第二十一話 雲泥

 四方八方から襲い来る物の怪を、刃は寸分違わず一太刀で沈めた。

 百体を超える物の怪が目に見えて数を減らしていく様子を見て、道明は焦りを見せ始める。道明が焚き付けるように物の怪を鼓舞するも、戦況は一向に好転しない。

「な、なぜだ! そんな脇差で……物の怪に傷を付けられるはずがない!」

「わしに斬れぬものはない。わしが握れば、どんな鈍物でも妖刀となる」

 道明の言う通り、妖力を纏う物の怪は特殊な方法で作られた妖刀のみでしか斬ることができない。一般的な刃物では、与えた傷が瞬く間に再生してしまうのだ。

 豪剣斎が天禰の毒にやられたように、この世には剣術だけでは勝てない者が存在している。妖術、もしくは妖術を破る術がなければ、この歪な戦乱を戦い抜くことはできない。物の怪の妖力など、刃にとっては何の脅威にもならないのだ。

 すると物の怪は業を煮やし、斬られた身体を擦り合わせて合体していく。身体中から人体の四肢を生やした異形の化物は、合わさって一体の怪物となった。

 体長は目測で二十尺。このような巨体とは刃も戦ったことがない。

「いいぞ、物の怪ども。勝てば報酬は大きいぞ。殺し屋の矜持を見せてみろ!」

 物の怪が合体する様を見て、道明は得意になって息を吹き返している。

「殺し屋に矜持もクソもないだろう……。物の怪の分際で日銭を稼ぐとは、変わった奴らだ。修羅狩りに歯向かう愚かさも含めて、馬鹿の極みだ」

 刃は脇差を鞘に納め、精神を集中させた。居合の構えで、見上げんばかりの巨体に正対する。同時に妖力を増大させ、蜷局とぐろを巻いた殺意で物の怪を縛り付けた。

「狐坂道明よ、覚えておけ。修羅狩りはあるじの牙。そう易々と折ることは叶わぬ。幾ら束になろうとも、殺し屋風情に敗れるようでは……修羅狩りは務まらんのだ!」

 ――抜刀。鞘を走る刀身が音なき唸りを上げ、巨大な物の怪を両断した。

 黒の妖気を纏った斬撃を受け、物の怪は傷の再生ができない。苦しむように身体を蠕動ぜんどうさせた後、その身は塵となって霧消した。

 そうして次第に、周囲の瘴気が晴れていった。



「ひいいいいぃぃぃぃー!」

 物の怪の大群が刃に敗れる様を見て、道明は一目散に逃走した。

 刃が追って本丸御殿から出ると、曲輪くるわを埋め尽くすように大勢の狐坂兵が待機していた。刃は易々と追い付き、道明の前に立ちはだかった。

 道明は恐怖のあまり、腰を抜かして動かない。

「曲者だー! 出会えー!」

「無様だのう……。これが、わしの初恋か……忘れよう……」

 刃を取り囲む狐坂兵の中には、殺し屋が数多く紛れていた。否、ほとんど全てが殺し屋であった。雑兵とは違う異質な雰囲気を醸し出し、一目で殺し屋であると見分けられる。山賊、剣客、忍び衆。特に目立つのは、夥しい数の妖怪だ。宙を舞う百鬼夜行が群れを成し、夜空を覆い尽くしている。

 それぞれが腕に覚えがあり、殺し合いを興じてきた猛者達である。得意の凶器を見せびらかし、開戦の合図を待ち侘びているようだ。

 その中に、とんでもない大物も紛れていることを刃は見逃さなかった。

 正巳まさみ流剣術継承者。百人斬りを成し遂げた大剣豪――正巳立馬まさみりゅうま

 古今東西の武術を修め、素手で熊をも仕留める武闘家――朽木重信くちきしげのぶ

 戦いを求め、同業の殺し屋に手を掛ける狂気の奇術師――愚楽遊娯ぐらくゆうご

 戦国時代に暗躍していた忍、童魔忍軍の現頭目――朱雀陽炎すざくかげろう

 日輪に伝わる妖怪集団、百鬼夜行の主――蟒蛇童子うわばみどうじ

 よくぞここまで集められたものだ。いずれも有力な殺し屋であり、一堂に会することなど有り得ない錚々そうそうたる面子である。彼らは道明に雇われてこの場に立っており、互いが協力関係にあるわけではない。しかし個人や組織に捉われず、共通の敵である修羅狩りに視線が向けられている。

 修羅狩りとは、殺し屋にとって災害と呼ぶに相応しい存在である。絶対に避けなければならない厄難として、先人から強く伝えられている。

 だが脅威であることのみが独り歩きをし、その存在は空想上のものと化している一面もある。戦えば死であるが故に、その実力を体験した者は多くない。

 そこで現れたのが、黒斬刃という異色の修羅狩りだ。殺生をしない修羅狩りという異質な存在は、音に聞こえし伝説をその眼に映す絶好の機会であった。

 そう、彼らは黒斬刃の品定めとして集まったのだ。殺し屋を震撼させる修羅狩りとは、一体どれほどのものであるかを確かめるために。そうして集まった殺し屋は百を超え、あわよくばここで修羅狩りを仕留めてやろうという算段である。

 しかしほどなくして彼らは、その判断を後悔することとなる。

 数に物を言わせて得意になる殺し屋に対して、刃は堂々と宣戦布告をした。

「おるわおるわ、うじゃうじゃと。力の差もわからぬ雑魚どもが……。わしに挑む者は前へ出ろ。どうだ? 纏めて掛かってきてもよいぞ?」

「…………!」

 刃の言葉に込められた殺意は、取り囲む殺し屋に絶望を与えていた。

 百を超える殺し屋の軍団は、たった一人の少女によって足止めをされている。死の想像を植え付けられ、金縛りにあったように動くことができない。

 彼らは自覚した。ここが既に猛獣の腹の中であると。

 殺気の優劣は実力差にも関わっており、殺意に呑まれた状態で勝てる道理はない。

 己が生きるも死ぬも、少女の意志一つ。完全に生殺与奪を握られている。一挙手一投足の全てを見透かされ、遁走はもう間に合わない。

 興味本位で修羅狩りに近付いたことがどれほど愚かな行為であったか、身に染みて痛感させられていた。上には上がいるという不変の真理。だがあまりにも壁は高く、届き得ることのない摩天楼まてんろう。楯突こうものなら殺される。勝つか負けるか、そんな次元ではない。多勢の優位性は無いに等しい。羽虫がどれだけたかろうとも、燃え盛る山火事を消すことはできないのだから。

 修羅狩りを名乗ることは、己の実力が最強であることの自負。そして、血みどろの戦渦に抗う覚悟の表れである。敵方に腕力で劣ろうとも、敵が近しい実力を持ち合わせていようとも、その不撓不屈の精神が揺らぐことはない。

 どれだけ相手が強くとも、どれだけの数に囲まれようとも契約者を護り抜く。こういった気概が太刀に込められ、修羅狩りは最強のつわものとなるのだ。

 一騎打ちでは相手にならずとも、集まった殺し屋が力を合わせれば刃に一矢報いる可能性は絶無ぜつむではない。だが最初に歯向かった者が真っ先に殺されることは明白であり、誰一人として自分が先駆けとなる気は毛頭ないのである。

 勝てない相手とは戦わない、勝てないなら逃げればいい、そんな覚悟で戦っている者など高が知れている。私利私欲に溺れ、弱者を食い物にする殺し屋など相手になるはずもないのだ。

 こうして格の違いを見せつけることで、修羅狩りの威光は広まっていく。巣に返った彼らは仲間に告げるだろう。「修羅狩りには手を出すな」――と。

 殺し屋の戦意は疾うに砕け散っている。自身の他に標的と成り得る対象が近くに存在することだけが、彼らの心を落ち着かせる材料となっていた。

 可能な限り目立たないよう息を殺し、少女の許しをじっと待っている。

「ふっ、安い挑発には乗らぬか……」

 しばらく殺し屋の集団を縛り付けた後、刃はふっと息を吐いて殺気を解いた。

 すると殺し屋の集団は、静かに刃から距離を取った。迷いなく踵を返し、蜘蛛の子を散らすように闇夜へと消えていく。殺し屋は誰一人として刃に牙を剥くことはなかった。どうやら脅しが利き過ぎてしまったようだ。

 立錐りっすいの余地もなかった城内は、数名の寡兵かへいと領主の道明のみが取り残された。

 道明は絶望に顔を歪ませ、肘を地面に突けて頭を抱えている。

「ど、どうして……」

「殺し屋とはこんなものだ。損得勘定でしか動かず、そこには義理も人情も存在しない。あんな奴らを信用して領内に置いておく気が知れぬ」

 残った家臣の一人が銅鑼どらを鳴らすと、大勢の狐坂兵が集まってきた。

 全員が腰の太刀を抜き放ち、刃に敵意を向けている。

「やめておけ。大人しくしておれば手出しはせぬ。実力差もわからんのか? 命は大事せねばならぬぞ」

 刃は一言の脅しを添えて相手にしなかったが、狐坂兵は抗う姿勢を変えない。なんと狐坂の兵には、殺し屋を撤退させた刃の殺気が通じないようだ。

 殺意とは、相手を殺すという明確な意思表示である。危害を加えるという強い思念が波動となり、標的の脳内に死に様を植え付けるのだ。

 人食い鮫の泳ぐ水槽にむざむざと身を投じる者がいないように、強力な殺意の前には戦意を削がれて然るべきである。

 しかしこれは、命のやり取りをした経験のある者にしか感じることができないことだ。無辜むこの民には効果がなく、狐坂兵もまた刃の睨みが通用しなかった。

 なんと鈍いことだろうか。野生を知らない家猫のように、彼らは外敵の脅威を察知できないのだ。百の殺し屋が尻尾を撒いて逃げる光景を目の当たりにしても、黒斬刃の実力を推し量ることができないのだ。

 刃は狐坂の兵から、殺意とは程遠い極少の敵意を犇々と感じさせられていた。領主の道明を護るために命をもなげうつ気概だ。弱者であるが故の無知が恐ろしい。

 すると道明はそこに光明を見出みいだし、家臣への下命を叫んだ。

「我が狐坂の兵達、よく聞け! 黒斬刃は人を殺さない! 全員で叩け!」

「はぁ……」

 空虚な策に呆れた刃は、蹲う道明の眼前に錆びた脇差の切っ先を突き立てた。

 殺生を行うためではない。修羅狩りの矜持を傷付けられたからでもない。道明の今後の人生の糧として、修羅狩りの本質を知らしめる必要があったのだ。

 修羅狩りに対する畏怖の正体は、その名が示す通り惨殺の歴史の積み重ねである。現存する修羅狩りは、きっと刃のように温厚な者ばかりではない。決して暴力で出し抜ける相手ではなく、絶対に敵に回してはならない存在なのだ。

 いつの時代も、愚将の旗揚げほど梼昧とうまいなことはない。この厳しい戦乱で頭角を現した道明だが、実際は傑士けっしでも何でもないのだ。彼は時代の寵児ちょうじではなく、むしろ時代の被害者だといえるだろう。

 誰が最初に始めたのか、殺し屋の目論見通りの世の中となってしまった。

 殺し屋が報酬の受け取りを後払いにしていることは、本当によくできた構造だといえよう。殺し屋を雇えば、自国の犠牲や被害をいとうことなくあっさりと戦争に勝つことができるのだ。力のない国でも強国に勝つことができ、一個人であろうとも将領になることができるのだ。そんな夢のような仕組みを利用しない手はない。これに道明は食いつき、無一文から領主へと成り上がったのだ。ただ殺し屋の掌の上で踊らされていただけだとは知らずに――。

 現代の日輪という魔境の摂理。それは、自然界の弱肉強食など生易しく思えるほどに厳しいものだ。領地を統べる者としてあるまじき愚行。あまりにも欠如した危機管理能力。修羅狩りを武力で捩じ伏せようなど、正気の沙汰とは思えない。

 だが道明には商才がある。その人並外れた野心と行動力を正しく使えば、立派な商人になっていたであろうことは想像に難くない。他人を煽動する力、更には大勢を纏める力もあり、時代が違えば将軍になっていたことも考えられる。出会った場所や立場が違えば、刃と仲良く笑い合えていた可能性だってあるのだ。

 そんな憐れな道明に対して、刃は情けをかけた。

 刃は道明の瞳をじっと見据え、心の深淵に向かって強く語り掛けた。

「狐坂道明よ、知っておるか? たとえ四肢が千切れようとも、止血をすれば人間は生きられる。視覚も聴覚も、生きるだけならばなくとも問題にはならない。わしは人を絶対に殺さぬが、殺す以外なら何だってできるぞ」

「ひぃっ!」

 刃は脇差の峰で、道明の首筋を優しく撫でた。殺し屋とは比較にならない殺気を放ち、虚構のかいなで道明の心臓を鷲掴みにした。

「お主から――生きる以外の全てを奪ってやろうか?」

「――――!!」

 刃の全力の殺気は、戦いを知らない道明の心に楔を打ち込んだ。

 道明は白目を剥いて動かない。恐怖のあまり、泡を吹いて意識を失っている。

 これでいい。これで彼は同じ過ちを犯さないことだろう。

「道明……どうして人の道を外れてしまったのだ……。一体どこで間違えたのだ……? 殺しは外道であると……お主は真なる眼で言っておったではないか!」

 刃は脇差を握り締めたまま、茫然ぼうぜんと夜空を見上げた。冷たく光る錆びた刀身の輝きと共に、独り立ち尽くす刃の姿を月明かりが照らし出す。

 刃の戦いはどこまで続くのだろうか。いつになれば世界は平和になるのだろうか。日輪に充満する殺意を取り払うことは不可能なことなのだろうか。

 どれだけ精神的に打ちのめされそうになっても、刃は立ち止まるわけにはいかない。力に溺れた者によって繰り返される虐殺を絶対に阻止しなければならない。道明のような者がまた、日輪のどこかで現れるかもしれないのだから。

 その命が尽きるまで、刃の戦いは続いていく。底なしの悪意にまみれ、暗雲が立ち込める日輪に光を齎すために。

 佇立ちょりつする刃の背後で、さく星月夜ほしづきよを彩る流れ星が音もなく走り去っていった。

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