人魚は海に飽和する

泉田聖

第一章 『沈む』

第1話

 二一八〇〇人が、この平和な日本で自殺という最期を選んでいる。


 その事実を教卓に立つ教師に聞かされた僕が初めに抱いた感想なんて言葉にするまでもない。


 人はいつか死ぬ。それが逃れようのない命の終着点だから。

 事故で、病で、寿命で、あるいは人に殺されて。人はその生涯を終える。

 ならば自らその命に幕引きすることだって僕は悪だとは思わないし、他人が安易にその選択肢を摘み取ってしまうことこそが僕には悪に思えて仕方なかった。


「死にたい」

 ネットの匿名掲示板に書き込みをする少年少女が後を絶たないのだと教師が言った。

 それもそうだろう。思春期なのだから。

 誰だって一度くらい自分がいなくなった後の世界の事を想像したことがあるはずだ。

 それでも僕たちは命を絶たずに朝を迎えて、教室に来て、こうして授業を受けている。

 大人はそれを自分たちの功績だと勘違いしているようだが、自惚れているだけだ。思春期を終えた大人たちが欠けた記憶とこじつけの善意で設けた相談窓口なんて、あったところで意味を成さない。現に、自殺者数は年々増加傾向にあるというのだから。


「一人で悩まずに必ず誰かに相談するように」


 教師が決まり文句を口にする。耳に胼胝ができそうだった。

 大人という生き物に思春期真っ盛りの高校生の気持ちなど、毛頭理解できるはずがない。教師がたった今それを証明してくれた。

 誰かに打ち明けて止まる自殺なら、それは端から「死ぬ気がなかった」だけのこと。

 誰かに吐露して消化される痛みなら、所詮その程度の「悩み」だったというだけだ。

 世の中には色々な悩みの形があると思うし、それこそ「人には言えない悩み」を抱える人間なんてごまんといる。自殺なんてその典型だろう。


 親への罪悪感が口を締め付ける。

 死への恐怖が思考を鈍らせる。

 将来への不安だとか。選んだ道への後悔だとか。そういう焦燥の渦が、自責になって胸に刺さる。心臓が裂けそうになって死にたくなる。消えてしまった方が楽だと気付いた時には、大抵もう手遅れだ。


 僕には命が似合わない。


 命の尊さを語る授業の最中に、こんなことを考えているのだから。


 ふと窓辺に視線を吸い寄せられた。

 寒空の快晴のなかに、白い飛行機が飛んでいる。


 一二月四日。

 天気は快晴。肌寒いが、窓際の席は温かい。昼寝をするにはもってこいだ。

 澱みなく時間は過ぎている。この退屈な五限目が終われば残るは六限だけだ。選択で美術を選んだ四月某日の英断に、心の奥で感謝する。

 引き出しの奥からノートを引っ張り出して机に広げた。

 『自殺ノート』と題目に書かれたノートの、今日の日付を記したページを開いて僕は最後の日記——もとい『遺書』をシャーペンで書きだす。


 書き出しはどうしようか。

 シャーペンを顎に当てて教卓を見やって、視界に飛び込んだ数字を僕はそのまま書き映した。


『二一八〇〇人が、この平和な日本で自殺という最期を選んでいる。

 一六歳を迎えた僕は今日、その二一八〇一人目になる』

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