笑顔になるもんか
信頼を置く人物というのは人によってさまざまだけど、決してそれが多いということはたぶんない。
そして俺がその一人になっていることは何となく感じていた。
だからこそ、俺はそれを今すべて無に帰そうとしている気がする。八つ当たりに等しいその行為に自分ながら愚かさを覚えるが他に方法が思いつかない。俺はできることはやったつもりだ。
「最初から言っておけばこんな風に思うことも無かったな」
残された部室で一人、結局勇気を持てないまま時間だけが過ぎていく。
嘘を吐いたという事実だけが残って信用という担保すら俺には無くなってしまう。
あぁ、自分が本当に
「気持ち悪い」
文化部にとって文化祭とは最も校内で輝く瞬間だ。
たとえ小さな部活動だろうと、それだけは変わらない。
「つまりだ、それを言い訳にクラスのことをおろそかにして成果を示すって言うのはお門違いなんだと俺は思うんだよな」
僕のことを見ながら人志は呟いた。その手は今も教室の窓に黒いセロファンを貼り続けている。
「もしかして僕に言ってるの?」
「いいや。結局最後までクラスの手伝いをのらりくらりと躱しているやつにぼやいてるだけだ。気にする必要はないぞ」
「普通に気になるからやめてよ」
「それは自分に当てはまる何かがあるからなんじゃないか」
「……なら今日は人志の仕事を僕がやっておくから休みなよ。そんなに彩乃と一緒にいたいなら素直に言えばいいのに」
少し揶揄ったら、不機嫌になって無言で作業をするようになってしまった。
機嫌が直ったのは昼くらいになった頃で、今日は部活に行かなくてもいいのでそのまま教室で昼ご飯を食べる。
「そういえば、文化祭の日ってお前は誰と回るつもりなんだ。やっぱり夜川さんか?」
「まぁ多分そうなるだろうね」
特に何も考えていなかったけど、回るとするなら朱莉になるはずだ。
というより他に一緒に回る候補がまず存在しない。
あれ、いろんな人と関わる様になった気がするのに肝心の友達が増えていない気がするのは気のせいかな。
「あ、でも部活動の方で当番とかあったら回れないかもしれないかな」
「でもお前、夜川さんも同じ部活に入ったらしいじゃんか。結局回るなら一緒になるんじゃないか」
また朱莉は言いふらしたのか。
明らかに僕に関連した出来事に関しての情報の出回りだけ異様に速いんだよな。
別にこれは今に始まった話じゃないから気にしてないけど。
「朱莉と回るのって案外楽しいから、僕は困ってないし良いんじゃない?」
「なんだ、やっぱなんだかんだ好きなんだな」
「嫌いだったらとっくに突き放してるよ」
噂をすれば、朱莉が教室に入ってきた。
いつもの様子で僕を見つけると駆け寄ってくる。だが今日はご飯を食べているにも関わらず僕の手を引いた。
「ど、どうしたの朱莉」
「いいから早く来て。部室でなんかあったみたい」
何かあったのだろうか。この間、文集に関してはひと段落着いたはず。なら対人関係?それもこれも部室に向かえば分かること。残っていた弁当の中身を急いでかきこむと、また申し訳ないと人志に謝って教室を出た。「これはさすがに貸しだからな」と言われたけど、致し方ない。
「ちゃんと説明してよ!」
怒り狂ったような様子の日野田先輩がすごい剣幕で篠原先輩に迫っている。
どういう状況なのか、すでに部室にいた他の部員も理解していないようで止めようにも止められないでいる。
だが僕が勢いよく扉を開けてしまったせいで二人の意識がこちらに向いてしまう。それがいいタイミングだと思った先輩は二人に声をかけてとりあえず座ってもらうことができた。
「……」
「…………」
二人とも黙り込んだままで、日野田先輩は彼を睨みつけている。本当に何をしたんだ。頭を冷やしてもらうために飲みものを入れると、彼女はそんなことはどうでもいいと、また篠原先輩に問い詰めようとするので朱莉と他の先輩でなんとか抑える。
「篠原先輩、何があったんですか」
先輩は何も答えようとしない。
みんなを巻き込んでしまっているのに黙るのか。些かそれを許容する余裕は僕たちにもないし、何より日野田先輩が一番許さないはずだ。
「黙っているなら先生を呼んででも話を進めますよ」
たぶんそれは先輩だって避けたいはずだ。ただでさえこんなにこじれているんだから黙っているのにもそれなりに理由があるはずだが、話してもらう。
「……先輩の原稿を無くした」
「えっ……」
あまりにも衝撃的すぎてすぐに彼が言ったことを飲み込めなかった。
どういうこと?なんで先輩の原稿が無くなるなんてことに。
「だ、だって昨日先生に確認してもらったんですよね。昨日の今日で無くす理由が分からないんですけど」
もし無くしたのが本当なら、ここ数時間で無くしたってことになるけどそんなこと本当にあり得るのか。まだ日野田先輩は気が動転した様子で状況に納得はいってない。僕ですら思っているのだから、先輩はもっと知りたいはずだ。
「確かに先輩の原稿は俺が朝早くに先生から受け取った。俺が念入りに確認したとはいえ、修正が必要なら早めに直しておいたほうが良いと思ったからな。それでプリントした方に修正箇所をまとめておいたからそれを見ながら直すといいと言われて一緒に渡されて部室に戻った。それで部室で先輩が来るのを待っていた時に」
喉が渇いてコップに手を伸ばした。拍子にそれは倒れ、侵食するが如く印刷した紙は水を吸い込んでいく。流れ出した水は一瞬で全て吐き出されてUSBもろとも水浸しにした。つまりは全部濡らしてしまったんだ。
不意に起きた事故。それによって彼女の努力がすべて失われてしまったなんて気軽に言えるはずが無く、こんなことになるまで黙ってしまった。
故意でないものだと知った今、日野田先輩はさっきまでの怒りをどこにぶつけていいのか分からなくなって両手で顔を覆う。出された紙とUSBが机に置かれていてその内容は滲みすぎて読むことはできない。
「これ、確認していいですか」
「ああ」
USBをパソコンに挿しこむ。何度も繰り返してみるけど反応が無い。
完全に使えなくなっていた。
「確かに、これはどうしようも」
日野田先輩のパソコンを確認するけど、バックアップはない。全部USBに移してしまっているのか。僕の思い違いじゃなかったら、印刷所に提出するのはもう数日しかない。それまでに彼女の原稿をなんとかして復旧させるか、諦めて別の何かを差し込むか。それも視野に入れないといけない。
だけど今は先輩が心配だ。あれだけ元部長に向けて過ごしていたこの一か月をすべて無駄にしてしまうような衝撃を彼女が受け止めきれるはずもない。
「少しだけ、先輩と二人で話をさせてもらえないか」
篠原先輩が突然提案してきた。何も僕たちができることが無いうえに、無くした原稿に向き合ってきた二人だから解決するのも二人でした方が早いのは確か。
「でも大丈夫なんですか」
さっきまであんなに言い争いになっていたのに冷静になって話し合いなんてできるのか。それだけが心配だった。
「それなら大丈夫。もう、落ち着いたから。みんなごめんね」
日野田先輩がそう言うのなら大丈夫か。ここからは二人の問題なので僕たちも深入りはしない。全員が部室から出ていく。
カチッ。
締め出されてはいることすら許されない。僕たちはここで二人の会話を盗み聞くことしかできないのか。
「みんな教室に戻ろう。クラスでやんないといけないこともあるよね。きっと聞き耳立てられるのも嫌だろうから少しは二人にしておこう」
小此木先輩に言われて、僕たちは部室を離れた。
篠原は、心に決めて話すことにする。
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