さんは根負けしたようで、ため息をついた。
「どこと言われても、よくわからないんだよねー。自覚したのは一昨日だし」
「お……一昨日?」
私がびっくりしていると、典兎さんは続ける。
「結衣ちゃんが変な質問をするから、つい意識しちゃったじゃないか」
「私のせいにしないでくださいよ」
――はて、何を聞いたっけ?
「それまではミロクと結衣ちゃんがくっつけばいいのにって思っていたのにさぁ」
「へ?」
――そうだったの?
私は目をしばたたかせる。
「――ミロクがどんな女のコが好きかって聞いてきたときにはなんてことなかったんだ。これは面白い展開になるかなーなんて思ったくらいで」
そのやり取りには覚えがある。コノミが弥勒兄さんの好みのタイプを聞いてほしいと言ったので、典兎さんに探りを入れたあの日の話だ。
「――なのに、訊いたのはミロクが好きだからというわけじゃないときた。その振りのあとに僕のことを訊いてきたら、どきっとくらいするだろ?」
「……そ、それだけ?」
ついでに訊いてみた、それだけのことで好きになられても悲しい。
「――ううん、それはただのきっかけだよ」
「?」
典兎さんは私を見て、優しく微笑んだ。
「僕はずっと、君を見ていたんだ。自覚していなかったのは、君がミロクと仲良しだったからだ。幼なじみで付き合いの長い君たちの関係を見ていたら、僕はそこに入っていけないように思えたから。無意識に遠慮していたんだろうね」
――典兎さん、ずっとそんな気持ちで私たちを見ていたの? 気がつかなかったよ……。
「そ……そんなの関係ないよ」
「関係あるよ、結衣ちゃん。――ミロクから君を奪ったら、きっと彼は僕を恨む。それは僕もツラい。だからフェアでありたい――」
言って、典兎さんは苦笑する。
「――そんなつもりだったのに、つい二人っきりになるとチャンス到来とばかりにあれこれしたくなっちゃうんだよなー。ダメだね」
大げさに肩を竦めてみせると声を立てて笑う。
「あーあ。こりゃもう告白したのと同じだね。ミロクもせっついて、スタート位置をそろえるか」
スペクターズ・ガーデンの看板が見えてきた。店の名の入ったワンボックスカーが店先に停車している。
「――って、弥勒兄さんは関係ないじゃん。みんなして弥勒兄さんが私のことを好きみたいな言い方するけど、まだ本人がそうだと認めたわけじゃないんですからね!」
車の中で動いている大きな人影が目に入る。弥勒兄さんと蓮さんのどちらかが車内にいるのだろう。
「なんでそういう言い方するかなぁ。ミロクがなんで名前で呼んでほしいって言っているのか、まだわからないのかい?」
「そう言われても……」
本気でよくわからないのだ。何度問われようとも。
車に向いていた注意が自然と自分の足元に移動する。
――あれ? 影が……。
「だから、ミロクはね――ふがっ!」
「なんで、お前ら仲良く下校しているのかな?」
私たちが車の脇を通り過ぎると同時に降りてきた弥勒兄さんが、典兎さんの背後を捕らえていた。
「あ、ただいまー! 弥勒兄さん」
振り向いて、声を掛けてきた弥勒兄さんに笑顔を向ける。
弥勒兄さんはややひきつった笑顔で私を見ていた。典兎さんは弥勒兄さんの太い腕で口元を塞がれて苦しそうにバタバタもがいている。
――あれ? また続きを聞きそびれたんだけど。
「お帰り、結衣」
「くはっ!」
典兎さんは腕を払って自由を取り戻すと、ぜぇはぁと大きく息を吸って吐いた。
「み、ミロク……今のは殺意を感じたぞ」
「あぁ、本気だったからな」
「本気ってなぁ!」
カチンときたらしく、典兎さんはキッと弥勒兄さんをにらみ、大きなため息をつく。
「――ミロク、君もその気があるなら、回りくどいことしてないでストレートに攻めたらどうだ?」
「何のことだ?」
話の流れが掴めなかったらしく、弥勒兄さんは首をかしげる。
「僕は、君とはフェアな関係でいたいんだ」
「は?」
「だが、もう遠慮しないよ」
「――つーか、落ち着け、テント。そう強く絞めたつもりはなかったが、酸欠でどっかやられたか?」
「そうやってごまかしていないで、結衣ちゃんに――」
そこで大音量の着信音が鳴り響いた。
聞き慣れない着信音は私に掛かってきたものではない。
話の邪魔をされた典兎さん宛てでもないらしく、悔しそうな顔をして弥勒兄さんを見て、音源に視線を向ける。
すでに弥勒兄さんはスマートフォンを手に取っていた。
「……はい?」
話の途中だったにも関わらず、弥勒兄さんは平然と出た。ほとんど黙ったまま、神妙そうな顔つきで「えぇ」とか「はい」とか言っている。
――誰からだろう?
「――わかりました。今から行きます」
そう告げると、弥勒兄さんはポケットにスマートフォンを押し込み、車のキーを取り出した。
「……今の電話って――」
「わりぃな、テント。話の続きはあとでちゃんと聞いてやるから」
典兎さんが聞こうとした言葉を遮り、弥勒兄さんは車に向かう。表情がどこか暗い。
「仕事だろ? 僕も付き合うよ」
「いや、お前は結衣を家に送り届けてくれ」
運転席に乗り込むとすぐにエンジンをかける。急ぎの用事のようだ。
「だけど……」
「でないと、心配で集中できん。大体、お前は非番だろうが」
「そういう問題じゃないだろ? ミロク、君にも休養は必要なはずだ!」
典兎さんの指摘の通り、弥勒兄さんは顔色が悪く、明らかに疲れが出ていた。
――今朝より、体調が悪そうなんだけど……。
「馬鹿。俺はお前ほどヤワじゃねぇつーの」
そう答えて笑うと、弥勒兄さんは店の名が入ったワンボックスカーを出して行ってしまった。
「まったく! 無茶しやがって!」
心配げな表情で典兎さんが吐き捨てる。
「弥勒兄さん、なんか疲れていませんでした?」
「アイツ、ろくに寝ていないんだよ」
苛々した口調で私の問いに答える。
「寝てない?」
「ちょっとした野暮用で……まぁいいや。僕は結衣ちゃんを家に送り届けるという重要な任務があるわけだし」
「野暮用ってなんですか?」
私は訊ねる。
話題を変えたのは、きっと喋り過ぎたと典兎さんが感じたからだ。私に知られたくない何らかの事情がそこにある。
「必死に軌道修正したのに、あえてそこを訊く?」
「えぇ、典兎さんにしてはわざとらしすぎる流れの変え方でしたから」
「――知らなくてもいいことだよ」
表情を隠すように、典兎さんは顔を背けて呟いた。
「私を除け者にするんですか?」
口を尖らせて私はにらむ。
――なんだろう。このモヤモヤした感じは……。
「話したら、ミロクに怒られるし……」
「私に嫌われるのとどっちが良いんです?」
ついと前に出て、典兎さんの間近で見上げる。
――さぁ典兎さん、どうする?
「そ……それは確かに嫌だけど――君を巻き込むと、葉子ちゃんまで敵に回すことになるからなぁ……」
「よーちゃんが?」
それはよーちゃんが私を心配するという意味なのだろうか。
――ということは、よーちゃんは弥勒兄さんの野暮用が何なのか知っているってこと?
「そう。葉子ちゃんと約束しているからさ、どうしても話せない」
よーちゃんの名前が出た途端に私の態度が変わったからだろう。典兎さんはもう一度彼女の名を出し、説得に入る。
――う……私がよーちゃんに弱いことを知って使うなんて……。
典兎さんの戦略には卑怯だと感じたものの、ここはおとなしく引いておこうかどうしようかと迷う。
――だけど……。
漠然とした不安な気持ち。この胸のざわめきは、とても嫌な気配を持っている。
「――ねぇ、典兎さん?」
充分な間のあとに、私は問う。
「ん?」
「一つだけ、答えて下さい」
はぐらかされてしまうかもしれない。だけど、ここで訊かねばずっと訊けないままのような気がして、私は言う。
「――わかった」
典兎さんは真面目な顔をして頷く。
「仕事って言っていましたけど、それはフラワーショップのお仕事じゃないんでしょう?」
――この問いにはどう答える?
私はじっと典兎さんを見つめて答えを待つ。
「全く違うってことはないけどね」
「……そうですか」
質問は一つだけと決めてしまったので、いろいろ気になることはあったがそれ以上は問えない。だからこれで納得しよう。
私は頷いて笑顔を作る。
「帰りましょうか。ここに立っていたら、弥勒兄さんが心配するんですよね?」
「あ……あぁ、うん」
つられたように典兎さんは微笑んだが、どこかいつもより寂しげだった。
「ごめんね、結衣ちゃん」
「謝るくらいなら、話してしまえばいいのに」
私が言ってやると、典兎さんはくすっと笑った。
「その手には乗らないよ?」
「むぅ」
そんなやり取りをしながら歩き出す。
家の前に着くまで特に話はしなかった。
「そだ」
家の敷地に入る前に私は思い出し、スポーツバッグの中から紙袋を取り出す。典兎さんのために作ったキーホルダーだ。
「お礼ですよ。受け取ってください」
差し出した紙袋を典兎さんはすんなりと受け取ってくれた。
「これかい? メッセージに書いてあったのは」
開けても良いかと訊ねるジェスチャーをしたので、私はこくりと頷く。
リボンを解いて紙袋の口を開けると、典兎さんは中身を取り出した。
「前から思っていたけど、本当に器用だよね、結衣ちゃんは」
紙袋から出てきたのはウサギの形をしたぬいぐるみがついたキーホルダーだ。可愛らしいというよりも本物志向のデザインである。
「ぬいぐるみ作りは唯一の私の特技であり趣味ですからね」
「キーホルダーに加工する工夫もなかなか良いと思うよ」
言いながら、典兎さんは早速シンプルな家の鍵にキーホルダーを取り付け始めた。
――そういえば、弥勒兄さんは着けてくれたのかな?
「これでよしっと」
無事につけ終えたらしく、鍵からぶら下がるキーホルダーをこちらに見せてくれた。
「――何か、似合いませんね……」
前にあげたのはやたらファンシーなもので、つけるにはちょっと抵抗があるからと御蔵入り――いや、前向きに考えて――箱入り娘となっている。その反省を活かしたつもりだったのだが、今ひとつのようだ。
――すぐにつけてくれただけでも、悪くはなかったけど。
「そう? 僕は結構気に入ったけど?」
「うん。なら、良かった」
にっこりと笑む。そう言ってもらえたら嬉しいものだ。
「これも大事にするよ」
「これも……?」
私は首をかしげる。
「前にくれたやつも、部屋に飾ってあるからね。よく見える場所に」
「はわわわっ!」
それは本当なのだろうか。しかし、ウソでも嬉しい。前にあげたキーホルダーのことを覚えていてくれた事実がとにかく嬉しい。
「おや? 照れてる?」
「からかわないでくださいっ!」
――ううーん。ほっぺたが熱いよぉっ。
「――キーホルダーも渡せたことですし、もう家に入りますね。送ってくださってありがとうございました」
「……うん。そうだね。僕も帰るよ」
キーホルダーのついた家の鍵をポケットにしまって、少しだけ名残惜しそうに間を開けて典兎さんは言った。
「気をつけて帰ってくださいね」
「了解。――じゃあ、また」
典兎さんが手を振ったのを合図に、私たちは別々の方向に一歩を踏み出したのだった。
お風呂に入る前によーちゃんにメッセージを送ったが、明日の予習を終えてベッドに潜り込むまで返事はなかった。
――よーちゃん、まだ治らないのかな?
メッセージの返信さえままならない状態だというなら、まだまだ休むことになるのだろうか。
私は弥勒兄さんに電話をしてみようかと思ったが、下校途中に出会ったときの様子を思い出して留める。
――寝てたら悪いもんね。
よーちゃんが倒れている上に弥勒兄さんまで倒れるようなことになったら大変だ。休んでいるところを邪魔してはいけない。
私は小さな欠伸をするとすぐに眠りに落ちた。
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