黄泉小径 ―ヨモツコミチ―
小曽根 委論 (おぞね いろん)
壱 平成二十六年
AM 1:00 洋子さん
私はそこで呆然と立ち尽くしながら、初めて洋子さんに会った時の事を思い出していた。
それほど古い付き合いではなかった。初めて会ったのがお盆の終わり際だから、およそ二、三か月ていどの仲だ。私が連休を使っての里帰りから戻ってくると、アパートの部屋の前でバツの悪そうな翔太と一緒に待っていたのだ。
ああ。翔太のオンナか。私は一目見て無感動にそう思ったのを覚えている。
一応、私は翔太のカノジョだ。だから、本来ならもう少し取り乱すのが当たり前なのかもしれなかったが、残念ながら私は翔太の節操というものを全く信用していなかった。
「どちら様ですか?」
超冷静に私は聞いた。
ブランド物と思しきスーツに身を包んだ、明らかに年上なその女の人は、感情的な視線を私に向けた。
「あんたこそ、誰よ」
私の家で待っていて、誰だもなにもあったものではない。さすがにその返しは想定していなかったので、思わず視線が翔太の方へ泳いだ。
翔太は全くこっちを見ようとしない。あからさまに私と洋子さんとのやり取りにそっぽを向いている。
「えーっと……沢沼、美咲です……」
仕方がないので自己紹介すると、
「そうじゃなくて!」
何故かヒステリックに叫ばれた。ハイヒールのかかとがカツンと一回鳴る。
「じゃあ、何なんですか。人ん家に勝手に押しかけておいて」
さすがに少しイラッとして私は言い返した。私は実家帰りなのだ。ちょっとそこのコンビニまで行って来たわけではない。早く家に入って休みたいのが本音だった。
いきなり不機嫌になった私を見て戸惑ったのか、案外あっさりと洋子さんは気を落ち着かせてくれた。
それで、結局この人が何者かと言うと。
「私は、この人の同棲相手です」
わずかに顎が上がり、勝ち誇ったような素振りをにじませながら彼女は言った。
私はため息をこぼした。そして、うんざりした顔で翔太を見る。
「……じゃあやっぱり、あんたの家にあった歯ブラシとか女物の服とか、元カノのヤツじゃなくてこの人のものなのね」
「この女、部屋に上げたの!?」
一度は落ち着けた剣幕をすぐにまた荒げ、洋子さんは翔太にくってかかった。
「いや、その……」
いつも何を聞いてもド適当な返事しかしない翔太だが、さすがにこの時は言葉に詰まった様子だった。
あああ。いつかこんな日が来るとは思っていたが、よりによって今日来るか。
私はそう思いながら、怒れる彼女に名前を聞いた。
自己紹介もする気がなかったのだろうか。意外そうな顔をしながら、園田洋子と彼女は名乗る。
「園田さん。安心してください。この人、私とは多分遊びで付き合っていただけです」
私が言い放つと、洋子さんは目を丸くした。ハッキリと目が合ったが、何かを言いかけた翔太へすかさず視線を動かしていた。案外表情がコロコロ変わる人だ。可哀そうな翔太は言葉を失い、あさっての方向へ視線を遊ばせていた。
「私が以前そちらの家にお邪魔した時、彼は貴方の私物を、元カノが置いて行ったものだから近々捨てる、て言ったんです」
そんな翔太を不機嫌そのものな表情で見つめる洋子さん。仏頂面とは、ああいう顔を言うのだろう。
「あの雑な嘘を聞かされた時に、ああ、いつか今日みたいな日が来るだろうな、とは思ってました。それでいながらこの関係を続けた事はお詫びしますが、これ以上私はこの人と関係を続けていくつもりはありません」
可哀そうな翔太は何も言えぬまま、顔を真っ赤にして私を睨みつけていた。
おお、おお。どの顔がそんな表情するかね。この二股男。
正直、こんなことを言ったらもっと激しい修羅場になるかもしれないとも思ったのだが、冷めた様子の私を見て妙に安心してしまったのか、洋子さんはそこから何も追求してこなくなった。
これが、私と洋子さんの最初の出会いだ。
私はてっきり、これで翔太と縁を切れると思っていた。後は洋子さんが翔太を説得し、私と会わないようにしてくれれば、それでこの問題は解決のはずだった。
ところが翔太のヤツが『洋子よりも美咲の方が良い』などと言い出したから、たまらない。
翔太は、洋子さんと一緒に住んでいるアパートから彼女を追い出そうとし始めた。ちなみに後で聞いた話では、元々このアパートに住んでいたのは洋子さんとの事。当然、名義も彼女のものだ。出ていかなければならないのは、どう考えても翔太の方だった。
残念ながら、この男にはその辺の常識が通じない。出ていけ。嫌よ。何で私が。出口の見えない押し問答が、毎日のように続いていたらしい。
もちろん、私からも翔太に説得を続けていたが、とにかく聞く耳を持たない。私と洋子さんはどうすれば良いか分からず、何度も会って相談をした。こうなると不思議なもので、二人の間には奇妙な連帯感のようなものが生まれていた。翔太は二人の共通の敵になり、洋子さんもヤツとの交際を続けていく意思が無くなっていった。
洋子さんは商社に勤めているキャリアウーマンで、会った時の食事代はいつも彼女が持ってくれていた。何でも出来そうに見えたが料理はまるで苦手らしく、いつも奢ってもらっている御礼にと私が手料理を振る舞った時には、子供のように目を輝かせて凄い凄いと褒めてくれた。洋子さんは容姿端麗で美人だったが、笑った時の洋子さんの顔は可愛らしかった。
悪い人ではないんだな、と思った。私と洋子さんは、短い期間に何回も会った。
そして、ようやく翔太が彼女の部屋から出ていくことが決まりかけ、明日はそのお祝いをしようと連絡を交わしたその日の深夜。翔太からの呼び出しがあり、もうすぐ彼がいなくなるはずの部屋に私は招き入れられた。
そして、今に至るのだが。
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