2.お嬢様の防人志願
小さくて、畳も擦り切れ気味だが、掃除が行き届いた
所々傷が目立つ、年季が入ったちゃぶ台にお茶を並べながら、お嬢様はため息を溢す。
「困ったわねぇ。嫁いで来いと命じられたはずなのに、お相手はそんな話は知らないなんて」
口ではそう言いつつ、さも困ったように演技しているが、お嬢様の顔は緩んでいる。
「お嬢様、実はそんなに困ってないですよね?」
フクが尋ねると、お嬢様はにっこりと微笑む。
「あらあら、そんなふうに見えたかしら?家からは出されてしまったし、受け皿になるはずのお家からは拒否されるしで、結構困っているのよ?」
「…………」
フクはそんな事を
数秒見つめたら、お嬢様は小さく舌を出した。
「実は、これはまたとない好機だと思っているわ」
「好機……ですか?」
お嬢様は目を輝かせている。
ああ、これは悪戯を考えていらしゃる時の顔だ、と、フクは身構える。
町に時刻を知らせる鐘を鳴らして、お嫁入り先の
「家からは嫁に行けと厄介払いされて、嫁入り先に行ってみれば『ここに嫁が来るなんて話はない。怪しい女め!さっさと立ち去らんと官兵に引き渡すぞ!』でしょ?これってもしかして、行方不明になれる絶好の機会なんじゃないかしら!?」
見事に追い払われてしまった。
ここは腹を立てるとか、途方に暮れるとかする場面だと思うのだが、お嬢様はウキウキと両手を組んで、夢見る瞳で虚空を見つめる。
多分お嬢様には、その辺りに夢の生活の絵が浮かんでいるのだろう。
フクはお嬢様が手ずから入れてくれたお茶に、思い切りため息を吹きかける。
「一応家からの嫁げという命令にも従って、その上で要らないって追い返されたんだから、もう義理は果たしたと思うのよ。『実家から追い出され、婚家にも拒否された娘の行先は誰も知らない』……なんて物語でありそうじゃない!?これは自由に生きろという神様からの啓示なのかもしれないわっ」
華族のお嬢様が路頭に迷うなんて、本当は悲惨な状況なはずなのに、お嬢様の頬を紅潮させた浮かれている。
そんな様子に、フクは遠い目になってしまう。
「……市井の者ならまだしも、男爵家のお嬢様がいなくなったら、大捜索ですよ。すぐ見つかります」
フクが思い切り水を差してさし上げるが、お嬢様の上機嫌は止まらない。
「そうかしら?何代経てもずっと華族でいられる永世華族と違って、うちは父の代限りの終身華族。つまり妹が家を継げば、私は『男爵の娘』じゃなくなるのよね〜」
「……そんなの関係なく、お嬢様がいなくなったら、絶対捜索されますよ」
フワフワと嬉しそうに語るお嬢様に、お茶を啜りながら、フクは反論する。
「そもそも、お嬢様は何故そんなに行方不明になりたいんですか?」
行方不明になりたがる人なんて、借金を負ったとか、ヤクザ者だったりとか、そういう後ろ暗い事情がある人たちだ。
「ん〜、フクたちと三人で暮らすって楽しそうだし……実は私、身分的にも年齢的にも無価値になっちゃったわけなんだけど、まだもう一つだけ、価値が残ってるの」
「お嬢様の価値は身分や年齢じゃありませんよ!」
「んふっ、そう言ってくれるのはフクとミッちゃんだけよ!!好き!!」
フクが怒ると、お嬢様は嬉しそうな顔でフクの頭や顔を撫でまくる。
「実はね、私、一部界隈から結界師を産むことを、ものすごーーーく期待されてるのよ」
満足するまでフクを撫で回してから、お嬢様はため息を吐く。
「結界師!?ええっ!?結界師って、あの結界師様ですか!?各都市を守っていらっしゃる!?」
フクは目を剥く。
結界師とは、鬼を退ける力を持つ、選ばれた尊い存在だ。
今、帝都やその他の都が、都として存在できるのは、結界師のおかげと言われている。
フクも結界師の守護が無くなった瞬間に壊滅した町に住んでいたから、今はどれだけ結界師が尊いものかわかっている。
結界師の能力があると判明したら、国に手厚く保護され、身分なども与えられると聞く。
「あら?言ってなかったかしら?私の母もそれ程強いわけではないけど結界師だったのよ。しかも通常の結界師は自分の意思などに関係なく、自分の周りから鬼を遠ざける……言わば蚊取り線香本体のようなものなんだけど、母の家系は自分の意思で、その力を自在に操り、離れた場所にも守護を与える事ができる、言わば分割可能な蚊取り線香だったの」
「…………」
自分の親の話なのに、蚊取り線香はないのではないだろうかと、フクは半眼になるが、お嬢様は全く気に留めない。
「まぁ、私の母は、病気を得てから、全く力が顕現しなくなったんだけどね。曽祖母、祖母、母と三代に渡って、母方は結界師として帝都を守る任にあたっていたの。で、そのご褒美に爵位を賜っていたのよ」
「えぇ!?じゃあ旦那様は爵位と関係なかったんですか!?」
衝撃の事実である。
「もちろん家の主人であるお父様が爵位をもらってるのよ。外国では爵位を賜るのは『人』らしいけど、我が国は『家』に与えられるからね」
何でもないような事のように嬢様は語る。
「でも……でも……じゃあそれって……」
先妻の功績で得た地位で商いをしているくせに、先妻が亡くなったら、すぐに後妻を娶り、先妻の娘を冷遇する、最低親父じゃないか。
フクは酷い事を言いそうになって口を閉じる。
お嬢様であるユウは十九歳で、その異母妹であるレイは十六歳。
彼女の母親が何歳で亡くなったかはわからないが、たった三歳しか年齢差がないのだから、そう言う事だろう。
「子爵様からお話が来たのも、『結界師を産出した家』って箔をつけたいのが見え見えだったから、結構重圧だったのよねぇ」
それは結界師は『生きた奇跡』なんて言われているから、そんな子供を産めと言われるのは苦痛だろう。
「お、お嬢様、お嬢様、じゃあ、お嬢様も実は……結界師様のお力が……!?」
フクが目を輝かせると、お嬢様はお茶を一口飲んでから、ヘラリと笑う。
「あるにはあるんだけど……お母様が病を得てから産んだせいか……私の場合、範囲がねぇ……
お嬢様は両手の人差し指と親指を合わせて、『0』の形を作る。
「へ……?」
「つまり……鬼は私に触れられないけど、お隣には座れちゃう……みたいな。えへっ」
お嬢様は両方の拳を顎につけて、可愛子ぶった顔で笑って見せる。
「………それは……えっと………それは結界と呼んで良いんでしょうか……?」
「呼べないわよねぇ〜」
フクの少し失礼な質問にも、お嬢様はカラカラと笑う。
「まぁ、そんなわけで、男爵令嬢という肩書きも近いうちに無くなって、西征将軍の後ろ盾も貰えないとなると、どっかに閉じ込めてひたすら子供を産ませよう……なんて輩が出てこないとも限らないのよねぇ。な・の・で、この機会に市井に紛れちゃおうかなって」
お嬢様はてへっと笑うが、そんなに緊張感のない様子でする話ではない。
フクは顔を曇らせる。
「お嬢様。そのような事情なら、行方をくらませることにフクは反対しません。が、先立つものはどうされます?荷物にも大した金目のものは入っていないんですよ?」
ほぼ身一つで出されたお嬢様には、生活を始めるにあたって必要なお金がない。
住む所を確保しようにも、家からの保障がない上に、年若い女だけなので、かなりふっかけられてしまうだろう。
フクは女中として過分なく働けるつもりだが、家からの紹介状がないと、舐められて半人前のお給金しかもらえないかもしれない。
それではとてもお嬢様を養いきれない。
一度フクだけが男爵家に戻り、紹介状を書いてもらうことも考えたが、お嬢様が行方をくらますなら、フクはお嬢様に繋がる重要な手掛かりになってしまうから、捕らえられてしまうかもしれない。
考え込むフクに、お嬢様は輝くような笑みを見せる。
「私、
後光が差すような、眩しい微笑みに、フクは目眩を覚える。
「幸運に継ぐ幸運よ!嫁ぎ先が護国の最前線の防人の里だったんだから!ここは防人志願の受付所があるのよ!………あらあら、フク、どうしたの?疲れが出たのかしら?」
額に手を当てて蹲ってしまったフクにお嬢様は首を傾げる。
「……お嬢様、『防人』が何かわかってらっしゃいます?」
「勿論よ!護国軍の兵士の呼称でしょう?誰でも入れる末端なのに、お給金がとても高いって聞いたわ〜」
朗らかに答えるお嬢様に、フクの目眩はますます酷くなる。
護国軍とは鬼から民を守るために立ち上げられた組織で、そこに属する兵士は、防人と呼ばれる。
給金が破格であるため、腕に覚えのある者が志願するが、五体満足で退役できる者は稀と聞く。
防人の中でも、鬼を倒せる実力を持つ者を
そんな恐ろしい職に、大切なお嬢様を就かせるわけにはいかない。
「防人は末端も末端!!鬼と戦う為の、使い捨ての駒ですよ!!す・て・ご・ま!!高いお給金で釣って、鬼に突撃させる鉄砲玉です!」
フクは肩を怒らせてそう言うが、やはりお嬢様には響かない。
「まぁ、お国のために戦ってくださる方々を、そんな言い方をしてはいけないわ」
おっとりとそんな注意をしてくる。
「お嬢様、わかっていますか!?鬼です鬼!!!」
「ええ、鬼ね」
そう言っても、もちろんお嬢様は怯えたりはしない。
不思議そうな顔で頷くだけだ。
「私の射撃の腕前は知っているでしょう?ライフルさえあれば何とかなると思うの」
「な・り・ま・せ・ん!あの時は護人様たちが沢山いたから皆生き残れたんですよ!!」
「私、前には出ないわよ?逃げ回るのも上手だし。それに先程も言ったけど、鬼は私に触れられないし……」
お嬢様はフクを説得にかかるが、フクは大きく首を振る。
「絶対反対です!!見てください!このフクの顔を!」
フクは自身の大きく抉れた頬を指差す。
鬼が遊びのように振り下ろした腕で、顔の形が変わり、死線を彷徨うほどの大きな怪我を負ったのだ。
それ程鬼の持つ力は恐ろしい。
あの日の鬼が、最初からお嬢様の存在を認識していて、
「お嬢様に万が一にでも、こんな怪我をさせるくらいなら、フクが日夜、身を粉にして働いて、お嬢様を養って差し上げます!!」
いかにお嬢様に射撃の腕前があろうと、微かな結界師の力があると言われようと、フクは絶対に認められない。
そこまで言うと、お嬢様はしょんぼりと下を向いてしまう。
「……良い考えだと思ったんだけどな……」
それでもまだ完全に諦めてはいない。
「お嬢様、鬼に距離など関係ありません。奴らは生きた災害です。触れられないと言っても、知恵が回る奴に、何かを投げつけられたりしたらどうするんです!」
そんなお嬢様に、ピシャリとフクは言う。
実際に殺されかけて、鬼と人間の圧倒的な力の差を思い知らされた。
あれを前にして『絶対』なんて存在しない。
それが身に染みて、わかっているから、フクは全力でお嬢様を止める。
永く鎖国していたフクたちの住まう国が、異国の干渉によって大きく荒れ始めた時、突如、奴らは現れたと言う。
異国に対抗するために幕府が生み出したとも、国が荒れたせいで成ったとも、封印をしていた一族が
正確なことは何一つわからない。
ただ、わかるのは鬼が恐ろしい存在だと言う事だ。
様々な動物を混ぜたような姿をしており、他の生物を喰らう事で肥大化する。
そして必ず体のどこかに角を持つ。
この角が鬼の力の源と言われており、これを切り離したり破壊すれば、斃す事ができると言われている。
しかし角は一本とも限らず、必ず外から見えるわけではないから、普通の人間は、ほぼ喰われるだけの哀れな餌に成り果てる。
「良い案だと思ったんだけど……仕方ないわ。じゃあ、明日には帝都に向かって移動しましょう。木は森の中に。人でごった返している帝都の方が身を隠しやすいわ」
女工以外に私がなれるものがあるかしら、等とお嬢様は思い悩んでいるが、防人を諦めたようなのでフクはホッと息を溢す。
その後も、どこが一番稼げるかしらとお嬢様は思案していたが、その悩みは夜半まで保たなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます