第27話 代償の魔女 その七

「そうだ。今のハルナが良い。俺は今のハルナを好きになったんだ」


 感情を爆発させて喋るのではなく、エインツはゆっくりと、染み入るように想いを語る。


 ここはダンジョン。

 大声で伝えては魔物や魔獣を呼び寄せてしまう危険性を考慮したのもあるが、今のハルナには静かに語り掛ける方が効果的だろう。

 直感でエインツはそう思った。


「エインツ……でも嬉しい。こんな私を好きと言ってくれるなんて……自分でもよく分からないけど、エインツと一緒にいると心が満たされる感じがするの。最近は特にそう思う」


 頰を朱に染めて顔を伏せるも、それでもハルナは、エインツの右手を手放そうとはしなかった。

 やがて観念したような。あるいは、すっきりしたような顔を上げる。


「分かったわ。エインツの告白をお受けします」


 ハルナは真っ直ぐにエインツの顔を見据えて、申し訳無さそうに言った。


「ほ、本当、か!?」


 待ち望んでいた言葉の筈なのに、一瞬にして真っ白になったエインツの頭は、霧を掴むかのように実感を得られなかった。


「本当よ。今まで待たせてごめん」

「……起きたら夢だったなんてオチはないだろうな?」

「げ、現実だって。心配しなくても夢なんかじゃないわよ。……夢か現実か信じられないと言うのなら、エインツも頰をつねられてみる?」

「頼めるか」

「う、うん。じゃあ、行くよ」


 躊躇いがちにハルナは、右手でエインツの左頰をつねる。

 先ほどの恨みを晴らそうというのか?

 ハルナはを込めて、エインツの左頰を引いた。


「痛い?」


 ハルナの問いにエインツは、その状態のまま無言で頷いた。

 それを確かめたハルナは手を離す。


「痛かった。……夢じゃないんだな。俺とハルナは恋人同士になったんだ」


「安心した? 大丈夫よ。間違いなく現実の事だから……」


 言葉にした事で、エインツの心中で徐々に実感が湧き始める。

 今いる場所と状況が安全安心であればエインツは、飛び上がらんばかりに喜びを爆発させていたかもしれない。

 しかし、エインツとは対照的に、何故かハルナは釈然としない顔をしている。


「どうした? 浮かない顔をして」

「……なんて言うか、生まれて初めて告白に答えたんだけど、思っていたのとなんか全然違うなって。もっとロマンチックなものとばかり」


 ダンジョンはダンジョンでしかない。

 二人の周囲にあるのは、ウドペッカ大迷宮の壁や天井に床。それと文字通り、手荒い歓迎しかしてこない魔物や魔獣だけ。

 当たり前の話だが、浪漫の代名詞となるものは一つとして存在していない。


「そうだな。満天の星空とか。美味い料理や酒があるとか。そういった中でやるものと思っていた」

「エインツがそれを言う?」

「ま、まぁ。それはもう済んだ話だろ。時効だ。時効!」


 浪漫の欠片も無い、試験の最中に告白した身として、エインツが発した言葉はブーメランそのものであった。

 告白した事自体に後悔は一切ないが、投げたブーメランが放物線を描き自分に突き刺さる。そんな場面をエインツは思い浮かべ、自嘲する。


「勝手に終わらせないでよ。……これまでたくさんの男の人を見てきたけど、エインツほど直球で型破り、破天荒な人はいなかったわ」

「光栄だね」

「褒めてないっ! エインツが来てからもう振り回されっ放しよ。……でも」


 一拍の間を空けてからハルナは、声を出さない微笑みを浮かべる。


「エインツが来てからは、毎日が退屈しないわ。こんなに楽しいと思える日々は久しぶりかも。お互いの頰を引っ張り合う告白なんて前代未聞よ」

「安心しろ。俺も聞いた事が無い」

「ブッ!……何よそれ? 何を安心しろっていうのよ」


 向日葵のような大輪ではない。

 小さくて可憐。タンポポを思わせるような笑顔を見せつつ、鈴を転がす声でハルナは笑う。


 一種の修羅場を経験した直後なだけあってエインツは、数日ぶりにハルナの笑顔を見れたような気分になるも、


「あ……そっか。今分かった」


 急にハルナは笑顔から、憂いを帯びた真顔に表情を変化させる。


「まだ私が小さかった頃、お父様が遊んでくれた時と同じなんだ。エインツと一緒にいて楽しいのって……」


 父親との楽しかった過去を思い出したであろうハルナの両頬を、両目からの涙が静かに流れ落ちて行く。


「ハルナ……」


 エインツの胸中に堪らなく、ハルナへの愛おしさが込み上げる。

 今まで抑圧され、蓄積され続けて来ただけに、解放された想いの奔流にエインツは抗えなかった。


「……ハルナ。抱いても、良いか」

「!」


 告白を受け入れてくれた以上、耐え忍ぶ必要は皆無だ。

 理性を総動員させながらエインツは、ハルナに抱擁の許可を求める。


「あ……うん。良いよ。来て」


 エインツの申し出にハルナは放心状態とするも、すぐに涙を拭い、上目遣いでエインツに許可を出した。

 その口調は、悲しみ混じりの優しさに満ちている。


 エインツとハルナは同時に身を寄せ合った。

 お互いが相手の背中に両腕を回す。

 ハルナの柔らかさを感じ取った後、遅れてエインツは彼女の温もりを知覚した。


「今の俺は世界一の幸せ者だ。誰からも文句が出ないほどのな」

「もう。……でも今は、エインツの気持ちが分かるよ。エインツって、こんなにも温かかったんだね。さっきは全然気がつかなかったよ」


 エインツとハルナ以外にもう二人いるという事実は、エインツの頭から完全に消え失せていた。

 今はただ、この時間が永遠に続けと願ってやまないところだが、エインツの眼前には揺るぎない現実。無機質な地下迷宮の壁が立ちはだかっていた。


「…………くっ」


 掛け替えの無いハルナとの時間。

 本音では、究極に甘美なこの時間に身も心も委ねていたい。


 だがその為には、ダンジョンを全員で生きて脱出するという、絶対に突破しなければならない問題が横たわっている。

 最高の人と繋がり続ける為には、何がなんでもここを抜け出さなくてはならない。


 あまりのままならなさからエインツは、悔しさで歯噛みした。


「エインツ?」

「残念だが、ハルナ。今はここまでにしよう。俺たちは生きて帰らなければならないんだ」

「……そうだね。名残惜しいけど、生還が絶対条件だから」


 二人は最後に力を込めて抱き合うと、お互いを気遣うように、そっと相手の体から離れた。


「体の調子はどうだ? 歩けそうか?」

「……さっきよりはかなり良くなったよ。今だったら問題無く歩けると思う。早くは無理そうだけど」

「歩ければ充分だ。丈一郎さん! チェルシーさん! ハルナが歩けると言っています。撤退しましょう!」


 声を張り上げ気味にエインツは、敵の襲来に備えていた二人に呼び掛けた。


 エインツとハルナのやり取りは見ていたのは間違い無いだろう。

 見るからにご満悦なチェルシーと、素知らぬ素振りの丈一郎が持ち場を離れ、エインツとハルナに合流する。


「もうお腹一杯よ。ごちそうさま」

「胸焼けしそうだったぞ」


 それぞれが開口一番、エインツとハルナの惚気を見聞きしての感想を口にした。


「うう……聞かれていたなんて恥ずかしいよぅ」


 赤面と今にも消え入りそうな声。それと組んだ手の指をもじもじと動かしながらハルナは、誰とも視線を合わせずに言った。


「大丈夫よハルナ。恥ずかしいのは最初の内だけだから。すぐに人前でのイチャイチャに慣れるわよ」


 初心な仕草の娘に母親は、経験者としての助言を、左目のウインクを交えつつ与える。


「お、お母様!」

「エインツ君も。良くやったわ。これからもハルナをリードしてやってくれる?」

「もちろんです。任せて下さい!」


 エインツは言いながら右拳で、自らの胸を小突く。

 天井知らずの高揚感は止めようがない。


「もう……エインツまでぇ」

「ここまでにしておけ」


 ハルナが口を尖らせながら拗ねたところで、丈一郎が柏手を二回鳴らした。


「撤退するのなら、あまり時間を掛けない方が良い。今すぐ準備しよう」

「……」


 有無を言わせない丈一郎の態度に、名残惜しそうにハルナは次の階への階段に目を向けた。

 そんなハルナにエインツは声掛けする。


「……先に進みたい気持ちは分からなくもない。だが今は撤退する他無い」

「分かってるよ。けど……やっぱり悔しいよ」

「その気持ちもよく分かる……」


 エインツの口をついて出た言葉に偽りは皆無である。

 何故なら、エインツがまさにそうだからだ。


「だから次は最低限、魔力吸収への備えを万全にした上で戻って来て、その悔しさをぶつけてやるんだ」


 経験に裏打ちされた言葉をエインツは、後ろ髪を引かれているハルナに語った。

 予期せぬ重大な事態に直面する度に、エインツもまた、望まない撤退を何度も繰り返して来た。だからこそ生き延びる事が出来て、今ハルナの隣にいられる。


 未知の敵。あるいは現象によって、ハルナの魔法は失われた。

 ハルナ以外は剣士しかいないパーティーにおいて、魔法の力は必要不可欠だが、今はそれが無いのが現状である。

 あるにはあるが、撤退以外の選択肢は最早あり得ない。


「……うん。分かった。次は絶対にそうしてやるんだから!」


 再びハルナは階段を見たが、その濃橙の目と言葉に宿るのは未練ではなく、捲土重来の強靭な決意だった。


(ハルナと二人きりの時間が欲しいぜ……)


 理性の隙間から滲む欲望をエインツは、もちろん口にしないでおく。


 そこから四人は迅速に動いた。

 物資の回収を手早く済ませ、その場を離れた。


「もう魔力を吸われている感覚は無いわ」


 魔力吸収の有効範囲から抜け出したのを確認したハルナは、魔力回復薬を服用。

 後はハルナの緊急離脱魔法で四人は、ダンジョン外への脱出を果たした。


「やっぱりシャバの空気は美味いぜ」


 ランタンと魔力の明かり以外に人工の光がほとんどない、満天の星空の下でエインツは深呼吸をした。

 夜と暗闇は切り離せない。

 その事に思い至ったエインツは、ハルナの方に顔を向けた。

 不安げな顔でハルナは、無数の星が煌めく藍色の空を見上げている。


 闇に心底恐怖を覚えている筈のオレンジの瞳は、真っ直ぐに夜空の一点を捉え続けていた。

 その顔は青白く見え、体は微かに震えていたが、それでもハルナは目を背けはしない。


 怖いなら見なければいいだけなのに。

 それに疑問を抱きつつエインツは、ハルナに声を掛けた。


「ハルナ。空に何か気になるものでもあるのか?」

「う、うん。……何か、恐ろしいものを感じるの。あの方向に」


 言ってハルナは視線と、右人差し指の先を一致させる。

 エインツも同じ方向に目を向けた。

 その先にある物をエインツは、すぐに記憶の中から引き出した。


「この先にあるのは、フォルテア彗星とアカーションだ……」

「……エインツ。勘だけど、何か凄く嫌な予感がするの。早く家に帰ろう」

「ああ。分かった」


 ハルナを先頭に、その後にエインツは続いた。

 二人の会話を聞いていたチェルシーと丈一郎も、異論を挟むこと無く歩き出した。


「……」


 エインツは脚を止めずに、無言で背後を振り返る。

 只事ではないハルナの影響もあってエインツは、胸騒ぎを覚えながら、戦友であるラルシェの顔を思い浮かべた。

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