第10話 時代の移り目

 あれよあれよと恋が実って、大変満足のうちに夢の世界へ誘われた少女とは対照的に、イースティス王国王都中心にある宮廷内では血で血を洗う殺し合いがあちこちで開幕していた。


 ジャンの進言により、先にエールヴェ伯爵邸を急襲したカーネリス率いる歩兵部隊は、他の老将たちと別れた。王都各地に散らばり、王都の封鎖と治安維持、それに明朝の仕掛けを施さなくてはならない。


 ゆえに、宮廷内へそれらの異常を知らせる報告が上がる前に、カーネリスは「反乱を企んだ連中の首魁を捕まえた。国王陛下の指示を直接仰ぎたい」ともっともらしくうそぶき、半死半生のパセア伯爵を引き連れて参内に成功した。固く閉ざされた門が開けば、あとは雪崩れ込むだけだ。指揮下の歩兵が三百人も入れば、大方制圧できる。


 カーネリスは兵の拙速など許さない。だが、巧遅を誇りもしない。確実に要所を押さえ、ひたすらに次へと歩を進める電撃作戦を得意とするものだから、国王の居場所を速やかに捉え、居室に戻る途中だった国王と侍る側近たちの列へと襲いかかった。


 カーネリスの剣が、国王の隣にいた見慣れぬ女の占い師を貫く。もう一人、フード姿ながらジャラジャラとアクセサリの金属音を立てる予言者を名乗る老人が逃げ出す前に、バッサリと斬られた。抵抗を試みる者もいたが、すべてカーネリスの部下たちが片付けた。


 たった一人だけ、王冠を脱いで金刺繍の衣服を纏った国王だけを残し、ベルベットの廊下は赤黒く染まった。無論、国王にしても赤黒いシミにならないとは限らない。

 廊下の壁にへたり込んだ国王が、カーネリスと兵士たちに囲まれる。逃げ場はなく、恐怖に引きつった顔のまま、国王は叫んだ。


「なぜ裏切った、カーネリス! 平民のお前を重用してやった恩を忘れたか!」


 国王の裏切ったという言葉は、まるでカーネリスが裏切る理由があるかのようだ。これはただの反逆ではなく、ちゃんと理由あってのセレネに関することだと自覚があるのだろう。カーネリスはそこまでこの国王が無能ではないと知っている、むしろ名君に近いところにいたはずだ。でなければ、三十年余も仕えていない。


 ため息を堪え、カーネリスは剣をそっと下ろした。


「陛下。お言葉ですが、私は子を殺めようとする親の気持ちは理解できませぬ。どうか、それだけでも考え直していただければ、あるいは」


 そうすれば見逃すことができるのではないか、と最後の最後でカーネリスは譲歩したつもりだった。


 しかし、その意図は通じなかった。恐怖のあまり半狂乱になった国王の剥いた目が、殺された女占い師や予言者と名乗る老人の死体へと注がれ、歯軋りがカーネリスの老いた耳にまで届く。


「見ろ、カーネリス。お前が殺した予言者の言葉は、真実だった」

「……それは」

「あの娘は、やはり殺しておくべきだった! そうすれば、お前は剣を持って参内することはなかっただろう! あの娘にほだされたか? 歴戦の将ともあろう者が、忠誠よりも感傷を優先するとはな! 王国一の知将が聞いて呆れる! 五年前の戦場で、無能のお前の指揮のせいで、お前の息子たちが次々死んだのも頷けるわ! ふん、!」


 それを聞いて怒りを露わにするのは、カーネリスではなく部下たちだ。カーネリスの制止がなければ今にも刃を向けんとする勢いだったが、どうにか命令違反は出なかった。


 五年前の戦場で、カーネリスは窮地に立たされた。正確には、貴族たちの私兵と戦力となる軍の大半は他の戦線に根こそぎ動員され、カーネリスの手元には麾下の部隊以外には弱兵もいいところの徴集兵しか残らず、奮戦むなしくせいぜいが今の戦場を瓦解させないことしかできなかった。そのため、カーネリスと同じ道に進んだ息子たちは率先して最前線に出向き、結局は誰も帰ってこなかった。


 それを子殺しと言われたならば、そうかもしれない。カーネリスの抱いてきた後悔と罪悪感は、一生拭えないことだろう。


「であればこそ、これ以上の子殺しを見過ごすわけにはまいりませぬ、陛下。私は将として無能であった、臣下として忠義を尽くさなかった、その批判は甘んじてお受けしましょう……その覚悟があってこそ、ここに立っているのですから」


 それ以上の問答は必要なく、カーネリスは部下へ「王を監禁しろ」と命じてその場を去った。廊下の先まで尾を引く叫びは、カーネリスへの悪口雑言を多分に含んでいたが、カーネリスは聞こえないふりでやり過ごす。


 各地からの伝令が集まる宮廷の大広間前のエントランスに戻り、カーネリスはやっと一息ついた。


「ふう……」

「お疲れですか?」


 そう声をかけてきたのは、慣れ親しんだ部下ではなく、煤けた灰色の髪をした青年ジャンだ。


「ああ、長年の疲れが溜まっていてな。それよりも、ジャン、貴様も来ていたのか」

「あなたの部下に無理を言って連れてきてもらいました。色々と、見過ごさないようにしなくてはいけないので」


 カーネリスの表情が強張る前に、ジャンは自ら一線を引いた。


「安心してください、カーネリス閣下。僕はセレネと結婚できるなんて思っていませんし、要求するつもりもありません。女王陛下と平民なんて身分が釣り合わない」

「であれば、なぜあの場であんなことを?」

「そうしなければいけないと思ったから、それに、僕はセレネのことが好きです。力になってあげたいと思った、だからせめてこの場にいられるようセレネの結婚予定の相手、という身分を作っただけです。無関係の人間をあなたの傍に置いておくわけにはいかないでしょう」

「まあ、そうでもあるが。しかし」


 随分と周到に考えを巡らせるものだ、と感心していたところに、簡素なドレスとコートを羽織った一人の貴族令嬢が駆けつけ、ジャンに書類の束を手渡した。


「ジャン、持ってきたわ」

「ありがとう、ユーギット。夜中なのに起こしてすまない」

「いいのよ。これで私は、晴れて自由だもの」


 寝起きで化粧をしていないものの、駆けつけてくれたユーギットは嬉しそうだ。ただでさえ美人の貴族令嬢に、幾人か兵士の目が釘付けになっている。


 ジャンは書類の束を、そのままカーネリスへと見せた。


「エールヴェ伯爵邸に保管されていた改革派の貴族たちの使っていた帳簿の数々と、実行予定の計画表と、名簿です。これでどうか、ユーギットを罪に問わないでください。彼女は改革派をよく思っていなかったのです」

「うむ。承知した、必ず責が及ばぬようにしよう」


 これで、たとえ父のエールヴェ伯爵が何の罪に問われたとしても、娘のユーギットまで巻き込むことはない。ユーギットはジャンの味方ではあるが、改革派貴族の味方ではなかった。もしエールヴェ伯爵家が存続できず貴族でなくなったとしても、ユーギットはその才能を活かして望んだ未来へ進んでいくことができる。


 カーネリスが受領したのを見届けて、ユーギットが帰ったのとほぼ入れ替わりに、老将の一人が息を切らして走ってきた。


「おーい、カーネリス! 王都全域を制圧したぞ。新聞社も押さえた」

「よし、それでは」

「ジャンの坊主からもらった原稿を複製して渡して、明日の新聞に国王の退位とセレネの戴冠式の日取りの記事を載せるよう命じておいた。いやはや手際のいい、おかげで面倒がなかったわ!」

「そんなことまでしていたのか? この短時間に?」

「馬に乗せてもらいながら原稿を書きました。歩きながら論文を書くのは慣れているので。こちら、原稿です」


 ジャンは胸を張るでもなく、誇るでもなく、淡々と新聞記事の原稿をカーネリスへ渡す。カーネリスが原稿へ目を通すと、国王の退位はもちろん、新女王セレネの戴冠式を一か月後の建国記念日に行うことまで記載されていた。少しばかり文字の歪みが気になる原稿だったが、文句のつけようがない出来だ。


「貴様というやつは、大臣の座でも狙っているのか?」

「ご冗談を、絶対に嫌です」

「ははは、そうか。惜しいな、うむ、惜しい。平民でも軍人ならば……いや、そのひょろっこい体では無理か」

「向いていませんよ。残念ながら」

「ならば、貴様は褒賞に何を望む?」


 今回ジャンの果たした役割を考えれば、宮廷への任官、軍やどこかの官庁への抜擢は叶うだろう。セレネとの結婚だけは叶わないが、それでも平民の青年に与えられる将来の道としては破格だ。


 だが、ジャンはそれらを受け取らなかった。


「ほんの少しでも、『鬼才スター』の希望を見せてもらいました。それで十分です、もう何もいらない」


 カーネリスへそう告げて、ジャンは大兵営へと帰っていった。


 プロポーズまでしたくなるほど可愛いセレネが待っている。

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