AM 1:45 ドライブ

 私と翔太は私服が血で汚れないよう、まず翔太のジャージに二人して着替えた。


 大量の血が毛布に染みて見えてこないように、洋子さんの体は何重にも新聞紙で覆われてから毛布に包まれた。


 そして、もう一度元の服に着替えなおす前に、手など血のついている部分をシャワールームで洗い落とす。


 さっき使ったばかりらしいシャワールームだった。翔太は、私を呼ぶ前にシャワーをすでに一度浴びていたのだ。自首の言葉は、ハナからこの男の頭にはなかったようだ。


 身綺麗にしてから、洋子さんを二人で運ぶ。翔太はとにかく腕力が無く、本当に男か疑うくらいのレベルなのだが、幸か不幸か洋子さんは非常に華奢で、私と二人がかりなら何とか運べた。


 翔太の派手なスポーツカーの荷台に洋子さんの遺体を積み、私と翔太はアパートを後にした。


 いかにも路地裏といった感じの狭い道から、とりあえず広い国道に出る。


「……美咲」


 翔太が不意に私を呼んだ。


「何?」


 私は、おずおずと無表情なままの彼を見た。


「オレの事、キライか?」


 言ってから、翔太はわずかに顎を引いた。運転が上目使いになる。


 それは、私に何かをねだる時にやってくる、癖のようなものだった。いつもはクソむかつくような甘えた笑顔でやってくる仕草なのだが。


「……刃物で人を脅しておいて言うセリフじゃないでしょ?」


 敢えて、いつものノリでそっけなく返した。


 時々、少しだけいつもの翔太が返ってくる。それを見るたびに、何とも言えず心が変に揺さぶられた。そんな気持ちを知ってか知らずか、翔太は言いたい事をそのまま言う。


「でも、オレの事好きなんだろ?」


 確か私は、もう付き合う気はない、と言ったはずなのだが。彼はいつも、自分の都合の良いようにしか物事が見えていない。


「あんたが洋子さんと一緒に住んでる事を知るまではね」


「違うんだよ。オレは何度もあいつに『別れよう』って言ったんだぜ。なのにあいつが聞き入れねえから」


 どうせ二股がバレてから『別れよう』と言い出したのだろう。私はそう思ったが、あんまり平時のつもりで軽口をたたいてしまうと、何をされるか分からない。軽く頷くだけにとどめ、再び押し黙ることにした。


「年上の女となんか、付き合わなきゃ良かった。面倒くさいんだよ、色々と」


「お前といる方が落ち着くんだよ。分かってくれよ、美咲」


 私が黙ったのを良いことに、翔太は次々と本音をぶちまけてきた。

 とにかく、この男の心は子供だ。自分の気持ちばかり分かって欲しくて、他人の気持ちが全く見えていない。


 そんな彼を面白がって、私は彼と交際を続けていた。私の方も、決して褒められた女ではないのだが。


 私は、殺されるかもしれない覚悟で、敢えて聞いてみた。


「洋子さんは分かってくれなかったから、殺したの?」


 場の空気が冷えたのを感じた。翔太はまったく表情を動かしていないというのに。


 折悪しく赤信号。右折のウィンカーを出しながら、翔太はハンドルに覆いかぶさるようにして腰を曲げた。


「……最初からこうすれば良かったんだ」


 絶対にそんなわけない。


「洋子はお前に何て説明したか知らねえけどさ。オレはマジであいつと別れてお前と付き合おうとしてたんだぜ。なのに、あいつはダメだって言いやがって」


 どうしても口数を増やせない私を尻目に翔太は、洋子さんが私の事を知るようになったきっかけを語りだした。


 翔太は元々、洋子さんと別れて私だけと付き合いたいと思っていたらしい。そのため、私の事を伏せて洋子さんに別れ話を持ちかけたという。


 唐突な別れ話に洋子さんは聞く耳を持たなかった。他に女が出来たのね、と迫る彼女に対して白を切っていたら、何と探偵を使って私の存在と住所を突き止めたという。


 それで、私の部屋に単身乗り込んでいったらしいのだが、あいにく実家に帰っていて留守だったので、翔太に私がいつ帰ってくるかを聞き出して、あの日二人で待ち伏せた。と、こういう事らしい。


 翔太の話が本当なら、話をこじらせたのはむしろ洋子さんの方だとも言えなくないが、かなしいかな、私は彼がすぐ話を盛るのを知っていたので、信じる気にはまるでならなかった。探偵を雇ったなんて話も大げさすぎて怪しい。


「信じてねえな……」


 青信号になるかならないかのタイミングで、翔太はアクセルを踏んだ。急発進で、ドリフト気味に車が右折する。


 運転席側のドアには収納スペースがあり、そこには先ほどの血の付いた包丁がある。その気になれば、いつでも彼は私を殺せるのだ。私は、機嫌を損ねたらしい彼の右手に意識を割かずにはいられなかった。


 幸い、その手はハンドルから離れることなく、運転が中断される気配もなかった。


 スポーツカーは、近所迷惑気味な排気音を立てながら、深夜の国道を走っていく。どうやら行先は、高速道路のインターチェンジのようであった。

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