二槍さんと初心くん

畑中雷造の墓場

第1話 二槍仲美との出会い

「好きです、僕と付き合ってください!」


 各学年共通の玄関ホール。帰宅ラッシュで大勢いる生徒たちの中、誰しもに聞こえる大きな声で告白した。


 入学式の今日、それまで新しい出会いとワクワクする喜びに満ち溢れていた新一年生たちの話し声が、新三年生、初心正直うぶまさなおの告白により静まり返った。玄関中が今や初心とその前にいる被害者に注目している。


 一方初心はといえば、体を九十度に折りまげたまま、手を差し出して相手の反応を待っている。


「えっと……」


 初心の目の前にあるしわ一つないスカートの裾が、遠慮がちに揺れる。顔はとてもじゃないが上げられない。だが、相手の表情を見なくても初心はこの何十回も見てきた反応と空気感で、察してしまう。ああ、まただめだったか、と。


 最初の被害者となったその女子は見た目通りの明るい声音で、しかし困惑が伝わってくるような声で言った。


「あの、ごめんなさい、私、先輩? のこと知らないし、いきなり告白されても無理です。ごめんなさい!」


 そうか、そうだよな……。大した努力もしてない、なにも変わってないのに告白が成功するわけがない。しかも、見ず知らずの上級生にいきなり告白されるとか、受けてもらえるはずないよな。初心は、握られなかった手を戻し、衆目に晒されながら真っ赤な顔を上げた。


 時が凍りついたように止まっていた新一年生たちは再び動き出し、ざわざわとした話し声がまた始まった。その中には嘲笑はもちろん、直接的な言葉の刃もある。それらに侵されながらも、いつものことだ、気にすんな、と自らに言い聞かせ、よし次いこ、次、と思考を前に立ち直らせたところへ、


「あれ? お前なにやってんの?」


 突然初心の目の前に、イケてるメンズが現れた。ネクタイの色的に、新一年生だと分かる。


 その高校一年生にしては長身の爽やかイケメンは初心ではなく、隣の被害者A子ちゃんに向かって言ったようだった。


「え? いきなりこいつに告られた? はあ?」


 イケメンはA子ちゃんと知り合いのようで、近い距離感で話している。事情を聞いたようで、イケメンは初心に向かって女の子よりも長いまつげを向けて睨んだ。


「なに手ぇ出してんすか先輩。これ、俺のなんで」


 どこかの女子向け恋愛漫画で聞いたことのあるような歯の浮くようなセリフが放たれた。イケメンの手の下にある栗色の若々しい髪の毛が「うへぇ」と嬉しそうに笑う。初心は驚いた。これがあの頭ポンポンというやつなのか。


 恋人同士のやり取り。それを理解した初心は見えない斬撃を食らったように心臓がズシャ、と傷つき、ゲームの世界に入っているわけでもないのに自分の緑色のヒットポイントが削られていくのをはっきりと感じた。


 目の前の二人はもう初心のことなんか壁としか、否、空気としか認識していなかった。


「なあ、お前今日暇だろ? 俺んち親いないし、うち来ない?」


「うん、行く! えへへ」


「なーに笑ってんだよー、おい」


「えへへ、じゃあ泊まっちゃおうかなあ~って」


「お、いいね~、じゃあ買い物してから帰るか」


 コクコクと頷くA子。んじゃ、行くか、と幸せスマイルを浮かべたイケメン彼氏がA子の頭をポンポンと優しく叩き、女の笑顔を見せたA子が手を出す。握って、と言わんばかりの甘えんぼさんの手を自然に繋いで、誰も入れないピンクイエローのオーラバリアを放って玄関から出て行った。初心はそれを、ただ茫然と眺めた。ちなみに繋がれた手は恋人繋ぎであった。


 精神的ダメージが大きすぎて、残っていたHPが一気に赤ゲージを通り過ぎてゼロになった。そう感じた。


「うう……、うっ……」


 見せつけられ精神的に死亡した初心は、その場に崩れ落ちた。


 ああ、なにもそこまですることないじゃないか。告白してふられる、そして周りから揶揄されるってことはもう毎回のことだから慣れてるけど、今のクリティカルな攻撃を受けたのはこの短い人生でも初めてだったよ。うう、もう嫌だ、憐れすぎる、僕……。


 玄関という汚い場所でうつぶせになり、鬱に入っている初心に、容赦のない攻撃がさらに襲いかかってくる。


「あいつまたふられてるぜ」クスクス。


「さすが『ふられ屋』だな、マジウケる」ワハハハ。


 いつもならどうとも思わない嘲笑と陰口が、今日は深々と傷口をえぐってくる。


「いや、むしろあの顔の赤さはゆでだこじゃね?」マジそれな。ワハハハ。


 まだ掃除やらなにかの用事で残っていた三年生の生徒たちだろう。同級生からはもうこういったセリフを吐かれるのは日常茶飯事だ。別にふられた直後じゃなくても言ってくるからなあいつらは。


 ふられ屋といつからか命名されたのも仕方ないとすら思っている。だって、事実だし。腹は立つけど、あいつらは間違ったことは言ってない。僕がふられるから悪いんだ。好きになった人に告白せずにはいられないこのどうしようもない性格が悪いんだ……。




 地面と同化しているゴミ、と間違えられてもおかしくない程度にボロボロ(精神的)になった初心が顔を上げたころには、もう玄関ホールには人っ子一人いなかった。さっきまでぐるぐると苛んでいた自身の声や周りの嘲る声はもうすっかりなくなっていて、これが敗北か、などと一人感じていた。いつもならふられても次にアタックし、五回目くらいでHPが赤ゲージに達するのでその辺でやめるのだが、今日はあろうことか一人目で終わってしまった。せっかくの入学式というビッグチャンスを逃してしまった。


 でもまあ、帰るか。


 どっと疲れが押し寄せてきたような気がして、ため息をつく。砂利やらほこりやらで汚れた制服を払ってから玄関のドアに向かった。




 やけに重く感じるドアを押し開け、外の空気を全身に感じた矢先のことだった。


 ——美少女。いや、それだけでは足りない輝きを放つ、妖精? 天使? いやいや、女神といっても差し支えないほどの強力な光を放つ少女が、初心に向かって手をひらひらと振っていたのだ。玄関を出た、すぐそばの木の下で。


 あ、ありえない……。


 甲子園常連校のホームラン王、そのフルスイングを直に受けたかのような、痛みを通り越して死を覚悟するほどの衝撃が心臓を襲った。ハートの矢が突き刺さった、なんてそんな表現では生ぬるいほどの衝撃。


 呼吸ができなくなった初心はそれでも本能的に前に進んでいる。究極の一目惚れをしたことにさえまだ気づいていないまま、酸素の回っていない頭でその女神の前によろよろと歩いていった。


「あ、……あ……」


 言葉が出ない。心臓が痛い。うるさすぎて、耳が聞こえない。目がちかちかして前もよく見えない。しかし体は真っすぐに彼女のほうに向かっていた。初心を照らす光がそこにあることだけは、本能で理解しているのだろう。


 その天使の前にたどり着く前に、初心はアスファルトの上に手のひらと膝をついていた。落ち着け、落ち着け……! 呼吸をするんだ。ゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐く。す、は、す、は。ダメだ、自分じゃどうにもできない。とにかく息をしなきゃ!


 初心はこのとき本当に呼吸困難の危機に陥っていた。あと数秒このままの状態が続くと、死因が一目惚れと診断され、家族が泣いていいのか笑っていいのかわからない状態になるところだったかもしれない。


 一方、手を振っただけであわや殺人犯になるところだった絶世の美少女は、いきなり死にそうになって眼前でもがいている男子生徒を助けざるを得なかった。彼女は近づいて、その肩を揺さぶった。


「大丈夫ですか⁉ 大丈夫ですか⁉」


 もう目が回るどころか世界が回って、体の感覚が根こそぎ無くなって自分というものがなにかもわからなくなっていた。すると急に気持ち悪くなった。


「うっ」


 体の中心から湧き上がってくるチョコレートマウンテンの本流のようなものが、喉のあたりを通って吐き出したくなって頭を上げた。そのとき、


 ——美少女が目の前で必死に声をかけ続けてくれていたことに気づいた。


「大丈夫ですか⁉」


 距離にして二十センチ。こんなに間近で女の人の、ましてやこんな天使みたいな超綺麗な顔を持つ人間とは、今まで一度だって目を合わせたことがない。


 二重でぱっちりとした大きい黒瞳が初心を心配そうに覗く。すーっと通った鼻筋に、小さく開かれる口。細い首の上にちょこんと乗る小さな顔は、少し子供っぽく、どちらかといえば綺麗よりも可愛い寄りに思えた。


 初心の口元はもう限界まで膨らんだ風船のように破裂寸前だったが、このご尊顔に中身をぶちまけるわけにはいかない、その一心で、死に物狂いでそれを飲み込んだ。


 じゅる、じゅる、ゴクン……。


「プガぁっ」


 なんとか危機を脱した初心は、自分の瞳がこれほどまで女の子の目と合っていたことにまず驚き、同時に火が出るほどの羞恥心が湧き上がってきて顔を背けた。


「大丈夫ですか?」


 さっきからこの子は心配してくれてるんだよな。なのにまだ返事の一つもしていないのは失礼なことだ。初心は斜め下に視線をずらしながら答えた。


「大丈夫です。……それと、好きです」


 本気で心配してくれていた彼女は心底ほっとしたようにああよかったと安堵した。シロツメクサの冠をつけたような三つ編みハーフアップの髪を揺らし、立ち上がろうと「え?」


 口の中がすっぱくてまずくて気持ちが悪いとかそんなことを感じている間にも、まだ心臓が町内会の夏祭りの太鼓並みにうるさかった。


「えっと、今のって……」


 彼女は初心の肩に置いていた手をどかし、少し距離をとってから言った。


「もしかして私今、告白されたのかな……?」


 首をかしげる美少女。肩甲骨の辺りまで伸ばしたさらさらの黒髪も傾く。そりゃあそうだ、いきなり会った男に好きですなんて言われたら全員が全員こんな反応になる。


 目を合わせられないウブな初心は地面を見ながら頷いた。そうです、告白しました、またやっちゃいました、すみません、と。


「そっかあ。う~ん」


 風に乗って、女神様の柔らかい花のようないい匂いが、初心の鼻腔に入ってくる。


「どうしよっかな~」


 おはようやこんにちはより聞いてきたごめんなさいがまだ飛んでこない。女の子の口から断りの言葉が発せられることを予知していたのに、その子の返事はなぜだか違っていた。初心の頭に混乱をもたらした。


「なあ、そろそろいいか?」


「いいかー?」


 と、急に後ろから棘のある声が二つ聞こえた。初心は口から垂れそうになっていたものを肩で拭きながら振り向く。そこには背の高い二人の女子が立っていた。というより、高圧的な態度で睨みつけてきていた。 


「あ、もうちょっと待ってて、今返事考えてるとこだから」


 いまだ菩薩のようなゴールデンオーラを放ち続ける美少女が、その女子二人に答えたようだった。


「返事って、お前なあ」


「なあ」


 ひときわ背の高くボーイッシュな見た目の、性別をもし入れ替えたら絶対にモテモテだっただろう女子が、呆れたようにわざとため息をついて首を振っていた。隣の、女子にしては背の高いこれまた美人も追従するように同じ動きをしていた。


 この二人と初心を助けてくれた女神様の関係は、どうやら友人同士らしい。気づいた途端、あれ、さっき手を振っていたのって、後ろの友達にだったんじゃ……、と思い至る。というか、後ろでずっと見物してたのかよ、と文句を言いそうになる。


「はいお遊びはこれまで、と」


「そりゃー」


 初心が三人の関係を理解し終わったころにはもう、助けてくれた天使様は長身コンビに背を押されているところだった。


「わわっ」


 名残惜しそうにこちらを見る大きな黒い瞳がまた神々しいのだが、いいからいいから、と無理やり前に進まされ、彼女は友人たちとともに去っていってしまった。校門までの下り坂の間中、初心はその背中から目が離せなかった。自然に目が彼女を追っていた。


 校門からさらに下へ続く石階段を三人が降りていき、背中が完全に見えなくなったところで初心は現状を再認識した。


 また僕は勝手に一目惚れして、勝手に告白して、ふられたんだ。しかもあんなトップオブトップ美少女に。自分のものがなくなったわけではないのに勝手に喪失感を感じていると、いや待て、あの可愛くて綺麗な子はまだ僕の告白に対してなにも返事をしていないんじゃ? と脳が言い訳を作り出してきた。


「そうだ、まだふられてない」


 たしかあの子は「もうちょっと待ってて」とか言ってなかったか。聞き間違いではないとしたら、それは初心の今までの人生のふられパターンにも入っていない、一つの可能性であった。すなわち、もしかしたらOKするか迷っている、という可能性。


 あんな美少女と付き合えることになるんじゃないかと心臓が喜びに跳ねていた。さっきの死にそうになった一目惚れの作用とは別のリズムで。


 次、いつ会えるんだろうか、本当にOKしてくれたらどうしよう、などと考えながら立ち上がり、初心も帰ろうと思って坂道を下り始めたとき、


「お~い!」


 歩幅の合わない石階段を快活に跳ねて上ってくる、まばゆい存在が再び現れた。


 初心は思わず、先ほどの二の舞にならないように後ろを振り返ってみた。しかし初心の他には誰もいない。近づいてくる美少女は手を振っている。


 輝きを放つ存在は瞬く間に大きくなっていき、ついに初心の正面にきて立ち止まった。


 膝に手をついて息を切らす彼女の吐息すらも愛おしく感じてしまう。そんな自分に気づいた初心の心臓が、またドキドキし始めた。


「なんで、手振ってるのに、振り返してくれないのさ」


「へ?」


 つい緊張しすぎて変な声が出てしまった。だがやはり眼前の少女は初心に話しかけてきているのだ。間違いなく。


 息を整え、顔を上げた天使様は、初心の目に入りきらないほどのまばゆい笑顔を咲かせた。


「ねえ、さっきの告白ってさ、本気?」


 初めて見た動物に興味津々の四歳児みたいなキラキラした瞳でそう聞かれては、バクバクする心臓を押さえつけてでも初心は答える義務があった。目はとてもじゃないが合わせられないが、


「ほ、……本気だよ」


 と照れながら答えた。すると、笑みがさらに深まった気がして、


「本気かぁ」


 ニヤニヤしながら、それでも嬉しそうに美少女は答えた。


 告白した後こんなに時間をかけられたことのない初心にとっては、初めてのパターンだったため、この後どんな返答が来るかわからなかった。それでも本気かどうかを聞かれたということは、やはり付き合ってくれる可能性があるのではないか。


 可愛すぎる女の子に免疫がないために逸らしていた顔を反対側に逸らし、その途中で目の前の美少女兼天使の顔をちらっと見る。


 笑顔だった。とびきり可愛い。だが効果音をもしつけられるのだとしたら、「パアァァ」とか、「ニコニコ」ではなく、どう考えてもしっくりくるのはただ一つ、「ニヤニヤ」だった。


 ニヤニヤしたその顔もいい。写真を撮って家に大事に飾っておきたいな。返事が来るまでの間にそんなことを考えていると、彼女の中で考えがまとまったようだった。


「じゃあ、知り合いからなら始めてもいいよ?」


「……知り合いからって?」


 初心が戸惑った声で聞き返すと、


「そ、よくお友達から始めましょう、とか言うでしょ? 結婚を前提にお付き合いしてくださいとか。それの、知り合いからバージョン」


「……はあ、なるほど」


 知り合いから始める、ということはつまり、つまり、どういうことだ? OKでもNOでもない返事は生まれて初めてだったので、初心は自分の告白が仮とはいえ成功したことに気づいていなかった。


「まだピンと来てないみたい? その反応」


 ニヤニヤ笑顔を浮かべながら彼女は逸らしていた初心の顔を追いかけるようにして回り込む。目が合った。


「だから、いきなりお付き合いを始めるのって私にとっては変なことで、だったら知り合う所から始めましょってこと」


 目が合ってからは吸い寄せられるようにしてそのまつ毛の長い綺麗な瞳から逃れられない。万有引力の法則に従って、初心の視線も彼女の瞳から放たれる引力には逆らえない。


「君が私のことを本気で好きなんだったら、あとは一緒の時間を過ごしていくなかで私があなたのことを好きになれるかどうかってことだと思うんだ」


「えっと……わかったと思う、けど、どうして?」


 彼女の言いたいことはおおよそ理解できた。


 だが疑問は生じる。冷静に考えてみれば彼女のようなモデルや女優などの芸能人になれる素質を持っている人間が、なぜ初心のような冴えない男子と仮とはいえお付き合いする気になったのか。


「うーん。……なんか面白そうだし?」ニヤニヤ。


 え、面白そう?


 ああ、たしかに家では面白いね、とか言われるし、わりと家族を笑わせることも多いから、多少は面白いやつだとは思ってるけどね。だから、


「うん、僕面白いよ!」


 そう言うと彼女は、ニヤニヤ顔から上品な令嬢のような笑みに戻り、口に手を当てて、


「フフ、やっぱり君、面白いね」


 誰もが虜になってしまうような声音で初心のことを褒めたのだった。


「えっと、じゃあ、今日から、知り合いから始めて、いつかは彼女になってくれるってことだよね?」


「うんまあね、あくまでも私が君のことを好きになったら、っていう条件付きだけど」


 それはもちろんそうだろう。好き同士じゃないのにカップルになるなんて、おかしい。黒く艶やかな髪にそっと手を添える姿も絵になるな、いっそ今から画家でも目指そうかなんて妄想をしていると、


「でも君、待つのは得意?」


「待つって?」


「私が君のことを好きになるまで、一体どれだけ時間がかかるかわからないから、それまで待てるの? って意味」


 それくらい、今の初心には些細なことだった。好きな女の子とたとえ知り合いからでもお付き合いを始めることができるのだ。ちゃんとおしゃべりして、一緒に帰ったり、デートなんかももしかしたらできるかもしれない。ただそれだけのことで天にも昇る気持ちになってしまうのだから、ここでそんな条件飲めないからお付き合いを始めない、という選択肢など端からないのだ。だって、こんな一億年に一人の逸材だよ? 逃すわけにはいかないじゃんか。


「たとえ一億年だって待つよ」


「え?」


 妄想がそのまま言葉と繋がって出てしまったことと、なんか気障っぽいセリフを吐いたせいか、彼女は目を丸くしていた。


 しまった、と首のあたりから赤面していくのを感じた。初心のその赤ら顔っぷりを見たからなのか、眼前の天使はぷくっと膨れた頬から勢いよく吹き出して笑った。


「なにそれ、面白っ!」


 ケラケラと腹を抱えて笑う彼女は、こっちが素なんだろうなと他人にも分かるくらい女子力を無にした笑い方をする。こっちまで誘い笑いをしてしまうほどの大胆な笑い方。腿のあたりを叩いて爆笑している。


 とここで、階段の下からさっき見た天使兼女神の友人二人がだるそうに階段を上ってきた。


「なかみー、早くしろよー!」


「しろー!」


 呼ばれた彼女は初心の前で笑い、涙を拭いてから振り返り、大声で返した。


「ごめーん! 今行くー!」


 そうだった、忘れ物したから取りに行ってくるって言ったんだった、と舌を出しながら頭を小突いた小悪魔的な仕草に、初心のときめくハートは体内で暴れ回る。


「じゃね!」


 小脇で手を振るその仕草も可愛すぎてくらっときたが、初心はまだ彼女の名前も聞いてないことに気づいた。だから、


「あ、名前、なんていうの?」


 彼女は立ち止まって振り返る。まるで太陽が彼女の存在だけにスポットライトを当てているかのように思えるくらいには輝いて見えた。


「ニヤリナカミ。一、二、三の二に、やり投げの槍、仲良しの仲に美しい。二槍仲美!」


 二槍仲美。そう呟いた初心はその名前を一生忘れないように心に刻み込んだ。忘れないようにといっても、たとえ認知症になっても絶対に忘れない自信はすでにあった。なぜって衝撃的に可愛すぎるからね。


「二槍さん、僕の名前は——」


 自分の名前だけ名乗って友人の元に駆けていこうとする二槍の背中に、初心正直という大したこともない名前を知ってもらおうとしたのだが、


「——知ってるよ! ふられ屋さんの初心くんでしょ!」


 ニカっと笑ったというより、咲いたという表現のほうが正しいと思えるほど花のような綺麗な笑顔で言った彼女は、大きく手を振って走っていってしまった。


「ふ、ふられ屋『さん』……」


 今まで悪口として言われてきたふられ屋の称号を、たった二文字「さん」をつけるだけでこんなにもいい言葉として生まれ変わらせることができるなんて、考えたこともなかった。ふられ屋さんという単語が耳に残り、初心の体に響き渡った。鼓膜から入った『ふられ屋さん』成分が全身の隅々まで移動し続け、つま先まで巡って最後に心臓に到達した。


 初心はその場で倒れた。キュートな呼び方で呼ばれたことと、可愛い子と長く視線を合わせすぎたせいで恋の熱が暴走し、キュン死にしたのだ。

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