並び立て。足を止めるな
戸惑いを残す彼女。返答を待つクラスメイト。
ただただそこに立ち尽くすことしかできない僕には、もう背後から迫ってくる向井を止めることはできない。
「待て」
振り返った委員長。彼の声が何を意味するのか。全員が、そして何より三輪さんが理解した。待ったを入れられた生徒は彼が何者なのかすら理解していないはずだ。隣に並び立たれた彼は困惑と疑念を抱かざるを得ない。
「僕からも琴音に話がある」
「……亮くん」
「ちょ、待ってよ僕が先に」
「僕もお前と同じ気持ちだ」
その言葉は周囲の野次馬たちを大いに盛り上がらせる。場はどんどんと熱くなっていき、誰にも止められない雰囲気を作り出してしまっていた。
「本当は、約束をしていたんだ。彼との約束を破るつもりは全くなかった。そういう気持ちで今日を挑んだのに、こんな形で僕の気持ちを伝えるなんて彼には顔向けできない。だけどここでお前が取られてしまうなら彼に恨まれようと僕は気にしない」
ハチマキを取った彼の表情は真剣そのもので、隣の生徒ですらその気持ちを理解してそれ以上彼を追求することは無い。
「琴音、僕も君の事が好きだ。それはもうこの学校に入るずっとずっと前から。お前が隣に越してきた時からだ。絶対に幸せにする。僕と付き合ってくれないか」
向井の声の先、三輪さんはこの言葉から逃れられない。僕は委員長の顔を見ることができずにその場で固まるしかなかった。何もすることのできなかった無力な僕に、地面を濡らす彼女を見ることはできないから。
「やっぱり、こうなるんだね」
絞り出すようにして口に出たのは、そんな神様を恨むような泣き言だけ。
上手くいくとも思っていなかった。だけど、こんなことになるとも思っていなかった。私はただ、自分の気持ちを確かめる時間が欲しかっただけなのに。
「二人とも顔を上げてくれませんか」
ゆっくりと顔を上げる二人。どちらも経緯がどうであれ心に秘めた気持ちに嘘偽りは無い。だからこそその気持ちは彼女の心を苦しめる。
周囲の野次馬たちは彼女の返答を聞くためにさっきまで盛り上がっていた賑やかさを一気に沈めて彼女の言葉に耳を傾けた。
「私は」
涙を流している彼女を見て初めて、野次馬たちは状況が違うと理解したがそれを理解したところでもう遅い。全部全部が遅いんだ。
「二人のどちらとも付き合うことはできないです」
手が下がる二人。涙を拭う委員長。どうしてこんなことになってしまったんだ。
「ごめんね、亮くん」
背を向けて走りだした彼女を追うことのできる人はいなかった。たとえ世界のどこを探してもそんな人は誰一人としていないだろう。
人だかりは自然と消えていき、中央に残された二人はどうすることもできないままそこにしばらく留まることしかできない。
先に動いたのは向井のほうだ。昼時になって教室に戻る生徒に紛れて校庭を歩き出す。途中、立ち止まっている僕に気がついて足を止めた。
「ああ、柳沢か。……見ていたか?」
「……うん」
「本当に申し訳ないな。これは全部僕が悪い。いくらでも僕のことを誹ってくれて構わない。これはただの僕の我儘だからな」
「いいや、そんなことはしないよ」
「そうか。それは少しだけ有り難いな」
彼は僕に一言お礼を言うとその足をまた校舎の方へと向ける。あんなに強そうだった背中は今だけはとても脆くて押したら壊れてしまいそうだった。
教室に戻る足取りは重く、入るやいなや噂はもちろん委員長のことで持ちきりだった。人志は一人席で何にも干渉しないといった様子で机で昼飯を食べている。
「天気は悪いな」
「え、あぁ。そうだね」
本当に、心の天気は大荒れだ。
なんだったんだ。本当に。僕は何をするのが正しかったんだよ。
「とりあえずご飯は食べとけよ。午後に倒れられても困る」
「分かってるよ」
根も葉もない噂は教室に流れては出て行く。そこに委員長の姿は無く、咎める者も正す者もいない。すべては憶測の一言で済まされる際限ない情報の嵐だ。
「委員長に何かあったんだろこの調子だと」
「そうだよ。全部終わり」
もう何も聞いて欲しくない。ただひたすらに頭が痛い。
「探しに行かないのか」
「探しに行ってどうするの」
「慰める」
「そんな大役、僕じゃ務まらないよ」
「まあそれもそうだけどな」
こんな会話しか続けられない。いつの間にか弁当の中身は全部無くなっていてその蓋を閉じればまた校庭へと向かわないと行けないと思うと自分の手におもりが付いたように重くなっているように感じた。
「探しに行かないのか?」
弁当を仕舞い終えた人志は教室を発つ準備が万端と言いたげに手には水筒を持っている。僕が弁当を仕舞わないなら先に行ってしまう勢いだ。
「行くよ。行く。だから待って」
弁当を仕舞って僕も席を引いて盛り上がっている教室なんか放っておいて先に外に出た。校庭の方は休憩時間だからか、さっきまでの盛り上がりを全て連れ去ってしまって閑散としている。
テントで話をしている体育教師を確認すると、まだ生徒が校庭に戻ってないこともあって離れた校舎の方へと向かう。
「この高校、地味に広いからな。どこから探したもんか分かったもんじゃないぞ」
「草の茂みになんて隠れないから場所は限られると思うけど」
特別棟辺りには生徒のせの字もないほどに人の気配がない。廊下を歩いて探してみてもいないのでテニス場と記念館の方の二手に分かれて探す。
テニス場はまだしも、記念館なんてまともに見たこともないので道が不自然に続いている場所を見つけて進んでいくとそんな場所に着くとは思ってもいなかった。
「……そんなところで何しているんですか」
委員長は静かに石段に座っていた。日陰になってちょうどよい場所のようで、こんな暑さなのに隣に座るとちょうどいいくらいに涼しい。彼女はここに来るとは思っていなかったみたいで、驚いた様子で僕の顔を見た。
「なんでここが分かったの?」
「それはたまたまだよ。それより、教室に戻って昼ごはん食べないの」
彼女は確か競技にも出ていたような。それなのに何も食べていなかったら熱中症にでもなったら大変だ。まあそれは建前で、本音を言うのであればあんな場面を見て素直に気遣いをかけるような言葉を掛けることができなかったからだ。
「私はもう亮くんに顔を見せれない。あんな曖昧な返事で有耶無耶にして、私は本当に最低だ」
彼女はまた思い出したように顔を覆う。こんな時に彼女を慰められるはずの人がいるべき場所にいるのがどうして僕なんだ。ふと顔を上げて彼を探してしまう。それはきっと彼女も同じはず。こんな時に慰めて欲しいのは彼だけなんだから。
「弁当、持ってくるよ」
僕はその場を離れるとテニス場の方に向かって人志を探す。
ちょうど奥側のテニスコートに向かおうとしているところを見つけたので大声で呼ぶと振り向いた。
「なるほどな。それで、俺に何をしろって?」
「僕は向井くんを探してくる。だから人志に頼みたいのは……」
「どうせ弁当を持ってこいってことだろ。いいか、人目を盗んで持ってくるなんて難しすぎる。ある程度人が減るまで持ってこれないのは覚悟しとけよ。あと、昼休憩終わった後の二個目の競技の審判だからな」
「分かってるよ」
人志と一緒に校舎の方まで走っていくと靴を履き替えて階段のところで別れる。
「それじゃあ頼んだ」
「分かったよ」
僕たちは反対の方向に向かって走り出した。
まだ間に合う。昼休みはまだ終わらない。やっと長い階段を登り切ってAクラスの教室の扉を開けた。
絶対に変な奴が現れたと思ったが、どうせこの三年しか関わらないんだ。どう思われたっていいや。教室を見回してもどこにも向井の姿が無い。僕は咄嗟に目の前にいた生徒に声を掛ける。
「向井くんはどこ!」
「え。……トイレ?」
「ありがと!」
僕は走ってトイレに入る。そこにはちょうど手を洗い終えた向井がいた。
「行くよ」
「はっ?」
「いいから!」
「おい、なんなんだよ」
僕は彼の返事を待たずしてその手を握るとそのまま廊下を飛び出して階段を降りた。こういう時ってテンプレは男女なんだけどね。その時の僕はきっとそんなこと考えてなかっただろうけど。
「もう一回委員長に会いに行くぞ。拒否権はない!」
僕はその手を離さないまま昇降口まで階段を降りて走った。
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