ブラックベリーシンドローム

kou

森のイチゴと不思議な冒険

 森には、柔らかな日差しが葉の間から差し込んでいた。

 茂みの中には、小さな白い花が咲き、その後に赤く熟した野イチゴが実をつけて、甘い香りを漂わせている。

 その森の中に女性と少女の姿があった。

 喫茶店を営む桜井さくらい双葉ふたばは、常連客の小学5年生の野々宮ののみやあおいを連れて森に出かけたのだ。

 手作りのスイーツで有名な双葉は、新鮮な野イチゴを使ってお菓子を作り、その優しい味わいで訪れる人々を魅了していた。サイズこそ市場に出回っているイチゴと比べて小さめだが、その風味の豊かさは他の追随を許さないものがある。その香りと豊かな甘酸っぱさの調和が舌を楽しませる。

 中でも双葉が作る野イチゴのタルトは人気で、いつも売り切れになるほどだった。

 そんな彼女が今日は新作メニューを思いついたこともあって、森の恵みを探しに来たのだ。

 双葉は葵に野イチゴの摘み方を教え、一緒に楽しい時間を過ごすお出かけだ。

「双葉さん、見て! こんなに大きな野イチゴがあるよ!」

 葵は嬉しそうに野イチゴの実を宝石の様に眺める。

「イチゴは繊細なの。こうやって優しく摘んであげてね」

 そう言って、双葉は丁寧にイチゴの葉を摘んでいく。

 二人はさまざまな野イチゴを見つけて楽しんでいた。赤く熟したイチゴを見つけるたびに、葵は嬉しそうに声を上げ、双葉も微笑んだ。

 しかし、森の奥へ進むと、葵は一際大きな黒いイチゴの実を見つけた。

「これ黒いけど、きれいな色」

 葵は摘み取り香りを嗅ぐと甘い匂いがすることに気づいた。

 誘われるように口に入れると、程よい酸味の後に甘みが広がる。それは今まで味わったことのない美味しさだった。

 双葉は野イチゴを手にして言う。

「そうだ、葵ちゃん。ブラックベリーだけど、それだけは食べちゃダ……」

 彼女が振り返った時、葵の姿はそこに無かった。

 葵は足元の地面が急に崩れ、葵は奈落へと滑り落ちていった。恐怖で叫び声を上げながら、彼女は暗闇の中を滑り続けた。

「いやああああ!」

 葵は必死に手を伸ばし、何かにしがみつこうとしたが、何も掴むことができなかった。やがて滑り落ちる速度が緩み、彼女は柔らかい苔の上に落ち着いた。

 葵がようやく立ち上がると、周囲が見慣れない光景に変わっていることに気づいた。巨大な木の根が絡み合い、暗闇の中で不気味に揺れていた。

「イタタ。ここ、どこなの?」

 葵は震えながら前進し、慎重に足を運んだ。

 すると、葵の脚は細い糸に絡め取られてしまう。

 葵は必死にもがいたが、糸は絡みついてくる。

 その時、複数の長い棒が上から伸びてきて彼女に迫った。見上げると6個の玉が葵を凝視する。

 大きすぎて意味が分からなかったが、それは巨大な蜘蛛と分かった瞬間、表情を引きつらせた。

「……待って、こんなのおかしいよ」

 葵は笑いながら、手探りで近くにある鋭い石を見つけた。彼女はそれを使って蜘蛛の巣を切り裂き自由を手に入れた。

 蜘蛛が彼女に飛びかかる瞬間、葵は咄嗟に身を翻し攻撃を避けて、全力で走り出した。

「こんなに走るのは体育の時間だけで十分だよ!」

 葵は息を切らす。

 そこに地を響かせて恐竜のような大きなトカゲが現れた。

 トカゲは長い舌を出して周囲を見る。

 葵は慌てて近くの木の後ろに隠れた。

 木と一体化するように硬直した葵の後ろを、トカゲがゆっくりと過ぎ去って行く。

 ――程なくして、静かになる。

 安堵し胸を撫で下ろす葵だったが、眼の前に音もなくトカゲの頭が影のように突き出された。

 葵を認めて瞳孔が黒く大きくなる。

「こ、こんにちは」

 葵は表情を引きつらせ挨拶をすると、トカゲは口を大きく開けて応えてくれたが、それは捕食だった。

「いいやああぁぁぁ――!」

 彼女の頭は真っ白になりつつも、慌てて逃げ出した。

 暗闇を駆け抜けながらも、背後から迫ってくる音が聞こえてくる。振り返るとトカゲが追ってきていた。

 必死で逃げる葵だが、足がもつれ転んでしまう。

 目の前に迫る巨体を見て絶望する彼女だったが、その瞬間、フィンガースナップが響き、葵が手足をバタつかせる側で双葉が立っていた。

「あれ双葉さん。私どうして?」

 葵は混乱していた。

「妖精のイタズラよ」

 双葉は腰を下ろして微笑んだ。


【ブラックベリー】

 ブラックベリーには精霊や吸血鬼から守護してくれる力があると言われ、魔術にも使用されてきた。

 ケルトの伝承によると、ブラックベリーは妖精の果実のため、人が食べると不運に見舞われると言う伝承がある。


 双葉はそう言うと、指を鳴らした。

 その音に合わせて、木々の間から無数の光が飛び出し、瞬く間に暗い森を照らしていく。

 光の中で葵が見たのは、光る小さな生き物たちだった。彼らは互いに戯れたり、飛んだり跳ねたりして遊んでいる。

 その光景はまるで夜空に浮かぶ星々のようだ。

 呆然と見つめる葵に双葉は言う。

「葵ちゃんが食べたブラックベリーはね、妖精たちが育てていたものなの。あの子たちはイタズラ好きなのよ」

 その言葉に安堵したのか、葵の表情が和らいだ。

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