第67話 新天地

「こんなに休んで大丈夫なの?」


病室では下山の妻、時枝が下山を心配そうに見つめながら言った。

彼女は下山の勤務先では休みがとれないことを聞かされていた。

最近になって下山が見舞いに来ているため、仕事での影響を心配した。


「次の会社が決まって、今は溜まった有給を消化しているんだ。問題はないよ」

「でも、有給を取ると怒られるって……」

「もう辞める会社だから、いくら文句言われても平気だよ。ちゃんと給料ももらえるし」


これは柊のアドバイスであった。

エンプロビジョンは翔動が掌握しているため、下山に対して不当な扱いを受けることはないと保証されていた。

勤務先のアストラルテレコムでは、三田が上司になるが、当然のことながら三田はエンプロビジョンの人事には介入できない。


「よかった……」


それを聞いた時枝はほっと胸をなでおろした。

体調を崩してからは、気遣うような表情ばかりだったが、今の彼女の表情を取り戻しただけでも下山の決断は間違いではなかったと確信した。


「次の会社はどんなところなの?」

「すごく小さくて若い会社だけど、いい条件なんだよ。なんと、フルフレックスなんだ!」

「フル……フレ?」

「所定の勤務時間を満たせば、どの時間帯で働いてもいいんだ」

「すごいじゃない!」


時枝は驚き、花が咲いたような笑顔を見せた。

アクシススタッフは遅刻をするだけでも厳しくペナルティを課してくる企業文化で、これはエンプロビジョンにも影響していた。

時枝との時間を大切にしたい下山にとって、翔動の条件は破格と言えた。


「アストラルテレコムにいる、柊さんが立ち上げた会社なんだ。

彼はかなり仕事ができるので、すごく楽しみだよ」


活き活きとした表情で語る下山を見て、時枝にもエネルギーが沸き起こるような感情を覚えた。


***


(うわ! すごっ……)

マンスリーマンションの一室で下山の仕事ぶりを見た景隆は感心せざるを得なかった。


下山は竹野と同様に、新田の指示の下で仕事をする体制にしている。

新田の技術力が高すぎることもあり、竹野が理解できない指示は柊がわかりやすい言葉で翻訳していた。

しかし、下山は新田の意図を完全に汲み取って仕事をこなしていた。


「下山さん、ビルドで警告が出るッス」

「ああ、それは――」


加えて、竹野のフォローもこなしているため、新田の負担が大きく軽減された。

新田の可処分時間が増えることは翔動の収益に大きく影響するため、これだけでも下山の存在は大きなアドバンテージとなった。


グローバルなITベンダーである、デルタファイブには優秀なエンジニアが集まっているが、下山の能力はそれに引けを取らないと景隆は感じていた。

それと同時に、エンプロビジョンで飼い殺されていたこれまでの状況を不憫に思った。


(それを言ったら、柊もそうなんだよな……)

柊は途中から人生をやり直しているため、就職できる企業は限られていた。

デルタファイブで相当の経験を積んだと思われるが、これを履歴書に書くことはできない。


『柊のことを疑っていたわけじゃないけど、期待以上だよ』

『俺も、ここまでとは思わなかったよ』


下山は職場環境が大きく改善したことで、水を得た魚のようにモチベーションが高まっていた。

彼もまた、翔動の中核を担う人材となることを、今の二人は知る由もなかった。

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