不審な動き



 ◆ ◆ ◆



 藤山家の屋敷は、冷たい静けさに包まれていた。築百年を超える屋敷は、手入れの行き届いた庭と格子の奥に深い影を落としている。

 鷹彦の部屋では、蝋燭の灯りが一つだけ揺れていた。


「……何故見つからない」


 机の上の地図を眺めながら、捜した場所に印を付ける。

 休む暇も寝る暇もないほどに、鷹彦は人間になりすますための仕事の傍ら、増幅の奇術の持ち主を捜し続けていた。増幅の奇術の家系は時代の流れで落ちぶれたということは分かっている。しかしだからこそ、見つけることができない。平安の頃より人の増えた時代で、明確な家名もない存在を見つけることは至難の業だった。


「支配の奇術の器は見つけた。だが――増幅の器は、どこにいる」


 呟いた声は濁っていた。焼けるような怒りが入り交じっていた。


 鷹彦は月宮家の行き先を長年見張り、虎視眈々と狙い続けていた。奇術が取り締まられ、月宮家の護衛がいなくなった今こそがまたとない機会なのだ。

 支配と増幅の奇術の両輪で過去へ還る。そのためだけに千年生きながらえたというのに、増幅の奇術の持ち主の情報だけは一向に出てこない。いや、正確には、収監されていたというところまでは情報を得た。しかしその先の行方が分からない。

 増幅の奇術の持ち主の元夫の家まで赴いたが、行き先については何も知らないと言うので新しい妻諸共殺してしまった。


(罪人がここまで目立たぬはずがない。大きな資金力によって隠されているとしか……)


 鷹彦はふと、地図上にある隣町の財閥の屋敷の付近に目を付けた。

 一度捜した場所だが、この家の関係者となっていれば、見つからなくても不自然ではない。彼らは古くから呉服商で成功している一族で、儲けた分を貧しい者に還元することにも熱心な、お人好しな一族だ。行き場のない罪人に生きる居場所を作ってやることだってするだろう。


 その時、襖の向こうから気配が動く。音もなく現れたのは、彼に長く仕える下男だった。ぬらりとした笑みを湛えたまま、頭を下げる。


「双極鬼様。報告がございます。誠二と、屋敷の女中たちの動きに不審な点がございます」


 彼は平安の世から人間を食い殺し、鷹彦に付いて回っている従順な鬼だ。そしてその鬼に恋をしている誠二も、鷹彦に従順なはずだった。


「誠二がどうした」

「ここ最近、月宮の娘と出かけると言い、寺に通っているようなのです。それからこれは、今後義理の家族になるためかと思われますが、月宮家の母親もやけに女中たちに接触している様子です。休みの日などは一緒に茶屋に出かけているとか」


 鷹彦は眉を寄せた。

 不審と言えるほど不審ではないが、確かに引っかかる動きではある。特に誠二に関しては、こちらが命じる以上のことはしない男だ。月宮の娘を連れて寺に通えなどとは言っていない。

 襖の隙間から夜風が滑り込んだ。灯りの火が揺れ、鷹彦の長い影が、襖の向こうへと這い出す。


「誠二の手綱はお前が握っているんじゃなかったのか?」


 低い声で問いかけると、下男がびくりと肩を揺らした。


「……申し訳ございません。ただ、誠二から僕への情は揺らぎないものと存じます。そう簡単に僕のことは裏切らないかと」


 しかしすぐに表情を立て直し、淡々と述べる。

 確かに誠二は、この下男のことを溺愛している。正確には、子供の頃から傍にいた、人間の下男のことが好きだったのだろう。

 愛する男を目の前で鬼に食われ、彼の感情は壊れてしまった。自分の愛する男の記憶を持ち、全く同じ顔をした存在を代替品のように愛した。愛する男を殺した鬼に依存するしかなかったのだ。

 鷹彦にとってその姿は、無様だった。しかし、好都合でもあった。


「万が一に備えて誠二のことはよく見ておけ。その寺まで後をつけろ。妙な真似をしていれば殺して構わない」


 鷹彦はそう命じ、下男を部屋から去らせた。

 一人残された鷹彦は、再び静寂の中へと沈み込んだ。


 ――が、思いの外すぐにその静寂は邪魔される。

 扉の向こうから、先程出て行ったばかりの下男が、荒い息を押し殺して戻ってきた。


「双極鬼様! 大変です……!」


 鷹彦は顔だけを向ける。

 その無言の圧に、下男は身を縮めながら、ひとつの紙片を差し出した。


「女中たちが消えました! 主人も屋敷中、どこにもおりません。そして……こんなものが……」


 鷹彦は無言で手紙を受け取った。

 白い和紙に、簡素な筆跡で綴られた文面がそこにあった。



『増幅の奇術の持ち主は我らが預かりました。

望むならば、崖の上の寺へおいでください。 月宮桔梗』



 読み終えた瞬間、鷹彦の手から紙が、ひらりと畳へと落ちた。

 く、と笑う。その笑みは、かすかに唇の端を引き上げるのみ。そこに感情はなかった。


「あの女……戻っているな」


 月宮の人間に自分の動きを勘付かれること。邪魔されること。最も恐れていた事態だ。支配の奇術は強力であるため、正面から敵に回すことは避けたかった――が、こうなってしまっては仕方がない。


「面白い。所詮は人だ。そこに増幅の奇術の持ち主がいるというなら、挑発に乗ってやろう」


 風の鳴る屋敷に、冷たい殺意が刻まれる。


「双極鬼様……どうなさいますか」

「鬼を呼べ。今揃えられるだけ、全員を」


 下男はその命令を受け、すぐに動き出した。


 残った鷹彦は窓の外に浮かぶ月光を眺めながら、ただ考えていた。


 今度こそ手に入れる。

 そのためなら、どれだけの血を流してもかまわない。千年前あの時と同じように。





 ◆ ◆ ◆



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