わたしの大切なお嬢さま

 わたしには大切なお嬢さまがいます。お名前はアンネローゼ・フォン・ハミルトン。ハミルトン公爵家のご令嬢です。

 ……申し遅れました、わたしはエリス。エリス・アルフォード。アルフォード男爵家の生まれです。

 好きなものはアンネローゼさまと甘い茶菓子。嫌いなものはアンネローゼさまを馬鹿にする輩です。


 とはいえ、いまでこそアンネローゼさまのことを好きだと言えますけど、昔は正直、少し。いえ、完全に苦手でした。最初の出会い、それが本当に悪い意味で印象的すぎましたから。そのことはいまでも鮮明に思い出せます――。









 ――あの時、わたしはお祖父様。セバス・アルフォードに呼び出されハミルトン公爵家の屋敷へ足を踏み入れていました。ちょうど、わたしが5歳の頃です。


「おじーさま、エリスにごようじですか?」


 あの時はわたし自身呼び出されると思っていなくて、不思議に感じていたことを覚えています。

 お祖父様は優しく頭をぽんぽん、と叩いたあと、撫でてくださいました。あのときのお祖父様の手、大きくて暖かかったなぁ。……こほん、それはともかく――。


「あぁ、そうだよ。かわいいエリス。ちょっと、エリスに頼みたいことがあるんだ」

「わたしに?」


 思えば、あのとき既にお祖父様はアンネローゼさまのお父様。ルキウス・フォン・ハミルトン公爵閣下から絶大な信頼をたまわり、寵臣ちょうしんとして扱われていました。

 そんなお祖父様が、わざわざこんな小娘を必要とする。それが不思議でなりませんでした。


「実は、エリスに会いたい。と、おっしゃられている方がいての」

「わたしに、会いたい……?」


 ――わたしに会いたい。いくらお祖父様、セバス・アルフォードの孫娘だと言っても、それだけです。別に特別ななにかができるわけでもない小娘に会いたい、なんて言う物好き。それが誰なのか、すごく気になったのは確かでした。

 その時、わたしに天啓が走りました。……いまでこそ、笑い話にできますが当時のわたしは真剣に、そのバカバカしい可能性を考えていました。


 きっと、ルキウス公爵閣下がお祖父様からわたしのことを聞いて興味を持たれたんだ。見初められて、めかけにされるんだ。なんてことを。

 きっと、当時のルキウス公爵閣下が知れば、自身が幼女趣味だと勘違いされていたと嘆き、膝から崩れ落ちたことでしょうし、お祖父様もお腹を抱えて笑われたに違いありません。

 色々な意味で不敬ですが、それが許されるのが公爵閣下とお祖父様の関係でした。……後にお嬢さまへこの事を話したら、『まぁ、お父様とセバスは水魚の交わりだしねぇ……』と、感慨深げに呟かれていました。

 わたしは良く分かりませんでしたが、その後、何やら慌てた様子で水魚の交わりとは、異国のことわざで文字通り水と魚のように切っても切れない関係のことを指す、と教えていただきました。

 本当にお嬢さまは物知りで、色々なことをわたしに教えてくれたんですよ。


 ……少し話が逸れましたが、そんな馬鹿な可能性を真剣に考えたわたしは、カチコチに緊張してしまいました。当然です。いまではあり得ない話ですが、もしわたしがめかけになることが出来れば、それだけでアルフォード男爵家の家格を上げることができます。

 とくにアルフォード家は陪臣ばいしんの家ゆえ、主家であるクラン伯爵家の叛逆に荷担せざるを得ず、一時期御家取り潰しの危機でした。

 事実、領地。アルフォード男爵領は召し上がられ、捨扶持によりかろうじて存続を許された、と聞いています。

 わたしが生まれるどころか、お祖父様が家督を継承する前の話です。まぁ、それでも主家のクラン伯爵家よりはマシでしょう。御家取り潰しの結果、一家離散。ご当主に至っては、はりつけの晒し者となり、最後には斬首された、と聞きます。それに比べればアルフォード男爵家がいかに温情をかけられたか、というのが分かります。


 そして、いまでは領地こそ持たないものの、ハミルトン公爵家の直臣じきしんとして、御家の内を差配できるほどの信頼を得ています。

 それもこれも、先代様がお祖父様を見出だされたこと。そして、お祖父様もその期待に応えたこと。何より、ルキウス公爵閣下の教育係に抜擢され、無事に完遂されたことが大きいです。まぁ、簡単に言えばすべてお祖父様のおかげです。

 だから家内ではお祖父様のことをアルフォード男爵家中興の祖、なんて持て囃す方も多いです。そのお祖父様は『ただ、我らの忠義を貫いたのみ。その結果だ』と語られ、一族に忠義の重要さを説くのみでしたが……。


 ともかく、そんなお祖父様からの頼み。それが尋常なものではないことくらい、幼いわたしにも理解できました。だからこそ勘違いした、とも言えますが……。

 お祖父様もお祖父様で、家での自身の評判など分かりきっていましたから、緊張しているわたしを見て、苦笑いをされてました。あるいは、わたしが想像していることとは別の難事に同情されていたのかもしれません。


 その後は、とくに会話もなくお祖父様の後ろをトコトコ、と着いていきました。その間、わたしとお祖父様を見ていたメイドたちがひそひそ話をしてこちらを見ていたのが印象的でした。……正直、見世物にされているみたいで気分は良くなかったです。もっとも、いまとなっては彼女たちの気持ちも分からなくもないですが……。

 それはともかく、トコトコ着いていっていたわたしですが、少しづつ気配、というか雰囲気が変わってきてなにかおかしい、と感じていました。どう考えても屋敷の中心から離れていってます。この時点でルキウス公爵閣下への拝謁ではないことくらい分かりました。では、どなたが……? 当然の疑問です。


 そのことを質問しようとした時、お祖父様が話しかけてきました。


「エリス、着いたよ。……お嬢さま、つれて参りました」

「……セバスか。入れ」


 おそらく、目的の部屋。その中から聞こえてきたのは尊大な物言いでしたが、愛らしく、高い音色の声でした。

 許可を得たお祖父様、そしてわたしはさっそく中へ入ります。

 そこに居たのは金糸の髪を流し、赤い、血のように赤いドレスを纏った人形のように可愛らしい幼い少女。ですが、その、魂ごと吸い込まれそうな紅玉の瞳。それに見つめられ、わたしは全身からぶわっ、と汗が吹き出ました。

 それはまるで捕食者に睨まれた非捕食者。正直、死すら覚悟しました。それくらい怖かったです。

 その視線がじっ、と舐め回すようにわたしを見つめてきました。恐怖から、びくびくと身体を震わせていたのを覚えています。

 そこで、背中をポン。と叩かれます。お祖父様です。

 綴るようにお祖父様を見つめましたが、それには応えてもらえず、お嬢さま。アンネローゼさまへの挨拶を促されました。

 わたしは震える身体を抑えながらカーテシー、スカートを広げながら挨拶しました。


「……初めまして、アルフォード男爵家のエリスでございます。ハミルトン公爵家ご令嬢、アンネローゼさまのご尊顔を拝謁し、光栄にございます」

「……ほぅ」


 ……声は、震えてなかったと思います。わたしの挨拶を受けたアンネローゼさまは、面白いものを見た。とばかりににやり、と笑われました。

 そして、お祖父様を見やると喜色を含んだ、弾むような声で語りかけられました。


「なるほど、セバスが自慢するだけのことはある。なかなかにさかしらじゃないか。将来が楽しみだな。なぁ、セバス?」

「恐縮にございます」


 アンネローゼさまのお褒めの言葉に、お祖父様は深々と頭を下げました。その時点でわたしの頭の中で特大の警鐘が鳴らされました。ですが、わたしにそれをどうにかする方法なんてなくて――。


「ふむ、お父様から聞いていようが、セバス」

「はっ!」

「この娘、エリスを俺――いや、わたくしの専属メイドとする。異論はないな」

「勿論にございます。……エリス、これからはお嬢さまのもとで励むんだよ。良いね?」


 お祖父様が優しい音色で説かれます。が、わたしの耳、というより頭には入ってきませんでした。

 ただ、ただ恐ろしくて。でも、お祖父様たちに悟られないよう身体の震えを抑えるので精一杯でした。







 これがわたし、エリス・アルフォードと親愛の主。大切なお嬢さま、アンネローゼ・フォン・ハミルトン公爵令嬢のはじめての出会いでした。


 ちなみに後日、この件をお嬢さまのお茶会で冗談交じりにぶちまけましたが、お嬢さまはそんなに怖がられてたんだ。と、がっくし、と肩を落とされ、ご友人の皆様。とくに無二の親友であるマリア・エルミナ侯爵家ご令嬢は笑いを堪えるのに必死になられていました。

 まぁ、お一人。ドラクロワ伯爵家ご令嬢、ソフィーお嬢さまは盛大に笑われ、締め上げられておりましたが……。

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