6-2 対人訓練

      二


 風子学園には六つの武道場が存在する。風、土、火、水、雷の才の訓練にそれぞれ特化した五つの武道場があり、そのどれもが才に合わせた独特の設計になっている。


 咲羅が今いるのが、才ではなく純粋な剣技を訓練するための第六訓練場だ。中学校にあった剣道場を彷彿とさせる板張りの床には、咲羅の汗が飛び散っていた。壁には過去の名剣士たちの掛け軸が飾られており、その厳しい眼差しに見守られながら、咲羅は日々の鍛錬に励んでいた。


 咲羅は息を整えながら、再び構えを取った。しかし――。


「ほら足元が、おろそかになってるよ!」


 祥子の声に反応した咲羅は、左足を浮かせると同時に右足で床を強く蹴り、後方へ下がる。元いた位置で、黒い残像が弧を描いた。短い風切り音がし、体勢を整える間もなく追撃を受ける。腕をクロスさせ顔面への攻撃は防ぐも勢いは殺しきれず、咲羅は重心を崩し尻餅をついた。腰を強く打ち息が詰まる。


「まだまだだねえ」


 咲羅は腰をさすりながら、師匠を見上げた。


 祥子は、長さ一メートルほどのゴムでできた棒を肩に担いでいる。髪と同じ躑躅色の長袖のトップスと黒のレギンス姿の彼女はその美しいボディラインを誰にともなく見せつけていたが、額には汗一つ浮かんでいない。


 対して咲羅は、上下のスポーツウェアが汗でびっしょりだ。


「でも――」


 祥子は起き上がる咲羅を棒で指した。


「刀を離さなくなったのは上出来だよ」


 咲羅は打刀・春風はるかぜを握り締める。


 祥子と出会って約一ヶ月。マンツーマンで修行をつけてもらった咲羅は木刀を卒業し、真剣を使った対人訓練に臨んでいた。最初は人に武器を向けることに躊躇したが祥子が常に《結界》を身にまとっていると知り、次第に本気で向かっていけるようになった。


 しかし、本気で向かったところで、自分の攻撃が祥子に届くことはない。咲羅は祥子の《結界》を揺らすことすらできないことに、少し落ち込んだ。


「なんだい。そのしけた顔は?」


 咲羅は切っ先を下げ、俯いていた。背の低い咲羅が下を向くと、祥子からは頭頂部しか見えない。


 咲羅は呟くように言った。


「わたし、強くなれてるんでしょうか。夕希や舞弥は実技特訓のたびに倒す魔物もどきの数が増えてるし、難しい任務にも挑戦していってます。でも、わたしは昨日も討伐に失敗して、助けてもらって……」

「あんたネガティブだねえ」


 ストレートな言葉が咲羅の胸に刺さる。祥子は鼻で笑いながら、ゴム棒を肩に乗せた。


「失敗なんてして当たり前じゃないか。あたしなんか、ほら。あんたと出会った時なんて最悪だっただろう?」


 空から吐瀉物が降ってきたことを思い出し、咲羅は笑った。あんな衝撃的な出来事はなかなか忘れられない。


「こちとらあんたの倍近く生きてるんだからね。あんなのかわいく思えるほどのことをたくさんやらかしてきてるのよ。それでも、楽しく生きてるんだからね。若いモンがウジウジしてるんじゃないの」

「はい……」


 咲羅は返事をしながらも、腑に落ちない顔をしていた。


「……といっても、あんたくらいの年は色んなことに悩むからね。そうだね。アドバイスするとしたら、他人と比べて不安になった時は、過去の自分と比べなさい」

「過去の自分と? どういうことですか?」

「そうだね。例えば……あんたが風原にきたのはいつだっけ?」

「えっと、三月です」

「そう、三月。じゃあ、二月の自分と比べてみなさい。風人のことなんか何も知らない時よね。その時から、才は何個習得した?」


 納刀し、咲羅は指折り数える。


「それぞれ精霊の声が聞こえるようになったのと、第二段階の才で十個……あ、でも風の精霊の声はもともと聞こえてたから九個か。それに、土の才の第三段階《変化》も入れて十個ですね」

「どうよ。あんた、三ヶ月で十個も新しいことができるようになってるのよ。すごくない?」

「すごいです……」


 咲羅は自分の成長に素直に驚いた。これまで気づかなかった自分の変化に、胸が熱くなる。


 祥子はリップが塗られた魅力的な唇を、横に引いた。


「他人と比べて卑屈になる必要はないの。一つでも新しいことができるようになったり、できていたことがもっと上手にできるようになったら、自分を褒めるようにしなさい。自尊心を自分で育てるの。ありすぎてもダメだけど、咲羅の場合は、自分のこと褒めすぎ? って疑うくらいがちょうどいいわ」


 今度こそ納得した咲羅は、力強く「はい!」と返事をする。


 ちょうどその時――。

 第五武道場に、鉄製の扉が開く時に出る大きな音が響きわたった。入り口を見ると、影が二つ。


「あれ、まだ使ってました? すみません、この後使う予定だったんですが……」


 手前にいた男は、そう言いながらも武道場の中に入ってくる。白い光の中に現れたのは委員長の亮だった。彼の後ろからは、低い位置で滅紫けしむらさき色の髪を一括りにした花色の目の男が、ゆったりと歩いてきている。


「亮に、成季なりきか。久しぶりだね。もう終わるよ」


 祥子が男らに声をかける。


「委員長も特訓?」


 動きやすいジャージ姿の亮を見て、咲羅は尋ねる。亮は打刀を一本、もう一人の男は脇差を二本、腰に差していた。


「うん。あ、この人、僕のパートナーの土守つちもり成季。大学部生だから会ったことないよね」


 成季を改めて見た咲羅だったが、面識はなかった。


 眠そうな目が、咲羅を瞥見した。その眼差しには、何か深い興味が潜んでいるようだった。


「初めまして、冴田咲羅です」


 咲羅がその場でお辞儀をすると、成季は緩慢な動きで近づいてきて、左手をぶらりと前に差し出した。


「はじめまして」


 意外だと思った。頭を軽く下げるだけのあいさつで済ましそうな雰囲気だったのに、思いの外、礼儀正しい人のようである。


 握手を交わし、「よろしくお願いします」と伝えると、成季は小さく頷き、そっと咲羅の手を離した。


「はいはい。あいさつも済んだなら咲羅は研究室に戻るよ」


 祥子がパンパンと二回手を打つ。いつの間にか床の清掃を終え、入り口の方に移動している。


 咲羅は慌てて祥子の後を追った。一度振り返り、亮に向かって手を振る。


「またね、委員長。特訓頑張って」

「うん、咲羅もね」


 亮も咲羅に手を振り返した。その横で立っていた成季は、手は振り返さなかったものの、じっと咲羅を正視していた。

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