第35話 主導権
「なっ……!」
MoGeの関係者たちは、霧島プロダクション本社の会議室に居合わせた人物を見て絶句した。
石動がデルタイノベーションの発表の場で騒ぎを起こしている一方、翔太は霧島プロダクションとMoGeによる資本提携の交渉に参加していた。
「霧島プロダクションの神代と申します。よろしくお願いいたします」
神代は名刺を差し出し、挨拶をした。
社長の
利根川は、コンシューマーゲームも手掛けるプロデューサーである。
MoGe専属の公認会計士である
MoGeの関係者にとって、国民的人気女優である神代が資本提携の話し合いに出てくることは想定外だった。
さらに、神代はMoGeの社員からハラスメント行為を受けた被害者でもある。
彼らは動揺を隠せなかった。
利根川がこの場に来たことは翔太にとっては大きかった。
コンシューマーゲームはモバイルゲームに比べて開発費が高いため、資金調達の需要があることが推察できた。
「本日は当事務所にご足労いただきありがとうございます――」
関係者どうしの挨拶が終わった途端、神代が主導権を握って話し始めた。
信濃は、社員であった人物の蛮行を謝罪すべきか考えあぐねているところに、神代がいきなり本題に入ったため、完全にペースを握られた。
「――このように、資本提携によって広報活動においては、当事務所の所属タレントの出演コストが抑えられることを期待できます。
御社にとっても多くの利点があると感じていますが、いかがでしょうか?」
翔太は淀みなく話している神代を感心しながら見ていた。
まるで映画『ユニコーン』の主人公である的場がこの場にいるかのように錯覚させられるほど、神代は堂に入っていた。
霧島と橘は交渉を神代に任せて静観している。
翔太が言い出したことではあるが、重要な交渉を所属タレントに任せる霧島の懐の広さには驚かされた。
「――はい、今回のお話は弊社にとってもありがたいと思っています」
信濃は最初の動揺をなんとか立て直しながら応じた。
翔太はMoGe側が資本提携に前向きであることを確信した。
これは霧島プロダクションが指定した場所や時間に合わせて来たことからも明白だ。
***
「当事務所の企業価値はディスカウントキャッシュフローから算出すると――」
神代が霧島プロダクションの企業価値について説明を始めたため、MoGeの関係者は驚いた。
その場にいる霧島プロダクション専属の公認会計士、吉野が話すと思っていたためだ。
資本提携は、想定通りに株式交換で行う方向で進んでいた。
「グループ会社のグレイスが保有している不動産の時価は――」
神代は、企業価値をより高く評価するためにグループ会社の資産価値を説明した。
神代は『スターズリンクプロジェクト』で不動産の資金調達に関わっており、一通りの知識はグレイスの社長である木場と翔太により叩き込まれていた。
来島は感心しながら神代の話を咀嚼し、信濃と利根川は目を白黒させていた。
「MoGeの企業価値ですが――」
来島は将来生み出す収益の高さを前面に出して、企業価値をアピールした。
「そうなりますと、グリーンシートの価格と乖離がありますね」
神代の指摘にMoGeの一同は驚いた。
そこまで把握しているとは想定していなかったのだろう。
そして、これは翔太に対するアシストでもあった。
「はい、この評価は見直されると思います。なぜなら――」
信濃の話の端々から上場を意識していることが窺えた。
翔太としては、この情報だけでもこの場の収穫としては満点だった。
その後、公認会計士の吉野と来島による調整が行われ、株式の交換比率が決定された。
***
「――それで、弊社としては、ゲームには実績がある方に出ていただきたいと思っています」
信濃が提示したビジネス要件は、新人声優の登用を拒否するものであった。
この時代の携帯電話では音声を入れる余地がほとんどなく、声優の起用はコンシューマーゲームに関する案件だ。
この反応は翔太もある程度想定していたが、信濃がここまでネームバリューにこだわるのは想定外だった。
一方で、プロデューサーの利根川は実力があれば問題ないというスタンスのようだった。
霧島プロダクションとしては、たとえ端役であろうと霧島カレッジの卒業生を出演させたかったため、当てが外れたことになる。
霧島としては資本提携をするうえで、通したい案件であった。
翔太は霧島と橘に向かって目で合図し、携帯電話のメールを使って切り札となるある人物を呼び寄せた。
「失礼します」
ノックと共に現れた人物に、信濃と利根川は戦慄した。
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