第52話 反響

「なんじゃあこりゃああ」

オペレーションルームに向かう途中で景隆は、七曲署の刑事のような叫び声を上げた。


関係者以外立ち入り禁止のエリアには、人だかりができていた。

その人だかりをさばいていた船岡が景隆に声をかけた。


「申し訳ありません、石動さん。菜月をお願いします」

「は、はい。お任せください」


景隆は何がなんだかわからないまま、バリケードロープを押しのけてオペレーションルームに向かった。

景隆は関係者ではないが、スタッフである鶴田の許可が出ているため、問題はない。


「あ、石動さん、お待ちしていました」

メールで景隆を呼び出していた鶴田に声をかけられた。


「一体何事ですか?」

「えっと、大河原さんのナレーションの反応がすごくて……来場者の方の一部が大河原に会わせてくれだの、仕事をお願いしたいだのの問い合わせが来てるんです」

「あの人だかりがそうですか……」


人前で仕事をするのが初めてな大河原にとって、あの人数を相手にするのは無理だろう。

そのため、船岡が一手に引き受けているようだ。


「申し訳ないんですが、スタッフも大河原さんの仕事に感動したらしく、次々と大河原さんに声をかけてくるので……私が対応できる範囲ではフォローしていたのですが……」


どうやら、鶴田も大河原を守ってくれているようだ。

とはいえ、彼女も元々のスタッフ業務もこなす必要があり、その間は大河原が応対を余儀なくされていた。

大河原は複数の大人を相手にしていたためか、表情に疲れが見えていた。


「大河原さん、おつかれさま」

「あっ! 石動さん!」


大河原は傍から見たら、景隆の胸に飛び込んでいきそうな勢いで近づいてきた。


「鶴田さん、大河原さんを外に連れ出しますので、船岡さんに伝言お願いできますか?」

「はい、外に出るときは裏口からでお願いします」

「わかりました」

「あ、あとこれを――」


鶴田はコピー用紙の束を景隆に渡した。

「こ、これはっ!」


景隆は名残惜しそうにするスタッフを横目に、大河原を連れ去った。


***


「本当におつされさま。ごめん、うちの社員が迷惑をかけてしまったね」

「い、いぇ……鶴田さんが間に立ってくれたので助かりました」


二人はイベント会場から離れたカフェにタクシーで移動していた。

船岡にはメールを入れているため、後で合流する予定だ。

大河原の緊張をとるため、景隆は二人でいるときは砕けた口調で話している。


翔動うちの仕事は人と接しないから、まだ気楽にできると思うけど、今回は大変だったんじゃない?」

「はい、とても緊張しました」


大河原はオペレーションルームのときの怯えたような表情が取れ、ほっとした様子が見られた。


「今回は船岡さんがいてくれてよかったね」

「本当にそう思います」


声優によっては、事務所に所属せず、個人事業主として活動している場合もある。

この場合、船岡がやっていたような仕事は、すべて自分で行う必要がある。


「落とし物のアドリブは大河原が考えたの?」

「えっと、ここだけ台本がなかったので、何か自分にできることはないかと思って、思い切って船岡さんに提案しました。

船岡さんがアドリブの大部分を考えてくれました」


おそらく、企業ロゴの隠喩などは船岡の発案だろう。

景隆は船岡に対して手堅いイメージを持っていたが、考えを改める必要がありそうだ。


「英語のところが、めちゃくちゃびっくりしたんだけど」

「あれは、船岡さんが書いてくれたものを読み上げたんです」


船岡の新たなスキルが判明した。


「でも、発音もすごくよかったけど、これはすぐにできることではないよね? 英会話でも習っていたの?」

「英語の先生がオーストラリア人なんです。なので、私よりもうまくしゃべれる子はいますよ」


景隆も英語は少しは話せるが、今日の大河原ほどは話せない。


「――お待たせしました」

船岡が合流した。心なしか疲れているように見える。


「船岡さん、申し訳ありません。弊社のスタッフがもう少しうまく対応できたらよかったのですが」

「いえ、問題ありません。おかげさまで、仕事の依頼もありましたし」

「来場者の企業からってことですよね?」

「ええ、そうですね……状況が整理できたらご報告します」

(特に俺にに報告する義務はないはずだが……?)


あの状況から、単に芸能事務所とつながりを持ちたい輩がいてもおかしくはないと想定される。


「あ、あの……今回のお仕事は、あれでよかったんでしょうか?」

大河原が緊張した表情で二人を見ながら言った。


「ええ、上出来よ! よくやったわ」

船岡は満面の笑顔で言った。

大河原はホッとしたような、嬉しいようなさまざまな感情が渦巻いている表情になった。


「えっと、俺から何か言うよりも、これを見てもらったほうがいいと思う」


景隆はそう言って、コピー用紙の束を二人に差し出した。


「イベント参加者からのアンケート用紙を一部コピーしたものなんだけど、さすがにナレーションについての採点項目はなかったんだ。

――なので、最後の自由記入欄を見てもらいたいんだけど」


📄─────

――アナウンスの声がとても良かったです


――ナレーションに聞き惚れてしまいました


――落とし物コーナーは次回もお願いします


――ナレーターの方が同じなら、次回も参加します


――アナウンスしていた方の名前を教えてください


――落とし物のアドリブがとても楽しめました、またやって欲しいです


――I am very happy to have met the wonderful narrators for this event. Thank you for saving my precious!

─────🖨️


「う……うっ……」

大河原は嗚咽をこらえながら涙を流していた。

コピー用紙の文字が彼女の涙で滲み、文字が歪んでいった。

彼女はそれでも一字一句を噛みしめるように読んでいた。


この様子を、景隆と船岡は生まれたての子供を慈しむように眺めていた。

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