奇術
「
男――清影は、諦めたように名を告げた。
「清影さん……」
「清影で結構です。華族のご令嬢にそのような呼び方をされるのは落ち着かない」
「では、清影。早速だけど……さっき言っていた、奇術について教えてほしい」
桔梗が答えを急かすと、彼はゆっくりとした口調で説明を始めた。
曰く、奇術とは、平安の御世以降に皇族から臣下に転じた家系や、宮廷で政務を担ってきた旧公家華族の一部が使えると言われる不思議な力である。
元は平安の世において呪術や占術として広く使用されていた術で、特に公家の中でも五位以上の位階を持つ者たちがその術式を守り続けてきた。
しかし明治の世になり明治政府が急速に近代化を推し進めたため、世間では西洋科学や合理主義が主流となった。平安より伝わる奇術は古い迷信として否定される立場に追いやられ、奇術を持つ家系はその力を隠している。
「今は昔の陰陽師と違って、一つの家系が一種類の奇術しか使えないそうです。占いができる家系もあれば、式神を扱う家系……何でもない葉なんかを毒に変える術を使う家系もあるとは聞いたことがあります。ただ、少し前に政府から禁止令が出て、奇術の使い方を継承するための書物は徹底して燃やされたそうですね」
桔梗は古い記憶を遡り、そういえば親が何か隠している素振りがあったようなと思い当たる節を探す。
昔から屋敷の書庫には入れてもらえなかった。明治の世になるとお役人が家に来て大量の書物を回収していった。桔梗には何が何だか分からなかったが、あの時のあれはそういうことだったのかもしれない。
「旧公家華族である私にも、何らかの奇術が扱えるということですよね。一体どんな……」
考えられるとしたら、時間を巻き戻す力だ。そうでなければ一度死んでまた蘇るなんてことは起こらない。
しかし、清影の意見は違っていた。
「おそらく言霊術のような力でしょう。先程、君は待てと言って俺の動きを止めましたから」
そこで、茶屋の若い娘がひと口サイズの慎ましやかな餅菓子を運んできた。
小豆のゆで汁でつけたその餅は朱華色で、明け方の空がほんのりとあかね色に染まる様子を表現しているらしい。黒豆を妙って作られたお茶は薄紫色で、よい香りがした。
清影が茶屋の娘に笑顔を振りまくと、彼女はぽっと頬を染めてぱたぱたと小走りで店の奥へ戻っていく。
桔梗は清影が鬼であると知っている分、その様子を複雑な気持ちで眺めていた。
「あの時のように君が無意識に奇術を発動する可能性もあるので、今後発言には気を付けた方がいいですよ」
餅を摘んだ清影に脅すようなことを言われ、桔梗はごくりと唾を飲み込む。
清影の言う通り、奇術の種類が何であれ、きちんと制御できなければ危険な力だろう。扱い方を誤れば思わぬ結果を招いてしまうかもしれない。
桔梗にはもう一つ気になることがあった。
茶を啜ってから清影に尋ねる。
「奇術は、本当に公家由来でないと扱えないの? 他の家系……例えば、大名家は……」
「聞いたことがありません。そもそも、先程伝えた通り奇術の元は平安の御世に上位の公家が家の力を保つために独占してきた力ですから。時代が大きく変わったとはいえ、家に代々伝わるものをそう易易と他の家に伝えるということはないでしょう。仮にやり方が分かったとしても、他家の生まれの者に奇術を正しく発動させられるとは思えません」
つまり、旧大名として華族に列せられた武家華族である藤山家の人間たちは、奇術など扱えないということだ。
鬼は奇術を奪うために人を食う。なら何故、鷹彦は奇術を扱えない藤山家の人間たちを襲ったのか。
(もしかしたら、狙いは誠二たちじゃなくて、私だった……?)
茶碗を卓に置きながら、ぞっと寒気がした。
(私が藤山家に関わらなければ、あの惨劇は起こらなかったんじゃ……)
重たい罪悪感が背に伸し掛かり、食欲がなくなっていく。
「食べないのですか?」
しばらく固まっていたのだろう。
清影がじっと覗き込んできたことで、意識が現実に戻ってくる。
「あ、いや……」
「食べないのなら、もらいますね」
「えっ、あっ、嘘」
清影は桔梗の餅を摘み、さっさと平らげてしまった。
「食べないなんて言ってない……!」
「遅いからいけないんですよ。悠長に構えていて生き残れる世界ではありません。生まれた時から尊ばれることを約束されていた華族のご令嬢には、分からないかもしれませんが。――ご馳走様でした」
涼し気な顔で慇懃無礼な物言いをして立ち上がる清影。まるで世間知らずだと嘲られたような気持ちだ。
彼がさっさと帰ろうとするので、桔梗も慌ててその後を追って茶屋を出た。
店に入った時はまだ夕焼けに染まっていた空は、もうすっかり黒くなっていた。
明かりの灯る夜道で清影を追う。石畳を打つ靴音が闇に吸い込まれていく。
「ま、待って。まだ聞きたいことが……」
「奇術について知っている情報なら全て教えました。もう用はないでしょう」
慣れない靴を履いているせいで足がもつれる。
どんどん清影との距離の差が開いた。
「待ってってば……!」
桔梗の叫びは夜の空気に溶けていく。
足の長さの違いもあってか、清影の方が歩くのが速い。すぐに見失ってしまいそうだった。
「奇術だけじゃない、鬼についても教えてほしいの!」
桔梗は必死に彼を追いかけ、そう叫んだ。
ぴたりと清影が足を止める。
よかった、立ち止まってくれた……とほっとしながら見上げると、こちらを振り向く清影と目が合う。
「今、鬼と言いましたか?」
冷たい灯火が、清影の面差しを照らす。
月明かりを背後にした彼の目は――不気味なほどに、紅く光っていた。
ぞくりと全身に悪寒が走った直後、清影の腕がこちらに伸びてきた。
気付いた時には細い手首を絡め取られ、暗がりへと引き込まれていた。
狭い路地裏。ひんやりとした塀が背に迫る。清影の手がするりと桔梗の喉元へ這う。
その指先はひどく冷たい。けれど、その力は容赦がなかった。静かな笑みを湛えたまま、清影は桔梗の首を締める手にじわりと力を込める。
人とは思えぬ力の強さだった。
「奇術を扱う娘が突然接触してきた時点で疑ってはいましたが」
囁きが耳朶を掠める。優美な声音の奥に、鋭い棘が潜んでいた。桔梗は震える指先で清影の手を掴むが、その手はびくともしない。
息が詰まり、視界が滲む。
「俺が鬼だと知っているのなら帰すことはできませんね」
夜の風がふっと吹き抜ける。
遠く、通りを行き交う人々の気配がするが、叫んだところで騒がしくておそらく誰も気付かないだろう。
またこの男に殺されるのか、と冷ややかな絶望が桔梗を襲う。
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