第3話 久しぶりのお迎え

 今朝はいつもと違って、よーちゃんが私の家に迎えにきた。こんなふうに迎えに来てくれたのは、小学生の頃に登校拒否になりかけたとき以来だ。

 『スペクターズ・ガーデン』の前を通る道沿いに私の家はあるので、彼女からすればわざわざ遠回りをすることになる。だから私たちは店の前で待ち合わせていたのだけど。

「結衣ー! 何やってるの? 遅刻するよ! 葉子ちゃんまで道連れにするつもり?」

 階段の下から由奈(ユナ)姉ちゃんの声がする。大学生になったばかりの姉は、まだ家にいたらしい。妹たちは二人とも小学校に行ってしまったし、父さんも母さんも仕事に出てしまったから、家に残っているのは私とお姉ちゃんだけのはずだ。

 階段の軋む音が近付いてきた。由奈姉ちゃんが上がってきたのだ。

「あ、由奈さん! そこまでしなくて良いですから!」

 よーちゃんの止める声がして、足音がやんだ。

「でも」

「私、先に行くことにしますから」

 よーちゃんの声には寂しさが滲(にじ)んでいるような感じがした。

「失礼しました」

 玄関のドアが開く音がして、そのあとガチャンと閉まった。

「結衣ー」

 私の部屋のドアがゆっくりと開く。明るい色の髪の女性、由奈姉ちゃんが心配そうな顔をして立っていた。ファンデーションまでつけているのに口紅を塗っていない。化粧の途中で応対をしてくれたようだ。

「あんた、どうしたの?」

 怒っているかと思っていたのに、姉ちゃんは本気で心配してくれているようだ。申し訳ない気持ちになる。

「なんでもないよ?」

 身支度を整えた私は、スポーツバッグを掴む。走って行けば、遅刻しないだろう。

「葉子ちゃんを追い返すなんて、今までなかったじゃない? 彼女と何かあった?」

「だから、なんでもないって。――遅刻するから、そこをどいてよ」

「昨日、帰ってくるなり部屋にこもっていたんでしょ? 母さん、心配していたよ? これとそれ、関係あるんじゃないの?」

 由奈姉ちゃんは鋭い。いや、誰だってこのくらいは思い付くか。

「由奈姉ちゃんには関係ないよ。――ってか、進級早々に遅刻したくないんだけど」

「そっ。わかった」

 姉ちゃんはドアの前を開ける。私は早足でそこを抜けた。

「――けどさ」

 すれ違いざまに由奈姉ちゃんは告げる。

「わたしでよけりゃ、話くらい聞くから」

 ちらっと振り向くと、優しげな笑みを浮かべる姉の姿があった。

 ――いつものお節介だよねえ。

 その言葉も気持ちもとてもありがたかったんだけど、素直じゃない私はその気持ちを伝える手段を持ち合わせていなかった。感謝の気持ちを告げることなく、ぷいと前を向く。

「いってきまーす!」

 階段を駆け下り、急いで玄関を出る。届くはずのない由奈姉ちゃんのため息が聞こえたような気がした。

 外に出た私の視界に人影は入らなかった。

 ――居るわけないよね。

 玄関の外でよーちゃんが待っているんじゃないかと淡い期待をしていたことを思い知る。通学路を一人で歩くのはどれくらい振りになるのだろう。

 感傷に浸っている時間は残念ながらなく、私は走り出した。

「結衣」

 フラワーショップの前を通ると、不意に声を掛けられた。

 私は遅刻を覚悟して立ち止まる。

 声がしたほうを向くと、スペクターズ・ガーデンのロゴが入ったワンボックスカーの運転席に弥勒兄さんがいた。

「てっきりお前ら一緒だと思ったのに、一人なのか?」

「う、うん……」

 弥勒兄さんはよーちゃんが私の家まで迎えに来たことを知っているようだ。

「その顔からすっと、ろくに話もしてねーんだろ?」

 ――う、図星だ。

 私は思わず俯く。

「ったく、しょうがねーなぁ」

 言って、弥勒兄さんは助手席の扉を開けた。

「送ってやるから乗れ」

 その言葉に私は顔を上げる。弥勒兄さんの優しげな顔が見えた。あんまり笑わない弥勒兄さんのそんな表情を見るのは久しぶりだ。

「いや、でも、仕事中じゃ……」

「いーから、乗れ! テントが文句を言いに来る前に乗っちまえって」

 私は躊躇(ちゅうちょ)したが、結局乗ることにした。車で送ってもらえるという誘惑に勝てなかったのだ。

 助手席に座ってシートベルトをつけるとワンボックスカーは発進する。

 どちらかというと乱暴な口調の弥勒兄さんだが、運転はとても丁寧だ。以前にも何度か乗ったことがあるのだが、そのときもなめらかな運転だった。ひょっとすると、弥勒兄さんはわざと乱暴な喋りかたをして、本心をごまかしているのかもしれない。

「いつまで黙っているつもりだ?」

「――ごめんなさい……」

 何故か出てきた言葉は感謝の単語ではなく謝罪の単語だった。

「いや、俺に謝られても……」

 思いがけない言葉だと感じたのは弥勒兄さんも同じだったようだ。困っているのがよくわかる。

「だって、心配かけているし」

 私はなんとか言葉を続けてごまかす。

「いつものことだろ?」

「そうだけど……」

 再び沈黙。

 そして中学に面した通りに着いた。弥勒兄さんは道の端にワンボックスカーを寄せると停車させる。

「――葉子を避けるようなことはしないでやってくれ。あいつが悩みに悩んで出した結論なんだ。俺は尊重してやりたい」

 エンジンを切るなり、弥勒兄さんは正面を向いたまま告げた。妹を思いやる気持ちがこもった声で。

「わかってるよ。――だけど、私、うまく飲み込めないから……」

 わかっているはずなのに、行動に移れないんだ、私。どうしようもないね。

「なんつーかさ、お前のそういうところ、わからんでもないんだ。俺にもあるし、似てるんじゃないかって思うこともある。だから、俺で良ければ、仲直りできるように手伝うが?」

 こちらを見た弥勒兄さんと目が合った。私は無理をして笑顔を作る。ぎこちないものになっちゃうだろうけど仕方がない。

「うん……。ありがとう、弥勒兄さん。でも、大丈夫。私、自分でなんとかするから」

 それだけを言って、私はドアを開ける。

「送ってくれてありがとうございました」

 弥勒兄さんは何か言おうとしていたみたいだったけど、その言葉を聞きたくなくてさっさと降りる。

 歩き出したところで、遅刻しないために駆けてゆく同じセーラー服の女の子が視界に入ってドキッとする。

 ――なんでだろう。よーちゃんじゃないってわかっているはずなのに、制服を見るだけで期待しちゃう。よーちゃんの迎えを自分から断っておきながら、どうしてそんな都合の良い展開を期待するんだろ。バカだなぁ、素直に一緒に登校すれば良かった。

 後悔していても仕方がない。休み時間にでも会いに行こう。クラスは遠いけど、会えないわけじゃないんだから。

 そう心に決めたとき、チャイムが鳴り出した。

「ま、まずいっ!」

 私は慌てて走る。次のチャイムが鳴ったら遅刻決定だ。

 一生懸命になって走りながら、ふと昨日から走ってばかりだなと思う。よーちゃんなら、こんなに走ったりはしないんだろうな――なんて無意識に想像している自分が嫌になる。胸の奥にもやもやとした暗いものが広がっていくのを感じていた。

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