第25話:貴方のために④
「え?」
「もしも昨晩、エドアルドが君の項を噛んでいたら、俺はきっとどんな結末になろうが彼を殺していたよ」
セイの運命が頭の切れる男でよかったね。ヴィートは静かにそう告げながら立ち上がる。
その時、ちょうど空に登った太陽の強い光が逆光で彼の顔を隠してしまったが、その前にほんの少しだけ見えた表情が酷く悲しそうなものに見えたのは、きっと間違いではない。
許してくれたのだろうか、二人のことを。
背を向けて湖から去っていくヴィートの後ろ姿を見つめていると、涙が自然に浮かんだ。
幼い頃からずっと一緒に育ってきた彼の愛を受け入れることはできなかったが、それでも昔は一人のオメガとして、ヴィートと番になったら、なんて考えたこともあった。無論、それは夢物語に近いもので、想像の中にとどめておくだけだったが、もしエドアルドと出会わなかったら、もし今よりずっと前に愛を告げられていたら、二人は生涯を誓う仲になっていたかもしれない。
セイにとってそこまで考えられる、世界で一番大切な友人だったのだ。
だからこそ、ヴィートを悲しませてしまったことが、辛くて仕方ない。
今の自分が彼に対してできることは残念ながらないけれど、いつかは精一杯の恩返しがしたい。心の中で決意していると、不意に濡れて額に張り付いていた髪を払う指の感触で現実へと引き戻された。
「エド……?」
「大丈夫ですか?」
不安そうな顔で聞いてきたのは身体のことか、それとも心のことか。
「…………うん、大丈夫だよ。そっちは?」
「私は平気です。先ほどは心臓が……潰れそうになりましたが」
「僕もエドの決意を聞いた時は、びっくりしたよ……」
手を伸ばして自分と同じようにずぶ濡れのエドアルドの頬を、そっと撫でる。
「ごめんなさい、貴方を傷つけてしまって……」
「それならもう謝らなくていいって。じゃないとエドが謝り続ける限り、僕だって謝り続けるよ?」
「そんなことをしていたら、二人して風邪を引いてしまいますね」
何せ今の二人はずぶ濡れだ。この場に長くとどまればとどまるほど体調を崩すことになるだろう。
だからせめても、と二人で額をくっつけて体温を分かち合った。
「でもエドは凄いね、いくら抑制剤飲んだからって、あれだけのフェロモンに誘われなかったなんてさ」
「正直、自分でも自信ありませんでした。セイのフェロモンは魅力的すぎて、最中、何度も衝動に負けそうになりましたし」
セイの首筋に歯を当てた時が一番危なかったらしい。言われて思い出すと、納得とともに寂寥感がぶり返してきた。
「ん……」
「どうしました? 悲しそうな顔をして……」
「今回のことは仕方なかったけど……やっぱり番になってないことが寂しいなって……」
未だ自分はエドアルドの正式な番ではない。改めて真実に向き合うと、心にじわりじわりと悲しみが募った。
オメガはアルファとの関係に対して心が敏感に働く習性があるというが、きっとこの感覚もその一つなのだろう。
本当なら、今すぐにでもエドアルドの一番になりたい。親に我が儘をいう子どものように簡単にそう言えたら、どれだけ楽だろうか。けれど今はエドアルドに心配を掛けてしまったことから妙な遠慮が働いてしまい、言葉が形にならなかった。
「そんな顔をしないで。セイが憂うことなんて、まったくありませんから」
「え?」
「……本当はきちんと準備をして、最高の景色が眺められる場所でと考えていました。ですが、もう気持ちを抑えられそうにありませんので、今、ここで伝えさせて下さい」
頬を撫でていた指で手を握られ、そっと甲にも一つ唇を寄せられる。そして。
「セイ、私と結婚してください」
相手の呼吸音すら聞こえるほどの距離の中、穏やかな声で紡がれた。
「エ、ド……」
エドアルドと結婚。それは初めて出会った時、無意識に浮かべた憧憬だったが、叶うものではないと諦めていた。
だけれど、あの日心に描いたエドアルドが今、目の前にいる。そう認識した途端ぶわっと涙が溢れ出て、あっという間に視界全部が滲んだ。
「っ、……エ、ド……」
言葉で表すだけじゃ足りないぐらい愛おしいエドアルドが、自分のものになる。そしてセイ自身も、頭の先から爪先まで、余すところなく彼のものになれる。もう何にも邪魔されない。
ああ、こんなにも幸せな気持ちになってもいいのだろうか。
「僕と……一緒になって……くれるの?」
「勿論です。私が生涯をともに過ごせるのは、貴方一人しかいませんから」
「ありが……とう、すご……っ……嬉し……」
感極まりすぎて、どんどん湧き出てくる涙が止められない。おかげでちゃんとした返事をかえしたいのに嗚咽は止まらないし、挙げ句には息苦しくなってくる始末だし。もし誰かがこのプロポーズ現場を見たら、きっと不格好なカップルだと笑うことだろう。
でも、それでいい。
呼べば返事をしてくれる場所にエドアルドがいる。一緒に笑い合って、二人で生きていくことができる。もうそれだけで十分だった。
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