第50話 社会人

「かわいー!」

イベント会場で大河原を見た鶴田は思わず声を上げた。


「鶴田さん、声に出てますよ」

景隆は「コホン」と咳払いしながら注意した。

女性だけがこのような発言を許されるのは理不尽ではないかと、景隆は思った。


イベント会場のオペレーションルームでは、デルタファイブサミットのナレーションに関する打ち合わせが行われた。

霧島プロダクションからは、大河原と船岡が参加している。

景隆は紹介者として同席しているが、イベント関係者ではないため単なるオマケだ。


「はじめまして、大河原と申します。

本日はお休みにも関わらず、私の都合に合わせていただき感謝いたします」


大河原は深々とお辞儀をして挨拶をした。

年齢を感じさせない丁寧な所作に、鶴田も我に返ったのか名刺を差し出しつつ挨拶に応じた。


「ナレーションは基本的に台本が用意されていますので、これを読み上げていただければ問題ありません。

読み上げるタイミングは、当日この場にいるディレクターが指示します」

鶴田から渡された台本には、会場案内、講演者の紹介、イベントの告知などが記載されていた。


「台本以外ではなにかありますか?」

「会場ルールを守れない来場者に対して、ルールを守るようにアナウンスしていただきます。

これについても、定型文があります。

念のため、イベントの注意書きを読んでおいてください」

「承知いたしました。ブローシャーには目を通しましたが、注意事項は把握しておくようにいたします」

「あ、そこまでがんばらなくてもいいですよ。

当日にどこに書いてあるかがわかっていれば問題ないです」


「――それと……落とし物の案内があります。これは台本なしでいけますよね?」

「……はい、問題ございません」

(ん? なんで考え込んだんだ?)


大河原の言動は表情に緊張感が出ているものの、社会人としてまったく問題ない水準まで達していた。

景隆は船岡の仕込みに、改めて感心した。


***


「はぁー、大河原さんは高校生とは思えないほど落ち着いていますね。びっくりしました」

鶴田は感心しながら言った。


ミーティングと会場の下見を終えた四名は、イベント会場内のカフェで休憩をしていた。


「そ、その……今日は付け焼き刃で取り繕っているので、普段はもっとだらしないんです」

大河原は恥ずかしそうに言った。

緊張が解けたのか、表情の硬さがとれて柔らかくなった。


「いやいや、大したもんですよ……私が高校生のときにやってたバイトなんて、『あざーっす』くらいのノリでしたよ」

鶴田は新人の頃から営業として配属されているため、礼儀作法についてはみっちり教育されている。

これが一朝一夕で身につくものではないことは彼女自身が身を持って知っているため、大河原のことをかなり評価していた。


「船岡さんの教育の賜物ですね」

景隆も新人研修で礼儀作法の指導を受けたが、この頃に大河原ほどの振る舞いはできていなかった。


「そうなんですね!? うちの新人研修の講師をお願いしたいくらいですよ」

「船岡さんは何人も掛け持ちでマネージャーをやってるから、そんな時間はないと思いますよ」

「わかってますよー、言ってみるのはただじゃないですかー」

「ふふふ」


大河原に笑顔が出てくるようになった。

鶴田が砕けた口調になっているのは、大河原の緊張を和らげるためだろうと思われる。

景隆は会場スタッフである鶴田を味方に付けておきたかったので、大河原を気に入ってくれたのは行幸だった。


「声優を目指す子の中では、大河原はできる部類に入りますね」

船岡の大河原に対する評価も高いようだ。


「よかったです……『みんなこれくらいできて当たり前ですよ』って言われたら、立ち直れなかったところでした」

「ふふ、実は私も出来ない子でした」

「「「ええぇっ!」」」


船岡の発言に全員が驚いた。


***


「今日はお休みのところ、ありがとうございました」

景隆は大河原の都合に合わせてもらったことに、改めて礼を言った。


「いやぁ、こちらこそいい子を紹介してもらって、ありがたいです」

鶴田は景隆を居酒屋に連れ出していた。


「直接会ってみて、改めて、大河原さんの声はいいなって思いました!」

「そう言っていただけると、俺がやってるビジネス的にも嬉しいです」

「eラーニングのサービスを始めるんですね」

「ええ、そうですね。ほかにもいろいろと案件がありまして……」

「デルタの仕事と掛け持ちじゃ、大変じゃないですか?」

「そうなんですよ……なので、いつまで会社にいられるか、わからないですね」

「ええっ!? それは困ります!」


鶴田は驚いた表情で言った。どうやら本気でそう思っているようだ。


「なにか問題ありますかね?」

「大アリです! あのCPUの問題解決にもっと時間がかかっていたら、次の案件が取れないくらいやばかったんですよ?」

「そうだったんですね……」


デルタファイブにとって、アストラルテレコムは国内において最大顧客だ。

新規案件の受注状況次第で、日本法人の売上が大きく左右されることになる。

特に営業の鶴田にとっては死活問題だ。


「それに、横須賀で取れた案件も石動さんのおかげじゃないですか?」

「あれは鷹山もやってたじゃないですか」

「でも、彼女だけじゃ無理ですよね?」

「そりゃそうですけど……」


どうやら、鶴田の景隆に対する評価は、景隆が思っているより高いようだ。


「ところで、石動さん?」

「はい?」

「大河原さんとはどういったご関係で?」

「仕事の発注者と受注者の関係です」


これを聞いた鶴田は「はぁーっ」と大きなため息を付きながら、呆れた表情をした。

(あれ? 既視感があるな……)


「まさか、大河原さんが石動さんを見る熱い視線に気づかなかったとは言わないですよね?」

鶴田はジト目で景隆を見ながら言った。


「仮に何かあったらやばいじゃないですか……未成年ですよ?」

「何もなかったらつまんないじゃないですかー」


鶴田は酔っているようだ。

しかし、彼女はいつもお世話になっている鷺沼の同期なので、邪険にできない。


「とにかく、当日はよろしくお願いします。俺はほかの仕事があるので――」


(そんなに難しい仕事じゃないだろうから、無難に終わってくれるといいな……)

景隆の思いとは裏腹に、イベントの状況は想像の斜め上になることを今の景隆は知る由もなかった。

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