第2話:運命の番


 バース三種性のアルファとオメガには、番という特殊な繋がりが存在する。形としては男女の婚姻制度に似ているが、それよりももっと強固なもので、性交中にアルファがオメガの項を噛むことで二人の間に二度と解消できないパートナー関係が成立する。それを番契約というのだが、運命の番はそういった理性で繋がる間柄ではなく、自分の意思ではどうすることもできない、『本能』で惹かれあうものなのだ。

 言葉どおり、運命で繋がることが定められた相手。


 ――――まさか、自分が魂の番と巡り会えるなんて。


 ずっとお伽噺の一種だと思っていた。目があった瞬間に心を奪われ、恋に落ちる。自分の全てを捨ててでも相手と添い遂げたいと願うようになり、他の人間が一切目に入らなくなる。そんな非現実的なことが、実際に起こるはずないと考えていたけれど、数メートル先にいる初めて会った男の姿に本能が歓喜に打ち震え、今すぐ駆け寄って抱きしめ合いたいと訴えている。


 まるで誰も解けない数学の問題の答えを、途中の数式を飛ばして教えられたような、そんな気分だ。

おそらく、向こうも同じように思っているだろう。


 ――――この場で即座に項を噛まれたら、どれだけ幸せだろうか。


 心のままに想像するも、セイは沸き立ちそうな感情を瞬時に押し止めた。

 目の前にヴィートがいるからだ。


「どうしたの、セイ。急に固まっちゃって。体調でも悪くなった?」


 何も言わず立ち尽くしてしまったことに、ヴィートが首を傾げて心配そうな顔を浮かべる。様子から察するに、まだ彼は二人のことに気づいていないようだ。


「いや……別に、ちょっと忘れてたことを思い出した……だけだよ」

「へぇ、セイが物忘れなんて珍しいね」

「ごめんね、最近覚えていなくちゃいけないことが多くて。それより彼が新しい事業のパートナー……でいいんだよね?」

「ああ、彼はエドアルド=マイゼッティー。マイゼッティーファミリーの若きドンで、年は二十七歳。彼も経営力に長けていて、いくつもの会社を成功させた有能な男だよ」


 マイゼッティー。名前を聞いたところで、記憶から情報を素早く引き出す。

 確かシチリア北東部のメッシーナに拠点を置くマイゼッティーは、数代前から裏稼業よりも企業経営に力を入れて組織を成長させた穏健派のファミリーだ。

 危ない仕事はしない、暴力や抗争も好まない。そんな姿勢に昔は「マフィア界の恥曝し」とも言われていたが、様々な組織が表の仕事をするようになってからは逆に注目されるようになった。


 頭の中の整理が終わったところで、セイは続けてヴィートが告げた『若きドン』という言葉に意識を向ける。二十代で歴史あるファミリーのドンを名乗っているということは、おそらくヴィートと同じように先代の早すぎる死によって長の席についたのだろう。エドアルドも辛い過去を乗り越えた男の一人だ。


「エドアルド、彼がさっき話した僕の右腕のセイだ」


 ヴィートに仲介される形で、二人の距離がゆっくりと近づく。

先ほどは遠目で細かくまでは見えなかったが、エドアルドは驚くほど美しい男だった。

 翡翠色の涼しげな瞳に鼻筋の通った彫りの深い顔は、まさに甘いマスクという言葉がぴったりで、緩く波打った鎖骨までの長髪もよく合っている。背もモデルのようにすらりと高く、柔らかな仕立てのカジュアルスーツを無駄なく着こなしてしまっている姿を見ていると、正直、マフィアとして裏の世界に留めておくのが惜しいと思えてしまった。


「貴方が……セイ……」


 セイの目の前で止まったエドアルドが、熱の籠った眼差しで見つめてくる。

 エドアルドが、いや、魂の番が激しいまでに愛を伝えようとしてくれているのが分かった。

 まだ出会ったばかりだというのに、あたかも長年会うことが許されなかった恋人を見つけたみたいに、今すぐ抱き締めたいと願ってくれている。言葉を交さずとも聞き取れたエドアルドの心の声に、セイの胸も張り裂けそうになった。

が――――、セイはグッと拳を握りしめて踏み出しそうになる足を止める。


 ダメだ、ここで感情を露わにしてはいけない。


「初めまして、ドン・マイゼッティー。セイです。貴方のような有能な方と知り合えて光栄です」


 挨拶をしながら、ゆっくりと手を差し出す。すると目の前の男は緊張した面もちと、切なげな瞳をない交ぜにした表情でセイの手に触れた。


「……エドアルドです。ヴィートから貴方の手腕は聞きました。これまでいくつもの事業を大成させたそうですね」

「これまでは運がよかったんです。毎回同じように、とはいかないかもしれませんので、至らないところがありましたら、ご指摘いただけると助かります」

「こちらこそ、不手際があった時は遠慮せずに言ってくださいね」


 お互い、相手が自分の運命だと知りながら必死に仮面を被り、他人行儀な会話に徹する。この場にもし二人の真相を知る者がいたら大いに首を傾げるだろうが、ここではこれが正解だった。


 マフィアの世界の規律は途轍もなく厳しい。その中でもファミリー間に定められたものは特に重く、裏切りや謀略を防ぐためという理由の下、許可なしに別々の組織の人間同士が会うことすら禁じている。つまりいくら運命の番といえ、ファミリーとファミリーの壁は容易に越えられないのだ。セイもエドアルドも、それを痛いほど理解しているのだ。

それに、とセイは視線だけで隣にいるヴィートを見遣った。


 ――――思ったとおり、警戒している。


 一見、二人の間で穏和な表情を浮かべているように見えるが、よくよく観察して見ると浮かべる笑顔の下の瞳が氷色に染まっていた。おそらく彼なりに何かを感じ取って、アルファであるエドアルドがセイに必要以上に近づかないよう目を光らせているのだろう。


 ヴィートの執着心はかなり強い。それは生まれた時から隔離された世界で生きることを義務づけられた彼の中で、幼なじみであるセイが唯一の理解者であり特別な存在に位置づけられているからだろう。

ヴィートはどんな理由であれ、セイを手放すという選択はしない。だから。


 ――――やはり、彼との将来は考えない方がいい。


 心の相性も身体の相性もこれ以上ないというほど合うと言われる運命の番は、出会えば百パーセントの確立で婚姻を結ぶものとされている。誰にも引き裂くことができない関係であると、学術書にも書いてあるぐらいだ。


 しかし、そんな研究結果は夢物語に終わるだろう。

 そう、この愛は決して実らない。

 セイは脳内に浮かんで止まないエドアルドとの蕩けるような生活を早々に追い払うと、唇を噛みながら密かに運命の対へ決別を告げるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る