おくすりのじかん

勉強してたら引き出し壊れた

「あつい・・・」

 7月初旬ごろ、梅雨の明け頃の蒸し暑いなか、一人の男子高校生が今日も学校へ向かう。


 彼の名前は、青山 悠太。高校1年生である彼は、学校の友達はほぼ0に等しく、ただひたすら空虚な時間を学校で過ごしている。

 彼は背筋を曲げて、陰鬱な雰囲気を醸し出しながら学校へ歩む。


 教室に着いたら、いつもの席に座る。テストが明けてあと数日で来る夏休みが待ちきれないのか、周りは騒々しい。


「由夏は夏休み入ったらどっか行くの?」


「えー、私は特にないかな。」


「そうなの?なら、一緒に東京行こうよ。」


「えへへ。私、都会苦手だから無理かも。」


「えー。行こうよー。」


 彼の右隣には、ある女子生徒が座っている。彼女の名前は、葉田由夏という。彼は葉田の隣にいながら彼女に声をかけることもないし、かけられたこともなかった。そして、これからも関わらないだろうと考えていた。


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムが鳴り、担任が教壇につく。今日は成績表等を返したらすぐ下校となる日だ。だから、彼は早く家に帰ってコンピュータゲームをしたい様子である。


 成績表が返される。クラスのあちこちから悲鳴や絶叫が聞こえる。彼はそんな同級生の様子を見て少し呆れた。


「あ…」


 が、当の本人もいざ成績表を返されると呆れる余裕がなくなったようだ。特に、数学がひどかったらしい。


「わー、由夏ちゃんすごいね。」


「えへへ。それほどでも。」


 一方、隣の葉田由夏はというと、成績上位だったらしく彼女の友人がそれを褒め称えていた。彼はそれを少しうざったく感じた。絶望に打ちひしがれてる生徒が多くいるのだから少しぐらいは配慮してほしいと思った。


 ホームルームを終えて生徒たちは帰宅へ向かう。彼も待ってましたと言わんばかりに、通学リュックを背負い帰宅しようとする。

 その時。


「青山くん。」


 彼は、誰か自分を呼ぶ声がして辺りを見渡す。葉田だ。葉田が彼を見つめている。


「何?」


 唐突な出来事だったので、彼は思わずぶっきらぼうな返事をしてしまった。


「ごめんね。突然。」

「青山くんさ、あの、もしよければうちと一緒に帰らない?」


「え?」


 あまりの急展開に彼は動揺を隠せない。なぜ、彼女が急に話しかけて、一緒に帰宅しようとするのか、全く理解ができずに困惑する。


「お、おっけい。いいよ。」


「ありがとう!」


 彼はとりあえず返事をしなければいけないと思い、よく考えないまま承諾をしてしまった。

 そして、彼は廊下へ歩き出す。すると彼女は彼の1メートル後ろを無言でついていく。彼はこれにものすごい違和感を感じた。


 どのクラスもホームルームが終わり、廊下は混雑していた。それでも、彼女は彼の後ろを離す事なく無言でついていく。

 階段を降りるとき、彼は耐えきれなくなり立ち止まって、彼女の方を振り返る。


「葉田さん?何で急に一緒に帰ろうと思ったの?」


「あ、ごめんね。青山くんっていつも一人だから、仲良くしたほうがいいのかなって。」


「そうか。ありがとう。」


 彼は、葉田が心配して無理に付いてきてくれてると思い、申し訳なく思った。


「俺はそういうの大丈夫だから。ありがたいけど、気持ちだけで十分だから、無理しないでいいよ。」


 すると葉田は、彼の発言を聞いて少し沈黙してから返事をした。


「無理してないよ。それに、私、今日一緒に帰る人いないから。ね?」


「そうか。」


 彼は、彼女の反応に戸惑った。しかし、彼女を煙たがる訳にはいかない。

 そして、二人は再び歩みだす。ただ、再び無言の時間が続く。彼は「本当にこれでいいのか」と強く感じた。


 二人は昇降口に到着し、上履きをしまってローファーを履く。外へ出ても葉田は彼に無言でついていく。昼前の外は日差しが容赦なく降り注いでいた。彼は汗をぬぐって暑さと気を紛らわす。


 学校から出て5分ほどした頃。あたりの生徒の数はまばらになってきた。葉田は徐々に彼との物理的距離を縮め、いつの間にか彼の横に接近していた。


「青山くん。」


ここでようやく葉田が口を開いた。


「青山くんって家どこらへんなの?」

「登下校している時、たまに青山くんのこと見るから私の家と近いかも。」


 確かに彼が通学している時、葉田を見かけることがあった。


「緑の台の公園のそばかな。そこら辺だよ。」


「やっぱりね。実は私もその近くだよ。」


 彼の家と葉田の家の距離は100メートルくらいである。しかし、小学校と中学校が異なった為に、高校で初めて同じ学校になったようだ。


「へー・・・」


 話が終わり、再び無言に突入する。ただ面識があるだけの男女が突然和気あいあいと話すのも無理な話だろう。彼がそう考えた時、葉田の澄んだ瞳が自分の通学リュックに向いていることに気がつく。何か心当たりを探ると、身に付けているストラップを思い出す。


「このストラップ気になる?」


「あ、そう。それ、私の好きなアニメのだから。」

「青山くん持ってて羨ましいなあって。」


 彼が身につけているストラップは、数年前にテレビで放映されて話題となったアニメのもので、イベントで苦労して手に入れた限定品である。葉田もそのアニメが好きで、そのストラップも欲しかったらしい。


「これいいよね。手に入れるのにすごい苦労したんだよ。」


「へえ。私も欲しかったなあ。」


「えっ。てか葉田さんもこのアニメ好きなの?なんか以外。」


「そう?私、アニメとかマンガ好きだよ。」


「ええ。失礼だけどそんなイメージなかった。」


 彼は、同じ趣味を持つものとなら仲良くできる傾向にある。葉田の話から意外にも、同じアニメやマンガが好きだと判明した。以降、先ほどの二人の沈黙が嘘のように、二人は熱く語り合いながら帰路を歩んでいた。


 二人は近所の公園についた。どうやら、彼と葉田はここで帰り路が分岐するようだ。

 別れ際に葉田が言う。


「最初は変だったけど、青山くんと話できて楽しかった。」

「私、久々にこんなにアニメとかのこと話したかもしれない。」


「俺こそ、久々にこんなに話したわ。」


「そうかもね。」


葉田は笑いながら言った。


「でも、ありがとうね。」

「そうだ。もしよかったら明日も一緒に帰らない?」


「え、いいよ。」


 少し戸惑ったが、彼自身話していて楽しかったので、答えは勿論イエスである。


「ありがとう!」


 葉田は笑顔でそう言い、別れを告げて去って行った。彼は、葉田の後ろ姿を見て、少し神妙な気持ちになった。その日から彼は毎日、葉田と帰るようになった。


 *


「…」


 終業式の日、彼は休み時間の教室でひとり静かに暮らしていた。彼の休み時間での暮らし方は、いつもスマホを見るか、寝てるかだ。そうしないと、楽しそうなクラスメイトが目に映り、孤独を重く感じてしまうためだ。


 一方、葉田はというと、彼と少し話をするものの、やはり他の友人との会話のほうが多い。


 そして、帰りのホームルームが終わりいざ彼が帰ろうとしたとき、


「青山くん、帰ろう。」


「ああ。」


 彼と葉田は共に混雑した廊下を抜け昇降口から外へ出る。彼と葉田は、夏の課題を話題にしていた。


「じゃあ、今回の数学の課題大変かもね。」


「ああ。俺、数学不得意だから人より解くのに時間がかかるんだよ。」


彼は夏の課題を思い出す。数学は確か一学期の内容の応用問題が100題近くでていた。


「あー。ヤバいな。」


「だよねー。」


葉田は、何処か遠くを見ながらうんうんと頷いていた。そして、何かを決めたのか彼の方を振り向いて言う。


「そうだ青山くん。もしよければ、私のお家来ない?」


「え?」


「私が課題教えてあげるよ。」


彼は葉田の発言に動揺した。数日前から葉田と一緒に帰る関係とはいえ、葉田の家にあがるほど親密な関係は醸成できていない。


「家じゃなくてもいいんじゃない?」


彼がそういうと、葉田は少し考えて言う。


「えー。でも、私お家のほうがいいなー。」

「インドア派だし。」


「そうか。まあ、いっか。」


葉田の言う事は理由として説得力に欠けるものだった。しかし、彼は他人の意見に依存する傾向がある。故に、今回も深く考えずに承諾してしまった。


別れ際、葉田は彼に向かって言う。


「じゃあ、明日、必ずここに九時に来てね。」

「私が家まで案内するから。」


「ああ。」


「くれぐれも来るの忘れたりしないでよ。」


「了解。」


「じゃー、また明日ね!バイバイ。」


「また明日。」


彼は、歩き出した葉田の後ろ姿を見ながら、数日前からの彼女との出来事を思い出す。


葉田が数日前にいきなり声をかけて、そこから毎日、いっしょに帰ることとなった。思えば、なぜ葉田は急に自分に声をかけたのだろう。葉田は同性の仲の良い友達がいるはずである。それに、自分と一緒に帰るメリットなど存在しない。


彼は、今までの出来事を振り返り、彼女の思考を読み解いてみる。


「・・・」


夏休みの始まりを告げるニイニイゼミがジーーと鳴いている。気がつけば、公園の沿道で彼は一人突っ立っていた。周りからみれば何をしているのかと思われるだろう。彼は我に返って帰路についた。



翌日、彼と葉田は公園の脇で合流し葉田の家へ向かった。

 葉田が鍵を開けて「入って」と言い、彼は少し躊躇しながらも葉田の家に入る。


 葉田の両親は共働きらしく、二人とも家にいないらしい。また、葉田には中学生の妹がいるらしく、妹の方から彼に挨拶をしてきた。


「はじめまして、由夏の妹の夏月です。」


「初めまして、青山悠太です。」


「うん。私のことは気にしないでね。」


妹はそう言って、葉田の方を向く。


「由夏も彼氏連れてくるなんて、高校生だね。」


「ちがうよ!彼氏とかじゃなくて普通に友達だよ!」


「ふーん。」


妹が葉田に冷やかしを入れて、葉田は顔を赤らめてそれを否定する。彼も少し恥ずかしく思った。


 葉田の部屋は8畳ほどの正方形の形をしたシンプルな見た目の部屋だ。しかし、部屋に漂う甘い香りと壁にかかっている制服や小物の色味が女子の部屋だということを主張する。葉田は、部屋の真ん中にある円卓に座り、彼に座るよう指図する。彼は持ってきた課題のプリントとノートを広げ、葉田もカバンからノートを取り出す。最初こそ落ち着きがなかったものの、時間が経つに連れて、二人はこのシチュエーションに慣れて問題を解いていく。彼がわからないことがあれば、葉田に質問をして疑問を解消していた。

彼が葉田の家に着いてからちょうど1時間経ったころ、部屋のドアが開き、葉田の妹が麦茶を持ってくる。


「今更だけど、麦茶持ってきたよ。こっちがお兄さんの分で、こっちが由夏の分ね。」


そう言って、二人の前に麦茶の入ったコップを出した。妹は彼と葉田に礼を言われたあと、部屋の外へ出た。


「喉乾いたし、飲もうか。」


葉田がそう言うと、彼もちょうど喉が渇いていたので麦茶を飲む。


最初は、彼ものどごしの良い麦茶を美味そうに飲んでいた。しかし、すぐに麦茶に違和感を感じた。というのも、舌触りが何やらザラザラしていて、麦茶では到底出せない苦みを感じたからだ。彼は洗剤などの異物が入ってしまったのだろうと思い、飲むのをやめた。


すると、それを見た葉田が言う。


「どうかしたの?もしかして口に合わない?」


彼は、せっかく他人に出されたものに文句は言いたくなかった。しかし、不自然に飲まないのも礼儀として正しくないと思い、本当のことを言った。


「なんか、この麦茶苦くて、口に合わないかも。それに舌触りも変だし、ゴミが入ってるのかな・・・」

彼は少し言い過ぎたか不安に感じた。


すると、葉田は少し考え込んで言う。


「あっ、多分、パックの中身が入っちゃったのかも。」

「うち、手作りの麦茶だから、茶漉するときに中身がピッチャーに入っちゃったのかもしれない。」


彼は葉田の話に納得した。むしろ、手作りの麦茶と聞いて苦みを美的なものに感じた。


「嫌だったら私が取り替えてこようか?」


葉田はそう言ったが、彼は出された飲み物を交換させるのは申し訳ないと思った。


「大丈夫だよ。ありがとう。」


彼と葉田は、再び課題を解いていく。気がつけばこの家に来てから4時間が経過し、麦茶もとっくに飲み干していた。彼はこのタイミングで、キリが良いので帰ることとした。


その夜、別れ際に葉田と交換した連絡先から明日も家に来てほしいという内容が送られてきた。彼はすんなりそれに同意した。



放課後の帰り道。


「ユウタ?今日も公園であそぼ?」


笑顔で女の子が尋ねる。彼女は赤色のランドセルを背負っていた。


「いいよ。また鬼ごっこでもするの?」


適当に答える。どうせ今日も遊ぶとわかっていた。彼女はなわとびが得意だ。実際はなわとびをしたいと答えるだろう。


「うーん。私はみんなでなわとびしたい。」


今から4年前、小学校6年生のころ。女子と分け隔てなく遊んでいた。寧ろ、女子と遊ぶ機会の方が多かったかもしれない。あの頃の何気ない毎日、今思えば充実していたのだろう。戻りたいとは思わないけど、友達がいたあの頃がうらやましい。また、仲の良い友達をつくりたい。ついこの前までそれが叶わないと思っていた。

でも、今は違う。葉田がチャンスを与えてくれている。だからそれに応えないと。



翌日の朝、彼は倦怠感と頭痛に悩まされていた。風邪にでも罹ってしまったのだろうか。彼は、昨夜の葉田の誘いを思い出し、スマホの連絡アプリを開く。


ゆうた「ごめん。今日体調が悪いから行けないわ。」

ゆうた「申し訳ない。」


数分後、すぐに既読がつき返信が来た。 


由夏「大丈夫?」

由夏「体調悪いならもちろん来ないでいいよ」

由夏「ゆっくり家で休んで早く治してね」

由夏「何かあったら連絡してね。絶対。」


彼は葉田からの返信をみて、心配してくれる彼女をありがたいと思った。


1時間後、彼は相変わらず体調がすぐれない中、インターホンが鳴る。宅配便かなと思い、彼は重い体を起こして外へ出る。


「ごめんね。体調悪いのに突然。」

「大丈夫?」


そこには葉田がいた。彼は、突然の訪問者に驚愕した。そもそも、葉田に自分の家の住所を知らせた覚えはない。それなのに、彼の目の前には葉田がいるのだ。


「えっ。なんで住所知ってるの?」


「ヒミツ。」


「ええ・・・」

「不思議だよ。」

「てか、なんで俺の家に来たの?」


「もちろん、心配だから来ちゃったの。」


 葉田は彼が心配なので看病しに来たらしい。彼はそこまでしなくてもと思ったが、彼女を家に通し、部屋に連れて行った。


「青山くんの部屋やっぱりおっきいね。」


「ああ。一軒家に一人っ子だから、この家を建てる際に大きい部屋を親がくれたんだよ。」


「へえ。それに、パソコンとかいっぱい。」


「これも一人っ子だから、色々貰えてね。」


「羨ましいなあ。」


葉田は彼とそんな事を会話しながら、彼の部屋をまじまじと見つめていた。


「あ、ごめん。休んでていいよ。」


「私、解熱剤とか持ってきたからちょっとまっててね。」


 葉田はそう言って、キッチンへ向かう。

しばらくした後、葉田がコップに入った水を持って彼の部屋に参上する。偶然、それは彼が愛用しているコップであった。


 葉田はコップを近くの机に置いて、自分の持ってきたカバンの中を漁る。

カバンからカプセル状の薬を二粒取り出し、彼に差し出す。


「はい。飲んで。」


彼は申し訳ないと思いながらも差し出された薬を口に入れ、続いてコップの水を飲む。ちょうど喉も渇いていたので良い水分補給となった。


「どう?」


 葉田はそう言うが彼の症状に特に変化はない。というか、薬効はすぐに現れないので当然である。


「良くなったかも。ありがとう。」


 しかし、彼はそう言って葉田に感謝の気持ちを伝えた。


 しばらくした後、葉田は何かあったらスマホで連絡するように彼に言って家を出た。



 翌朝、彼の昨日からの風邪のような症状は、一晩で急激に悪化し、全身の悪寒と関節痛の症状が追加された。


 彼の母親は、数年前に世界中で大流行した例の感染症を疑った。運よく休日なので学校は休みだ。しかし、あいにく母親の仕事が忙しい。休日出勤が必須な状況であった。そうすると、彼の看病を誰もできないというのが問題となった。彼自身は高校生だしそんなに心配するなと言うが、母親は苦しんでいる息子を一人にするのが辛い様子だ。息子の看病を親戚等に頼めないか電話で相談している。だが、快く病人の面倒を受け入れてくれる人も見つからない。


彼は、今日も体調が悪いことを葉田に伝えた。葉田の返信は心配なのですぐ行くとのことだった。


それから30分ほどしたあと、青山家のピンポンが鳴る。葉田が彼の家に到着したようだ。


葉田は、家の門の前で待つ。ドアを開けたのは彼の母親だった。葉田は動揺した。


「どちら様でしょうか?」


彼の母親が尋ねる。


「私、葉田由夏と言います。悠太くんの友達です。」

「あの、悠太くんの事が心配で見に来ました。」


「あら。そうなの。」


彼女いわく、彼の家庭の事情は知っており、彼が一人になるのが心配なので看病しに来たとの事だった。

他人に面倒かけるのは申し訳ない。母親は彼女に感謝を伝えて家に帰そうと思った。

しかし、ふと考えた。彼女以外に息子を看病してくれる人はいない。その上、息子の事をわざわざ心配して来てくれたのだ。ここは遠慮なく甘えてもいいのではないのだろうか。母親は悩んだ。そして、彼女に看病を頼む事とした。


母親は葉田に家の道具や彼について話をした後、安心して家を出た。


時刻はまもなく10時になるところだ。


彼の部屋のドアが開く。彼は母親がまだいたのかと思ったがそこには葉田がいた。


「えっ?なんで?え?」


彼からしてみれば、葉田が勝手に家に侵入したように見えて、驚愕するしか無い。


「親御さんにちゃんと許可とって、看病していいよって事になったんだよ。」


「まじか。びっくりしたわ。」


彼は、驚いてベッドから起きたが、立つのがしんどかったので再び横になる。彼女は、心配そうにそれを見つめる。 


「大丈夫?昨日から変わったことあった?」


「ああ。心配はかけたくないけど、前より症状がひどくてしんどいかも。」


「そっか。辛くて大変だよね。」

「ちょっとまってて。」


葉田はそう言って、彼の部屋を出ていく。

再び部屋に戻った彼女は水入りのコップと薬をオボンに載せていた。


彼女が彼に薬を差し出し、彼がそれを口に入れる。そして、彼女が水を彼に渡して、彼がその水を飲む。彼女は彼が薬を飲む様子をしっかり見守っていた。


彼女曰く、この薬には24時間解熱効果がある。こうやって毎朝摂取するだけで十分だとのことだ。


薬を飲んだあと、彼女は再び彼の部屋を出る。そして、おかゆを手にして戻ってきた。


「食欲ないかもしれないけど、ちゃんと食べないとだからね」


彼女はそう言って、茶碗とスプーンを手にして、横になっている彼に近づく。


「はい。口開けて。」


彼は、思わずドギマギする。女子に食べ物を食べさせてもらうなんて、まるで漫画やアニメではないか。だが、当然のように彼女は彼の口の前にスプーンを持っていく。彼は口を開けてそのスプーンのおかゆを飲み込む。程よい塩味と柔らかさのおかゆだった。


「おいしい。」


「そう、それなら良かった!」


彼女はそう言うと、再びスプーンを彼の口に近づける。風邪で身体はしんどいのに心は高揚しているのを感じた。


それから二十分ほど経ってようやく茶碗の中身が空になった。量としては彼が食べるいつもの白ご飯の半分の量なのに、食べる時間はいつもの時間の倍を要した。


「そういえば、青山くんのご両親って随分と忙しいんだね。」


「ああ。」


「お仕事何してるの?」


「二人とも報道関係で、同じ会社に勤めてるんだよ。父親は海外に単身赴任でたまにしか帰ってこないし、母親も災害とか大きな事件があったりすると忙しくなるんだよね。」


「へえ。」


「この前は、2週間近く家を留守にしてたし。」 


「ええ。大変だね。」


「それで、今回はこの前の大雨の取材で、今、会社に人が少ないから忙しいらしい。」


「そっかー。」


彼は、そう話している内に眠くなるのを感じる。限られたエネルギーを消化に回すための自然な生理反応だ。


「眠いの?」


「ああ。」


葉田が彼にやさしく囁く。


「寝ていいんだよ。」


清流のような心地よい囁き声だった。

その声に流されるままに、彼は瞼を閉じた。



目を覚ましたのは、夕方17時頃であった。昨日の夜、うなされた影響もあってか、随分と長い間寝たようだ。


葉田もいつの間にか寝てしまったようだ。カーペットの上で彼の方に体を向けながら横たわっていた。

辺りを見回すと、見慣れた自分の部屋。向かいに見える本棚は漫画でいっぱいになり、参考書は机の上に高く積まれている。傍にあるゴミ箱はティッシュと菓子の包装でもうすぐ満杯になりそうだ。こうなることも前提に部屋を掃除しておくべきだったと今更ながら後悔した。そうだ。今、この空間には少女が寝ている。この非日常的な光景に、彼は夢ではないのかと疑った。

その一方で、彼は更に症状が悪化しているのを感じた。このまま蒸発してしまうのではないかと思うほどの発熱と、動くたびに刺すような痛みの関節痛が襲う。症状としては、まさにこの病気のワクチンの副反応と似た感じである。テレビでは、人によっては普通の風邪とは比べ物にならないと報道されていたが、彼はまさにその通りなのかもと思った。


彼は、天井をみながら早く治ることを祈る。頭痛と体中の痛み、ひどい倦怠感で、ネットの動画を見たり、ゲームをする気にもならない。


葉田は、物音に気づいたのかゆっくりと立ち上がり彼の元へ近づく。


日が傾いてきたので、朝とは違って遮光が彼女の顔に当たる。彼女はそれを煩わしく感じたのかベッドの近くにしゃがむ。すると、彼女の顔と彼の顔の間は、お互いの息を感じるくらいの距離になった。


葉田が彼の耳にささやく。


「ねえ、もう苗字で呼ぶのもやめない?」

「私、由夏っていうの知ってるでしょ?」

「私は悠太って呼ぶから、私の事を由夏って呼んでよ。」


由夏にそう言われ、彼は小さく返事をした。


「じゃあ悠太、早く良くなってよね。」


彼女はそう言って微笑んだ。本来は顔を赤らめたり背けたりしてもいいはずだが、彼はそんな様子を一切見せない。これが症状のせいで頭がぼーっとしているせいか、それともそういう関係性にまで発展したからなのか、彼はよくわからなかった。


ガチャ


家の扉が開く音がした。彼の母親が早く帰ってきたようだ。


由夏はじっと彼の顔を見つめたあと、立ち上がって扉の方へ向かった。そして、彼の母親のところへ向かった。


その晩、彼は彼女との関係性について考えていた。もしかしたら自分に好意があるのだろうか。あの行動の真意は何だろうか。

彼はゆっくり息を吸う。

しかし、すぐ額を押さえてしまう。

深く考えようとするも、継続的に襲う激しい頭痛と関節痛に邪魔をされてしまうのだ。この風邪を治してからゆっくり考えよう。彼は心にそう言い聞かせ、瞼を閉じた。



彼が目を覚ますと、体を動かすのが難しくなるほどの全身の痛みや頭痛に悶絶した。これは、もはや普通の病気ではない。そう感じざるを得ないレベルだった。


「大丈夫?」そう声がしたので、横を振り向く。由夏がそこに立っていた。すでに、母親は仕事に向かったらしく、今日も彼を見ておくように頼まれたらしい。


彼女は、水と薬を持ってきてくれた。彼は、この薬のおかげで少しは症状が楽になると由夏に話す。


「それならよかった。このおくすりは万能だからね。」


由夏はそう言って、彼に薬を飲ませる。薬を飲んだあと、彼女は昨日と同じように彼におかゆを食べさせる。彼は相当食欲が減衰している様子だが、残さず完食することができた。


しばらくしてから彼女は彼の部屋を物色し始める。どうやら何か準備しているようだが、彼には何か分からない。


「身体洗おうか。しばらくシャワー浴びてないから、気持ち悪いでしょ?」


由夏の言うことに対して、彼はどうするのか尋ねる。


「それは、このタオルで洗うんだよ。病院とかだとこうして患者の体を洗うことがあるんだよね。」


彼は、それに同意する。そして、自らパジャマを脱ぎ始める。ただ、彼の容態は腕を折るだけでもひどく関節が痛む程だ。難なくできると思っていた作業が難航する。しばらく経っても脱げない。それを見かねた由夏が彼のパジャマを脱ぐのを手伝う。


はたから見ればまるで重篤な病気の患者を介抱しているような図だ。彼の衰弱の度合いはそれ程なのだ。彼自身、これは自宅療養とかではなく入院したほうが良いレベルなのではと思った。


パジャマを脱ぎ終えると、彼女はタオルで彼の身体を拭き始める。彼は自ら体を拭くことを提案したが、由夏はそれを拒んだ。彼の皮膚を生暖かい湿ったタオルが触れる。彼はその感触をくすぐったく感じるがなすすべもなく身体を拭かれていく。


一通り身体を拭き終わると彼女は、彼に新たなパジャマを着せる。


彼は、身体が軽くなったように感じた。


由夏は、横になる彼をまじまじと見つめる。彼は、それに気づいているのかいないのかわからないが「入浴」を終えてまた横になった。























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