第32話 山の辺の道(その2)
前回、『山の辺の道』を歩くことにして・・最寄りのバス停から、新薬師寺の隣の
今日はさらに
では、さっそく今日の近況ノートをご覧くだしゃい。
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093089502460304
①番は、
新薬師寺と比賣神社については、すでに以下でお話しましたので、今回は省略しますよぉ~。
第8話 新薬師寺は秋がいい!
第9話 秋の新薬師寺周辺を歩く
で、比賣神社の斜め前から山の方に続いているのが、『山の辺の道』につながる道です。②番の写真ですね。そして、道の傍らには、『山の辺の道』の石碑があります。②番の写真の黄色の矢印です。
この『山の辺の道』の石碑を撮ったのが③番の写真です。『山の辺の道』と書かれて、その下に矢印がありますね。『山の辺の道は向こう』ということですから・・この道を歩いていくと、『山の辺の道』に出るわけです。
④番はその石碑の横にあった地図です。
で、このエッセイの原稿を整理していて・・おかしなことに気づきました。
④番の地図を拡大したものを右のオレンジの枠内に示しますが・・黄色の矢印のところに、『現在地』と書かれています。現在地・・すなわち、③番の石碑があるところです。それはいいのですが、現在地の前の道に・・『山の辺の道』を示す赤い点線が描かれているではありませんか!
えっ、ということは、③番の石碑がある道は『山の辺の道』なの???
そんなバカな! ③番の石碑に、『山の辺の道』は向こうって矢印があるのに!
混乱するボク!・・・
で、③番の写真をもう一度よく見て見ました。石碑の部分を拡大してみると(紫の枠内です)・・確かに、『山の辺の道は向こう』と矢印があります!
えっ、さらによく見ると・・『山の辺の道』と書かれた左下に、小さく『白毫寺へ』と書かれているではありませんか!
えっ、えっ???・・・す、すると、これはひょっとして、石碑の矢印は『山の辺の道』に掛かっているのではなく、『白毫寺へ』に掛かっているのでしょうか?
つまり、こ、これは・・『山の辺の道は向こう』という矢印ではなくて、『白毫寺は向こう』という矢印なのでしょうか?
よく見ると・・『山の辺の道』より『白毫寺へ』の方が矢印に近いですね!
ぎゃび~ん💦
これで分かりましたぁ。 ボクは、石碑の矢印は『山の辺の道』に掛かっていて、『山の辺の道へ行くには矢印の方向』という意味だと思っていましたぁ。つまり、この解釈だと・・この道は『山の辺の道』ではなくて、この道の先に本物の『山の辺の道』があることになります。
でも、これは間違いで・・矢印は『白毫寺へ』に掛かっていたのでしたぁ。で、『ここは山の辺の道で、白毫寺に行くには矢印の方向』というのが正しかったのです。
ボクは、このアホバカエッセイの原稿で、ずっと、この新薬師寺の前の道は『山の辺の道に続く道』だと書いてきましたぁ。
ここに謹んで訂正いたしますぅ。 アホバカ間違いでしたぁ~。<(_ _)>
皆さまから「もう、アホバカ作家はどうしようもないわねぇ~」という声が聞こえますぅぅぅ💦
しかし、③番の石碑は、じっつに分かりにくい表記ですな。。
えっ、こんなの誰でも分かるって! お前だけが間違えてるんだって!
再び、ぎゃび~ん💦
そんなに責めないでぇぇぇ・・
もう先に進みますよぉ~・・
ということで、③番の石碑からは本物の『山の辺の道』を歩いていきましたぁ~(笑)。。。
少し歩くと、今度は『歴史の道』と書かれた小さな石碑が・・⑤番ですね。黄色の矢印が石碑です。
はてさて、『歴史の道』とは何でしょうか? ネットから引用してみましょう。
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奈良市歴史の道
奈良の世界遺産をつなぐ、奈良市街をほぼ一周するように整備されている散策コースで、全長27キロメートルもあるとても長い道です。
徒歩で一度にまわるのは無理なので、何度かに分けて、エリアごとに交通機関やレンタサイクルなどを利用しながらまわるのがおすすめです。
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どへええ~、27kmですかぁ~! 長いですね! では、この道は『山の辺の道』でもあり、その『歴史の道』でもあるわけですね。。。⑤番の写真の石垣と土塀がいいですな。。。
で、道は閑静な住宅地の中に続いていきます。
少し歩くと・・⑥番のお地蔵さんが。。。お地蔵さんは、道から一段下がったところにありましたので、上から見下ろすようなアングルで撮ってますよぉ。
さらに、住宅地の中を歩くと・・
では、ネットから引用してみましょう。
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西勝寺(さいしょうじ)は、奈良市にある浄土真宗本願寺派の寺院。
当寺はもと現在地の近くにあったが、元禄13年(1700年)ごろに現在地に移ったといい、過去帳もその頃から記されたものが伝わっている。白毫寺町の檀家の間で、二十八日講や尼講が営まれる。
鼓楼門を入って左に鐘楼がある。本堂は五間半四方の立派な堂で、内部は朱塗りの柱や蟇股の彫刻等があり、もとは多武峯(妙楽寺)にあった食堂を移築したものと伝わっている。
本尊阿弥陀如来立像は、寂如上人の裏判があると伝わっている。親鸞聖人御影像・聖徳太子像、七高祖像などにも寂如上人の裏判がある。
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⑦番が西勝寺の門、⑧番は西勝寺の前にある風情のある道、⑨番が門から見えた、植え込みの奥にある立派な本堂です。
で、ネットを見ていると・・この西勝寺は、『いかめしい
では、その鼓楼はどこにあるかというと・・⑦番の写真の門の上なのです。だから、この写真は有名な鼓楼門の下の部分なんです。つまり、肝心の鼓楼の写真はありまっしぇん💦
いつものように、何の下調べもせずに出かけてきたボクは・・西勝寺や鼓楼なんて何も知りまっしぇんでしたぁ。で、帰ってから、ネットを見て、これらを知ったのでぇすぅ。だぁからぁ、有名な鼓楼の写真は何も撮ってないのでぇすぅ💦
でも、かろうじて・・調べてみると、西勝寺を横から撮った写真の中に、鼓楼が偶然、写っていました! そうです、正義は勝つのです(笑)。
で、その写真が⑩番です。赤の矢印がその鼓楼、黄色の矢印がネットの記載にあった鐘楼です。
みなさぁん、京都や奈良を観光するときは、事前に下調べをしましょうね! でないと、ボクのように、せっかく行ったのに・・肝心のものを見ていない、なんてことになりますよぉ~💦
今日は『💦』マークがいやに多いですな(汗・・)。
では、今日の動画です。⑤番の『歴史の道』の石碑の周囲の景色と、⑦番の西勝寺ですぅ。
・『歴史の道』の石碑の周囲
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093089502466043
・西勝寺
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093089502470787
では、今日はここまでです。
えっ・・冒頭で『今日はさらに白毫寺まで歩きますよぉ~♪』と言ったのに、西勝寺までしかないじゃんか!・・ですって。。。
ぎゃび~ん! ③番の石碑の間違いのことを書いてたら・・白毫寺まで書けまっしぇんでしたぁ。作者がいい加減だから、こうなっちゃうんですぅ(笑)。
じ、次回は、西勝寺から白毫寺まで行きますよ~。お楽しみにぃぃぃぃ・・・
皆さま「誰も楽しみになんかしてへんわい、ボケ!」
ボク 「ぎゃび~ん!」
(つづく)
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