第2章 恋愛トーク
第6話 週末デート
新学期が始まって、初めての週末。
私はよーちゃんと買い物に出掛けていた。駅前にできたばかりの手芸用品店を覗きに行ったのだ。
「――そういえば、よーちゃんって好きな人いないの?」
大通りに面したドーナツチェーン店でおやつを食べながら休憩していたとき、私はふと問う。弁当を食べながら恋愛トークをするコノミの影響か、最近の思考はそんなことばかりだ。
「あら、今までにない話題ね」
砂糖なしのカフェオレを飲むのをやめて、よーちゃんは淡々とした口調で言う。
「聞いたよー? 二組の大崎くんに告白されたんだって? 振っちゃうなんてもったいないじゃん」
二組の大崎くんは一年の頃同じクラスだった少年だ。明るくはきはきとしていて、サッカー部のエース。勉強もそれなりにできるし、ルックスも悪くない。たいていの女の子は即断るなんてしないんじゃないか――というのがコノミの評価だ。
「誰からそれを?」
長い前髪の間から見える瞳は丸くなっている。口調は変わらないが驚いているようだ。
「同じクラスのコノミちゃん」
どこから仕入れてくるのか、コノミはこの手の話に敏感で早い。その日の朝に起きたことでも昼休みまでには耳に入れているし、情報の範囲も広く学年問わずで把握しているようだった。
「ふうん……木倉コノミね……」
よーちゃんは口元をむっとした感じに結ぶとカップに口をつけた。
「あれ? 知ってるの?」
私は食べかけのドーナツを置く。よーちゃんの反応は意外なものだった。
「昔、ちょっとね……」
珍しく歯切れの悪い返事。どうもよーちゃんにはコノミとの良い想い出がないようだ。
――悪いコじゃないんだけどなぁ。
コノミのことを思い出したところではたと気づく。
――コノミはよーちゃんのこと、知ってるのかな?
弥勒兄さんに一目惚れしたとコノミは告げていた。ひょっとしたら、あの日の朝の話ではなく、もっと昔の話だったのかもしれない。
「――で、どうして振ったの? 他に好きな人がいるから?」
ドーナツに再びかぶりつきながら問う。挟まれた生クリームの甘味に幸せを感じた。
「彼には釣り合わないと思ったから」
回答はあっさりしていた。迷いが感じられなかったところから、本当にそう思っているのだろう。
「そう?」
――釣り合わないってことはないと思うんだけど。
指先についた生クリームをなめながら私は問う。
それに対し、よーちゃんは続ける。
「大崎くんにはもっとお似合いの人がいるよ。それに、彼に好意を持っている人はいっぱいいるもの。大崎くんに大して興味のなかった私が付き合うなんて、申し訳ないと思うの」
――結構真剣に考えているんだなぁ。ってか、恋愛話に疎そうだと思っていたのに、案外と知っているんだ。
納得した私は話を別の方向に引っ張ることにする。
「じゃあさ、よーちゃんの好みのタイプってどんな人?」
ドーナツの最後の一口を押し込む。口に詰め込むには少々大きかったようで、ついもごもごしてしまう。お行儀が悪いけれど許してほしい。
「そういう結衣はどうなの?」
「ふぇ? 私?」
まさかそのまま返されるとは思っていなかった。私はドーナツを詰まらせ、お砂糖たっぷりなカフェオレを流し込んだ。
「そ。結衣はどうなのよ? 私の話ばかりじゃ不公平」
よーちゃんは優雅にカフェオレをすする。私の心配をすぐにしなかったあたり、ちょっと不機嫌なようだ。
「私は……そうだなぁ」
考えたことがなかった。自分がどんな人が好きなのかなんて。
好みの俳優さんはいるけど、付き合いたいとかそういうんじゃない。あくまでも憧れだ。アニメやゲームのキャラクターに好意を抱いているのとあまり差がない。自分が隣で歩きながら談笑している姿なんてさっぱり思い浮かばなかった。
――いや、ちょっと待てよ。
そこまで考えてみて、衝撃的なことに気づく。
「――ヤバい」
「何が?」
よーちゃんは首をかしげてこちらを見つめている。
私は視線を残りわずかとなったカフェオレの水面に向ける。
「私、恋をしたことがないだけじゃなく、すっごく今、なんでよーちゃんが男のコじゃないんだろうって後悔し始めてた……」
「……ぶっ――あははははっ!」
よーちゃんは普段の様子から想像できないくらい思いっきり笑った。カップをテーブルに置いて、笑いを堪えようと必死になっている。こんなに笑うよーちゃんを見たのは初めてだ。
――って、そんなに笑わないでよぉっ!
急に恥ずかしくなってきて、身体が熱くなる。そのうえ、文句を言うにも言えない。
「ごめんごめん! まさかそんな台詞が出てくるとは思ってなくって」
よーちゃんはどうも自分の予想を越えたことが起こると、必要以上に感情が動くようだ。ということは、普段は常に先のことを予測することで、落ち着きを払っているのだろう。
――いや、感心している場合じゃないって。
私は口唇を尖らせる。
「やっはっはっ。面白いことを言うねえ」
笑いが落ち着いてきたようだ。よーちゃんは一度深呼吸をして、いつもの状態に戻った。
「だって、理想そのものなんだもん」
私は膨れたままよーちゃんを見つめた。
よーちゃんはまさに私の理想だ。大人っぽいし、勉強できるし、運動もできるし、落ち着いているし、優しいし、なにより、私のピンチには一番に駆けつけて心配してくれる。
そういう男性に会ったことはない。
「私のどこが良いの?」
よーちゃんは呆れたと言わんばかりの声で訊いてきた。
「ピンチのときには真っ先に駆けつけてくれるところ」
「そんなに助けたっけ?」
きょとんとされてしまった。あまり思い出せないらしい。
でも私はよーちゃんに助けてもらった思い出ばかりだ。なお、残念なことに私がよーちゃんを助けた記憶はない。
「うん! 私にとってよーちゃんはスーパーヒーローなんだよっ!」
「ふぅん……」
私が力説すると、呆れすぎて返す言葉がなくなったのか、よーちゃんは頷いてカップに残っていたカフェオレを飲み干した。
私はスマートフォンのディスプレイに目を向けて時間を確認する。店に入ってからそろそろ一時間が経とうとしていた。
「――だとしてもさ」
「ん?」
店を出るために残りのカフェオレを流し込んでいた私は、視線だけよーちゃんに向ける。
「これからも結衣のこと、真っ先に守れるかはわからないよ?」
「え……?」
そんな寂しいことを言わないでと続ける前に、よーちゃんは口を開いた。
「クラス、離ればなれになっちゃって、いつでも結衣のことを把握できるわけじゃないんだからさ」
よーちゃんは冗談を言うときのような笑顔を作った。
――だけど……。
私の胸に何かが引っかかる。
――よーちゃん、私に何か隠してる?
しかしその疑問を私は言葉にできなかった。
「さ、結衣。そろそろ出よっか」
「そうだね」
私の返事を聞いて、よーちゃんは荷物をまとめ始める。
――見た目はいつものよーちゃんだ。だけど最近、なんか違う……。
具体的にどう違うのかはわからない。そうでありながら、私はよーちゃんの異変を感じていた。
――クラスが離れちゃったせい? ううん、それだけじゃないような……。
もやもやとしたものが胸の奥に広がっていく。漠然とした不安感。一体何が原因なのだろう。
私は先を歩くよーちゃんの後ろについて店を出たのだった。
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