神聖術士(ヒーラー)は大切に(チヤホヤ)されたい
遠野月
第1話 天使のような笑顔の裏は、だいたい悪党
天使のようだと、フラウは思った。
目の前の女性は、希少な、神聖術士だった。そんな彼女が、まさか自分たちのところへ来てくれるとは。
フラウは、冒険者となって二年が経っていた。いまだ駆け出しの、銅章冒険者だった。自分と同じ剣士のカイルと、精霊術士のティダも同様である。三人揃っても、青鉄章はまだまだ遠いランクだった。この街で最も高ランクの銀章など、もはや雲の上の存在に見えていた。
フラウ率いる銅章三人の冒険者パーティに、神聖術士がやってくることは奇跡に近かった。しかも駆け出しの冒険者が請ける程度の依頼に付き合ってくれるという。なぜか、契約料も高くなかった。その神聖術士は、神聖術士であることを鼻にかけていない。フラウは目の前の、神聖術士である彼女に、尊敬のまなざしを送ることしかできなかった。
「それで、今日はどこに?」
神聖術士のアルナが尋ねた。
磨かれたように透き通った声だなと、フラウは思った。
「……フラウさん?」
「……え、あ、はい。この街の北の集落へ行きます。集落を襲う魔物の討伐依頼を受けたんです」
「魔物、ですか。種類は……?」
「芋虫です」
「芋虫」
アルナが復唱した。少し考えたような素振りを見せた。
嫌だろうな。フラウはアルナの気持ちを察した。芋虫退治の依頼を好んで請ける者などいないからである。この手の依頼は初心者冒険者へ回されているので、希少で厚遇されている神聖術士が関わることなどまずなかった。最悪、この場で断られてしまうかもしれないなと、フラウは覚悟した。
ところが、その覚悟は不振に終わった。
アルナが笑顔のまま頷いた。
――やはり天使なのではないか。フラウは再び思った。
「それでは宜しくお願いします」
ぼうっとしているフラウに、アルナが深々と頭を下げた。フラウは慌てて頭を下げ返した。
顔を上げると、アルナと目が合った。瞳の色が優しく揺れていた。吸いこまれそうだと、フラウは思った。この天使はいったいどんな人なのだろう。今日からどんな冒険が始まるのだろう。まるで冒険者になったばかりの日のように、フラウの胸は高なっていった。
◇ ◇ ◇
最悪だ。
アルナの心は、嫌悪感に満ちていた。
魔物の芋虫退治は、気持ち悪い以外のなにものでもない。運悪く体液を浴びれば、湯に浸かっても臭いが取れないのだ。
しかしアルナは断らなかった。いや、断れなかった。
アルナには、模範とするべき人物がいるからだ。
数百年前に存在した、神聖術士の聖女。アルナはその聖女を尊敬していた。人生の道しるべにするとまで決めていた。それだけではない。アルナは伝説の聖女のように冒険をして、大恋愛をもしたいと願っていた。
聖女への想いが、アルナの素の性格を覆い隠していた。常に笑顔で、どんな頼みも断らない。謙遜を忘れず、好印象を与えつづける。かすかでも悪い印象を他者に与えまいと、アルナは努力しつづけていた。
だからこそ、断れなかった。
アルナは、フラウたちに笑顔を振りまきつづけた。
芋虫が襲うという集落の宿へ着くまで。
『そこまでせなばならぬものか』
宿の客室に入るや、神聖霊がアルナに声をかけた。
その神聖霊は白い狼だった。アルナだけが、その姿を見ることができる。
アルナは狼に向かって、面倒臭そうに頷いた。
「……聖女さまに近付くためだもん」
『気が休まらんだろう。せめて青鉄章以上の冒険者とだけ契約せぬか。そのほうが楽であろうし、給金も良かろう』
「そういうの、こちらが選別したらさ? 聖女さまっぽくないじゃない?」
『……まったく、とんでもない腹黒聖女であるな』
「腹黒って言わないで」
アルナは苦い顔をして、ベッドに横たわった。クッションに顔を埋める。
アルナが泊まっている部屋は、他よりも値段の高い客室だった。もちろん自分で選んだわけではない。フラウたちが気を利かせて用意したのだ。アルナは当然断ったが、断り切れなかった。客室の料金がすでに払われていたうえ、他の客室もすぐに満室となったからだ。
『聖女らしい格差があっていいではないか』
「まだ聖女じゃないから、こういうのって困るの。今これに甘んじたら、あなた以外にも腹黒って呼ばれちゃうでしょ」
『ならば明日、宿代以上の働きをする他あるまい』
「……言われなくったってそうするって」
『まったく、面倒な生き方であるな』
白い狼がため息を吐いた。
アルナは狼のため息を払うように手を振ったあと、眠りに落ちた。
翌日。
空が白む前に、アルナの部屋の戸が叩かれた。
魔物の芋虫は夜眠り、早朝活動する。集落を襲うのも同様だと、フラウたちが言った。そして集落の外へ先に移動し、芋虫を待ち伏せするとアルナに説明した。
フラウたちの熱意に、アルナは心の内でガッカリした。それほどのやる気があるなら、とうに青鉄章の冒険者になっていそうなものだ。しかしそうでないところを見ると、フラウたちにはなにか問題があるのだろう。面倒なパーティに入ってしまったなと、アルナは思った。それでもニコリと笑ってフラウたちに従った。
「芋虫は、北の森から来るとのことです」
フラウが北を指差して言った。北にはヘロ山脈と、その麓に広がる森があった。
「……この時期は、森のほうが餌が豊富そうですけどね?」
「そのはずなのですが、なぜか被害が増えているとのことで」
「被害が増えているけど、誰も依頼を請けないと」
「そういうことです。ま、おかげでボクたち銅章冒険者の生活が成り立つわけですけどね」
フラウが剣を抜いた。視界にはすでに、芋虫の群れが映っていた。
「……聞いていた話より多いぞ。二十はいやがる」
カイルが剣を構えつつ、苦い顔をした。
たしかにと、アルナは頷いた。事前の情報では、十も満たない芋虫の群れだったのだ。それが、短い期間のうちに増えたのか。もしくは最初から間違った情報をフラウたちが掴んでしまったのか。
「どちらにせよ、やるしかない」
フラウが意を決して立ち上がった。つづいてカイルとティダが立ち上がる。
精霊術士のティダはすぐに杖を振り、精霊を呼びだしはじめた。
「ティダ。お前の精霊術は、俺たちの剣が届かないやつだけ狙ってくれよ」
「わかってる」
「アルナさんは後方支援だけお願いします。離れておかないとね。あいつらの体液は臭いですから」
「お気になさらず」
「はは。では皆、ア・ランブアのご加護を」
フラウが剣を掲げ、駆けた。
間を置いて、カイルも駆けだした。駆けながら、フラウと絶妙な距離を保っていた。互いに剣を振る邪魔とならないよう、取り決めているらしい。そのふたりの背を見て、ティダの目が鋭くなった。いつでも適切な対応ができるよう、見計らっているようであった。
三人の様子を見て、アルナはほんの少し安心した。銅章の冒険者といえど、多少は経験を積んでいるのだと察せられた。この実力であれば、たとえ大怪我をしても死に至るまではいかないだろう。
駆けるフラウに、芋虫の群れが気付いた。フラウ目掛け、一斉に前進をはじめた。
フラウは早々に囲まれたが、慌てたりはしなかった。むしろ器用に芋虫たちを飛び越え、一匹、二匹と仕留めていった。
フラウにつづいて、カイルが芋虫の群れに飛び込んだ。剣を数度振り、一匹ずつ確実に仕留めていく。しかし芋虫に接近しすぎたことで、芋虫の体液を全身に浴びていた。それを見てアルナはぞっとしたが、カイルに怯む様子は見られなかった。むしろ慣れているようで、さらに勢いを増して駆け回った。
アルナはふたりの動きを見て、杖を振った。
「≪風読の精霊(スプリメントム)、彼と踊れ(サルクム・トアエ)≫」
透き通った声が、アルナの口から抜けでた。神聖術士特有の、人ならざる声だ。
アルナの声に応じ、周囲の神聖霊たちがざわめきはじめた。そのうちから、風読の精霊スプリメントムが光を放ち、ゆらりと踊りあがった。アルナが手招きして呼ぶと、スプリメントムが踊りながら近付いてきた。やがてアルナに頷くと、フラウとカイルに向かって飛びだしていった。
神聖霊スプリメントムは、変わり者だった。術の対象者が動いていないとなにもしてくれないのである。しかし対象者が動いていると、踊りが好きなスプリメントムは自らも合わせて動きだす。踊りながら対象者に力を分け与えてくれる。今まさに剣を振って激しく戦うフラウとカイルは、スプリメントムにとって格好の踊り相手で、最大の効果を付与したくなる存在であった。
「こ、これが神聖術か……!」
スプリメントムの光に包まれたフラウとカイルが驚きの声をあげた。
自力ではできない動きが、思い描いた以上にできる。まるでトビヘビのようにフラウとカイルは舞いあがり、芋虫たちを斬り刻んでいった。
ふたりが戦う外で、ティダの精霊術も活躍した。
ティダの精霊術は炎の術であった。呼びだした火トカゲが芋虫の群れを取り囲み、焼き潰した。そうするうちに芋虫たちが大混乱に陥った。群れの中央には暴れ狂うふたりの剣士。周りは火トカゲの極炎。芋虫たちは逃げ場を失い、ひたすらに狩りつくされた。
「お見事ですね」
すべての芋虫が倒れたあと、アルナは三人を褒めたたえた。実際、素直に驚いていた。芋虫は決して強くないが、群れであると多少厄介であるからだ。それをこれほど容易く倒せるとは。銅章の冒険者とは思えない戦いぶりであった。
「いや、アルナさんの力のおかげですけどね」
フラウがぐったりとした表情で言った。
フラウとカイルは、全身ボロボロだった。スプリメントムの強化があっても、芋虫の爪をすべて逃れることはできなかったらしい。加えて芋虫の体液を全身に浴びていた。体液に触れた傷口が、紫色に滲んでいた。
「すぐに治療します。放っておくと腐りますよ」
「で、ですよねえ」
「はやくこちらへ。ティダさんは先に宿へ戻って、お湯を沸かすようお願いしてもらえますか」
「わ、わかりました」
ティダが慌てて頷き、集落へ駆けて行く。
ティダを見送ったアルナは、すぐさま杖を振った。
「≪治癒の精霊(サニテム)、彼に力を示せ(オステン・イ・フォルティウム)≫」
再びアルナから、透き通った声が抜けでた。
声に応じて、サニテムの光があふれ、フラウとカイルをつつんだ。
アルナは同時に、デトクションの神聖霊も呼び出した。デトクションは解毒の力を貸してくれる神聖霊で、身を清める力も振るってくれた。
ふたつの神聖霊につつまれ、フラウとカイルの怪我はみるみるうちに治り、芋虫の体液の臭いも多少緩和されていった。
「……神聖霊って、同時にふたつできるものですか……?」
治った傷を見て、フラウが目を丸くさせた。
「できる人もいます。私は少し下手なほうですが」
嘘をついた。
アルナは余裕で二つ三つの神聖術を同時に使えた。幼い頃より必死に修行してきたからだ。加えて才能の助けもあった。他の神聖術士に比べ、アルナは圧倒的な霊力を持っていた。
とはいえ、それは明かせない。謙遜に生き、聖女のように振舞うと心に決めているからだ。
アルナは未だ十六歳と、若かった。その若さで抜きんでた力があれば、良くも悪くも人の目に留まる。尊敬されるだけなら良いが、妬まれることもあるだろう。そのため、アルナは自らの力を隠した。他人に良い印象だけを植え付けるため、ほんの少し優秀な神聖術士程度に偽っていた。
「ある程度しか治っていないので、すぐに宿へ戻って身を清めましょう。その後にもう一度治癒します」
再び嘘をついた。
フラウとカイルは、すでにほぼ全快していた。しかしわざと、ほんの少しの傷跡を残した。わずかな不甲斐なさを残す、これがアルナの常とう手段だった。
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