第30話



「本当に、貴女は生意気ね! 人の親切を断ろうだなんて! 奈美子の教育が悪かったのね、これからは私が鍛え直してあげるわ……!」



 ……その痛みに、私は伯母に頬を打たれたのだと気付いた。


 両親に手を上げられた事など一度もなかった私は一瞬何が起こったのか分からなかった。そして、伯母から浴びせられる罵声。



 そして私は思い出していた。


 幼い頃からこの伯母が家に訪ねてくると、祖父母も両親もとても警戒していた事。そして昔からこの伯母の話し方はとても棘があった。


 父がいたら何も出来なかったようだったけれど、伯母は昼間父が不在の時を狙ってよく来ていた。昔は宮野家も景気が良くいかに自分が幸せか恵まれているかの自慢が多かったのでまだ良かったのだけれど、祖父母が亡くなった頃から伯母は『高木家は自分のもの』などと不穏な事を言うことが増えた。


 おそらくその辺りから誠司おじさまが話していたように、宮野法律事務所の経営は思わしくなかったのかもしれない。



 そんな雰囲気を父も察していたのだろう。伯母が言い出した『和臣さんと私の婚約話』に父は激怒したとの事だったが、おそらくそれはきっかけの一つに過ぎなかったのだと思う。そしてその時に父が決めたという『宮野家の出入り禁止』。アレはあの伯母を我が家から排除する為に父が決めたのだろう。……和臣さんには申し訳なかったけれど。



「……いいえ。結構ですわ。おばさまの教育は必要ありません。そして、母の事を悪く言う事は許しません!」



「なんですって!? ……この生意気な小娘がッ!」



 伯母はそう言って私の頬を更に激しく打った。そして私の腕を掴み、無理矢理テーブルの前に座らせる。



「アンタは私の言う事を大人しく聞いてりゃあいいのよッ! ……さあ! 早くあの男に電話なさいッ!」



 おそらく、拓人を呼び出したら彼もただでは済まない。男性でそれなりに力もあるだろう拓人を伯母がどうにか出来るとは思わないけれど、きっとロクなことにはならない。


 私が拒否し続けると伯母は舌打ちした後、どこからかガムテープを持って来て私の口を塞いだ。


 そして私の鞄からスマホを取り出す。



「……なに? この携帯新しいの? 番号がちょっとしか入ってないじゃない! あの男の番号もないのね。夫の番号も入れないなんて薄情な子ね!」



 そうぶちぶちと文句を言いながら、伯母は自分のスマホを取り出し番号を見ながら私の持っていたスマホで電話をかけた。おそらく私を探しに来た拓人に連絡先を聞いていたのだろう。



「……もしもし? 私沙良の伯母ですけれど。……ええ、そう。貴方、以前沙良を探しに我が家に来ていたでしょう? 実は沙良を見つけましたの。ええ。本当よ。だから貴方に知らせてあげようと思ってね。ふふ……、そんなに慌てないの。沙良の実家を知ってるでしょう? そこで保護しているからすぐに来てちょうだい」



 そう言ってすぐに電話を切った伯母は満足そうに私を見た。



「『旦那様』は、すぐに来てくださるそうよ。……良かったわねぇ、沙良。愛されているわねぇ」


 そう言って伯母は私の顎を掴み、勝ち誇ったように笑った。



「さあ、今のうちに離婚届を書きなさい。優しい私があの男と別れさせてあげるわ」



 そう言って伯母はどこからかペンを見つけてテーブルに置き、キッチンでお茶の準備を始めた。



 ◇



 ピンポーン……。


 チャイムの音がする。おそらく、拓人が来たのだろう。


 私は伯母に離婚届に署名をさせられた。抵抗したけれど、あの後更に頬を打たれ腕を取って無理矢理書かされたのだ。



 今、私は口元をガムテープで貼られ更に手にもガムテープで後ろ手に括られてリビングの隣の小部屋にいる。ここはリビングからは見えない。小さな頃はよくかくれんぼでここへ隠れた場所だ。両親にはすぐに見つけられたけれど。

 しかし、この家の事をよく知らない拓人はここに気付くことはないだろう。



 玄関で話し声がした後、伯母がリビングに拓人を案内して来たようだ。



「……沙良は今部屋にいるんだけど、まだ貴方には会いたくないって我儘を言っているの。……とりあえず座ってちょうだい。今お茶を淹れるわね」


「いえ僕は……。早く沙良と会って話がしたいんです」

 

「まあ落ち着いて。そんな勢いで会っても話は上手く進まないわ。慌てなくても会えるのだから、とりあえずお茶を飲んで心を落ち着かせて頂戴。……とても、いいお茶なのよ」



 コポコポ……。


 伯母がお茶を淹れる音が聞こえる。



 ……伯母は、いったいどうするつもりなんだろう。いくら力の強い伯母でも男性である拓人に対して私のように暴力で押さえつける事は出来ないはずだわ。



 私はなんとか動こうとするけれど、伯母にキツく縛られた手はどうしても動かないし声も出せない。くぐもった声がするだけで向こうの部屋には聞こえないだろう。



「さぁ、入ったわ。ひとまずこれを飲んで。心を落ち着かせる効果のあるハーブティーなのよ。きっとあなたの気持ちも落ち着くわ」



 伯母にお茶を強く勧められた拓人は、どうやらカップを取り口を付けたようだった。



「……美味しいです。あの、僕は落ち着いてます。大丈夫ですから、沙良を呼んでください」


「まあ、お待ちなさい。……これを見てちょうだい」


「ッ! ……コレは……! これは本当に沙良が書いたんですか?」



 多分、伯母は拓人にさっき書かされた離婚届を見せたんだわ。

 ……お願い、拓人。私の字が乱れていて、何かがおかしいという事に気付いて!


 私は隣の小部屋で必死に祈った。



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