第28話 春日大社

 今日は・・ご存じ、春日大社でぇすぅ♪


 春日大社といえば、東大寺の大仏殿と並んで、奈良観光の大本命ですよね!


 でも、春日大社はとっても広いので・・今日はダイジェストをお送りします。個々の見どころはまた個別に詳しくご紹介していきますね。


 さて、春日大社って、どういう神社なんでしょうか?


 さっそく、ネットから引用してみましょう。


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 春日大社は全国に約3000社あるという春日神社の総本社です。奈良の都・平城京ができたころ、常陸国(ひたちのくに=茨城県)から武甕槌命(たけみかづちのみこと)という神さまをお迎えして都の守り神とし、神護景雲2年(768)に社殿を造営したのが始まり。以来、皇族や貴族、有名武将などから庶民まで幅広く信仰されてきました。


 御蓋山(みかさやま)の麓に広がる境内は緑豊かで、歩いているだけで癒やされます。本社には朱塗りの壮麗な社殿が立ち並び、また縁結びなどさまざまなご利益をいただける神社が森の中に点在。国宝殿、萬葉植物園といったみどころや、カフェ、ショップもあり、さまざまな楽しみ方ができます。

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 なるほど・・茨城県から神様に来ていただいたんですね💦 神様、ご苦労様でぇすぅ♪


 では、今日の近況ノートに参りましょう。今日の写真はGIFアニメにしていますよ。

 https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093087817532765


 ①番は参道の入り口にある石碑です。


 ②番が参道ですね。苔むした石灯篭がステキです。


 ③番は二之鳥居の手前にある車舎くるまやどりです。昔は、二之鳥居から先は、車馬の乗り入れが禁じられていました。このため、春日大社への天皇の行幸や貴族の参詣の折には、牛車などの乗り物をこの車庫に入れて、人はここから歩いて参拝したのです。


 ④番がその二之鳥居です。


 ⑤番と⑥番は、本殿の正面玄関になる南門です。ネットでは『この辺りは、古い石燈籠も密集しており、春日大社に対し古くから多くの人々が信仰を寄せてきたことを実感される所です』と書かれています。


 ⑦番は南門の前にある出現石しゅつげんせきです。ネットを見てみましょう。


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 南門の手前に、柵で囲われた小石がある。

 大きく分けて2種類の伝説が付帯している。

 1つは、赤童子あかどうじ(境内摂社の若宮神社の祭神とされる)が降臨した磐座いわくらという説で「赤童子出現石」「若宮出現石」の名の由来となる。

 もう1つは、宝亀3年(772年)の雷火によって落下した社額を埋納した塚という説があり、「額塚がくづか」の名の由来となる。

 大きさこそ小規模だが、磐座いわくらの事例としても比較的著名なものとして知られ、僅かな露頭という形態も茨城県鹿島神宮の要石などの小型磐座事例群を想起させる。

 (ルビは筆者)

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 なるほど。この石には2つの異なる言い伝えが残っているんですね。


 ⑧番がご祭神の説明書きです。


 ⑨番は南門を入ると正面に見える建物です。幣殿へいでん舞殿まいどのと呼ばれています。


 ここもネットの説明を引用しましょう。


 あっ、皆さまから「ネットの引用ばっかりじゃん! 手抜きじゃあ!」って声が上がりましたね。そりゃそうです! ボクに春日大社の説明なんて、できるわけがありまっシェン💦 だからぁ、手抜きじゃないんですぅ💦・・「そんなこと自慢するな、ボケ!」という声は無視して・・


 それでは、幣殿・舞殿のネットの記事を出しますよぉ~!


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 南門を潜ると正面にある建物で、東側2間を幣殿、西側3間を舞殿といいます。幣殿は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物であり、天井板は格(ごう)天井(てんじょう)となっていて舞殿と区別しています。舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。

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 ここで、番号が飛びますが・・⑰番の写真も幣殿・舞殿を舞殿側から撮った写真です。ネットの説明にある、幣殿のごう天井てんじょうが見えていますね。


 で、⑩番から⑯番は、春日大社本殿とその周囲です。本殿については、またまたネットの記事です(笑)。


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 春日大社の檜皮葺きの中門と御廊に囲まれて、一間社春日造[いっけんしゃかすがづくり]の4棟が東西に立ち並ぶ。それぞれに祭神の武甕槌[たけみかづち]命、経津主[ふつぬし]命、天児屋根[あめのこやね]命、比売[ひめ]神を祭る。現在の本殿は文久3年(1863)の造替で建てられたもので、その後の造替は国宝指定のため修繕・修理にとどめられている。特別参拝にて中門前より参拝・拝観可能。

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 ここで、⑬番の写真を見てください。ここは、藤浪之屋ふじなみのやと呼ばれる建物です。この建物内には多くの釣燈籠が灯されており、2月節分とお盆に行われる伝統行事の『万燈籠』が再現されています。


 万燈籠は、2月の節分と8月14・15両日の夜のみ行われる神事で・・境内にある3,000基の燈籠すべてに火を灯し、人々の諸願成就を祈願するというものです。


 ⑭番はその藤浪之屋ふじなみのやの入り口です。この暖簾をかき分けて中に入ると・・そこは幽玄の世界です!


 ⑱番と⑲番は本殿を取り囲む回廊です。⑱番は本殿の側から、⑲番は本殿の外から撮った写真ですね。⑲番の写真では、外人の団体さんをシカさんがお出迎えしていますね(笑)💦


 ⑳番は回廊から撮った周囲の写真です。木立の向こうに見えている建物は桂昌殿と呼ばれています。ネットには『江戸時代の五代将軍・徳川綱吉の母、桂昌院が奉納した建物です。天下国家安泰の御祈祷所として使用されています』と記載されています。


 では、最後に⑬番の藤浪之屋ふじなみのやの釣燈籠を動画でご覧いただきましょう。幽玄の世界をお楽しみください・・

 https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093087817544041


 ところで、動画には『文政十三年』の釣燈籠が写っていますね。


 文政13年をネットで調べてみると・・


 文政13年は1830年で、約200年前ですね。第十一代将軍の家斉いえなりの治世に当たります。この年には江戸に竜巻・雷雨・雹があり、巷では伊勢おかげ参りが流行したそうです。さらに、この年は、吉田松陰(1830-1859年)が生まれた年でもあるんですね。


 そして、文政13年のうちに年号が天保に変わっています。つまり、文政13年=天保1年というわけです。で、2年前の文政11年(1828年)には有名なシーボルト事件が、3年後の天保4年(1833年)には、こちらも有名な天保の大飢饉(1833~1839年)が起こっています。


 さて、今日はここまでです。


 今日もお付き合いをいただいて、ありがとうございましたぁ。


 (つづく)

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