第54話 予期せぬ再会

 浮遊感がなくなると同時に、ライリーはバランスを崩して尻餅をついた。

 鈍い痛みが走るが、そんなことを気にしている余裕はない。


「ここは?」


 転移陣でどこに飛ばされてしまったのか。

 現状を把握するために視線を巡らせれば、そこは影の屋敷にもあったサロンのような部屋だった。


 大きな窓には、対岸が見えないほどの大きな湖が写っている。

 室内には座り心地の良さそうなソファと、それに高さを合わせたローテーブル。

 壁に掛かった抽象的な絵画は暖色を基調としており、高めの天井には窓から差し込む光に反射して煌めくシャンデリアが吊り下がっている。


(これ全部、王城と同じくらい高価なやつだな)

 

 ミカエラの影武者として王城に出入りしていたライリーは、調度品が一級品であることに気が付いた。

 手紙の差出人がミカエラであることを考えれば、ここが彼に関係する場所で、高価なものに囲まれていることにも頷ける。


 ところが、部屋を観察し終わったところで、焼けるような独特の感覚が体に走り、肌という肌が粟立った。

 物音は聞こえないが、部屋の出入口のドアから人の気配と肌を刺すような殺気を感じる。


 ここはミカエラに関する場所で危険はないと思い込んでいたが、そうではなかったようだ。

 殺気を向けられては、この転移は誰が仕掛けたものなのかわからなくなってくる。

 だが、今はそれを深く考えている暇はない。

 

 ライリーはすぐさま腰に差していた短刀を構えてドア横の壁に背をつけた。

 心臓が激しく脈を打ち、背筋に冷たい汗が流れる。

 緊張で激しくなりかけた息を整え、押し殺す。

 ゆっくりとドアノブが回るのを認め、得物を握る手に力を入れた。

 

 ドアが勢いよく開く。

 ライリーが現れた人影に向かって短刀を突き立てると、金属同士がぶつかり合う高い音が響き、腕に痺れが走った。

 

 窓から差し込む陽の光で、黒い人影の正体が浮かび上がる。

 互いの姿がはっきりと見えた時、ライリーも、そして、ライリーの刃を受け止めた人物も息を呑んだ。

 

「ライリー!」

「ユリウス!」


 目を見開き、見つめ合ったまま、交えた刃を同時に下ろして鞘に収めた。


 平常の騎士服を着たユリウスは、記憶にある姿と変わっていない。

 恋焦がれたユリウスが目の前にいる。

 人影が知っている者だと安心してスピードを緩めていた心臓は、再び全速力で駆け出した。

 

 その割に、動揺は上手く隠せている。

 相手がユリウスだとわかった。

 それだけの反応しかしていない自分を、心の中で盛大に褒める。

 

 逃げるようにして王都を発ってから一年近く。

 こうして顔を合わせるのはあの夜以来だ。

 どんな顔をしたらいいのかわからない上に、自分が今、どんな顔をしているのかもわからない。

 ユリウスに会いたかったのは本心だが、今はここから逃げ出したいとも思う。

 矛盾した心は、ライリーでさえよくわからない。


 しかし、どういう状況であれ現状把握が先決だ。

 ライリーは姿勢を正したユリウスに、正面から対峙した。

 

「なんでここに?」

「ミカエラ殿下から届いた手紙を開けたらここにいた」

「俺もだ。指令書だからと言われて開封したら転移陣が描かれた紙が出てきて、いきなり発動してここに飛ばされた」


 ユリウスもライリーと同様、ミカエラから手紙を受け取り、ここに転移させられたようだ。

 彼の話を聞くに、この転移はミカエラによって仕組まれたもので間違いない。


 しかし、まだわからないことだらけだ。

 ミカエラは何の意図があってライリーとユリウスを転移させ、引き合わせたのか。

 何故、ライリーがユリウスのことで傷心中の今、こんなことをしたのか。

 ここはどこなのか。


 ミカエラの考えは本人に聞いてみないとわからない。

 それならば、わかりそうなことから疑問を解消していくのみ。

 

「酷い飛ばされ方だな」

「ライリーもな」

「本当に。なあ、ここがどこかわかる?」

「ああ。ここは東のグリムコーウェンにあるミカエラ殿下所有の別荘だ」


 グリムコーウェン。

 その地名を聞いて、ライリーは頷いた。

 サニーラルンの東に位置するグリムコーウェンは、年中気候が安定しており、冬は避寒地、夏は避暑地として貴族からも平民からも人気の土地だ。

 国内最大級の湖であるナヴィン湖と周囲の森林が織りなす明光風靡な風景は癒しの一言に尽き、年中、観光客で賑わっていると聞く。


 ミカエラの影武者になるための教養の中で、グリムコーウェンに王室の別荘があると教わったが、ここがまさしくその場所というわけだ。

 

「どうりで王宮と雰囲気が似ているわけだ」

「だろ。ついでに言えば、窓もドアもなんらかの魔術がかかっていて開かない」


 ユリウスから告げられた衝撃の事態に、ライリーは叫び声を上げた。

 

「出られないってこと?」

「そういうことだ」

「ええっと……俺も確認していい?」

「無駄になると思うけどな。付き合うよ」


 いくらユリウスがイタズラ好きとはいえ、この状況でくだらない嘘をつくはずがない。

 この屋敷から出られないのは事実だ。

 しかし、この目で現状をしっかりと確認したい。

 そうしなければ、いつまで経っても夢の中にいるようで、現実を受け止められそうにないからだ。


 また、ライリーは時間稼ぎをしたかった。

 王都にいた時はくだらないことでも延々と話せていたというのに、今はそれができるような気がしない。

 ユリウスはどこかよそよそしい雰囲気を醸し出している。

 そんな彼と、何を話していいかわからない。

 手持ち無沙汰に話すより、他の何かに気を取られていた方が自然な会話ができるような気がしたのだ。


 ライリーはユリウスの案内で別荘を上から順に見て回った。

 この別荘は二階建てだ。

 二階には主寝室が一部屋、使用人や騎士が使う寝室が六部屋ある。

 それぞれの部屋に風呂もトイレもあるという贅沢な造りだ。

 一階は広いダイニングとそれに隣接する厨房、サロンと玄関に続く広間があった。

 しかし、すべての窓という窓、ドアというドアの施錠を解いても、びくとも動かなかった。


 最後に玄関ドアが開かないことを確認し、ライリーはドアノブに手をかけ、項垂れた。

 どういうわけか、ライリーはユリウスと二人きり、この別荘に閉じ込められてしまった。

 会いたいと願い続けたユリウスと再会を果たしたはいいが、ぎこちない空気の中、どうやって過ごしたらいいのだろうか。


 ライリーは頭を抱えたその時、ユリウスがはっと息を呑んだ。


「ドアに文字が?」

「え、あ……何これ?」

 

 ユリウスの声につられ顔を上げたライリーの目の前に、魔術で浮かび上がった文字が踊る。

 それはミカエラの筆跡で書かれていた。

 

『ちゃんと話し合うまで出られません。食べ物は十日分あります。ミカエラ』


 成人して大人の色香を纏ったミカエラが、子どのようにはしゃいでウインクをする姿が容易に想像できる。

 ライリーとユリウスは揃って目を眇め、首を傾げた。

 

「何を?」

「さあ?」


 緊張から一転、ライリーは脱力した。

 ミカエラからの指示は「話し合うこと」だ。

 しかし、主語が抜けている。

 これでは何をどう話したらいいのかもわからない。


 はっきりとしないミカエラの意図に、ユリウスも呆れている。

 肝心なことを隠し、振り回すのは勘弁してほしいものだ。

 

 しかし、ミカエラの伝言のおかげでライリーもユリウスも肩の力が抜けた。

 ぎこちない雰囲気が、少し和らいだような気がする。


「とりあえず飯にするか。俺、昼飯食ってないんだ」

「俺も」

「厨房に行こう。十日分あるんだ。贅沢しようぜ」

「ああ」


 出られないのなら仕方がない。

 王族所有の屋敷を好き勝手出来るなんて後にも先にも今回限り。

 ここは思い切ってミカエラの屋敷で寛いだほうがいい。

 ライリーとユリウスの見解は一致した。

 

 ユリウスは勝手知ったるといった様子で厨房へと向かい、ライリーもそれに続いて歩みを進める。

 厨房の奥にある保存庫には、すでに調理された料理がぎっしりと詰まっていた。

 

 洒落た皿に綺麗に盛り付けられていている料理は、懐かしさを感じるものばかり。

 用意されていたのは、間違いなくケイトが作った料理だ。

 

 ケイトの作った料理の味を思い出しただけで、空腹も相まって口内に唾液が溢れ出してくる。

 ライリーはユリウスから手渡されたトレーに料理を載せていく。


 クラーケンの唐揚げ。

 魔牛の肉巻き飯。

 エールで煮込んだシチューが中に入っているパイ。

 三つ目牛のステーキ。

 そして、デザートにスイートポテト。

 

 用意されていた料理は、不思議なことにユリウスと王都を散策した時に食べたものが多かった。

 思い出に浸っているのはライリーだけではなかったようだ。

 ユリウスのトレーに載っている料理も、ライリーとほぼ同じ。

 しかし、相変わらずの大食漢で、ライリーの二倍の量がある。


(この量が胃袋に収まるって、人体の神秘だな)


 ライリーは久しぶりに見るユリウスの食事量に呆気に取られ、そして感心した。

 

 ライリーとユリウスは両手にトレーを抱え、サロンへ向かう。

 影の屋敷にあるサロンで経験したお茶会は、時間を気にすることなく、延々と話ができた。

 ミカエラから話し合えという指示だ。

 食事をとりながら話した方が気も楽になるだろう。

 付け加えるならば、優雅に、贅沢に食事をとりたい。

 そんな思惑から、ライリーとユリウスは完全に開き直っていた。

 

 サロンのテーブルに皿を並べ、二人掛けのソファに並んで座る。

 ライリーは食事のついでにと持ってきたポティーンの栓を景気良く開けた。

 料理とともに、保存庫に入っていたのだ。

 ライリーもユリウスも、飲めということだと解釈している。

 

(飲めって言われてるというより、飲まないとユリウスと十日も過ごせないってのが本音かな)


 酔わないと、ユリウスと話すことすらままならない。

 ライリーは意気揚々とポティーンをグラスに注いでユリウスに渡し、自分の分も用意してグラスを掲げた。

 まずは再会を記念して乾杯だ。

 チンッとグラスが鳴り、二人ともそれを一気に煽った。

 

 昼間から飲む酒は格別だ。

 なめらかなアルコールが喉を通りすぎ、胃に火がついたように熱くなる。

 冬には体温を上げるために飲むこともある酒だ。

 食事をしながらであれば、ちょうどよく酔えることだろう。

 ライリーとユリウスは最初の一杯を飲み干すと、早速美味しそうな料理に手を伸ばした。


 まずは初めて食べた時から好きなクラーケンの唐揚げを、続いてパイを食べていく。

 王都の街中で食べたことを思い出せば、ユリウスと話したい気持ちが膨らんできた。

 しかし、何を話せばいいのかわからない。

 咀嚼しながら考えていると、ユリウスが先に口を開いた。

  

「元気にしてたか」

「うん、してたよ」

「農場に戻らなかったんだな」


 きっと、ユリウスにライリーを責める意図はない。

 しかし、冒険者ギルド職員となり、影となったことを咎められたような気がするのだ。

 動機が不純なこともあり、被害妄想が仕事をしている。

 ライリーは後ろめたさを隠し、ポティーンを一口飲んだ。

 

「せっかく色々教えてもらったからさ。もったいない気がして」

「孤児院の皆はなんて?」

「俺が決めたことならいいって。最近は小遣い稼ぎで出入りする子もいるし」

「へえ、凄いな」


 孤児院は良い方向に激変した。

 ドハティ公爵が約束したとおり、孤児院は国営となり、義母は施設管理者に任命され、子どもたちの面倒を見る職員も国によって雇われた。

 国が指定した大工によって施設が整備され、もうすぐ建替工事も終わる予定だ。

 補助金も驚くほどの額が下り、食事の質も上がり、子どもたちの誕生日や新年のお祝いでは人数分のおもちゃを買えるようになった。

 ライリーが影武者の報奨金を寄付することで、さらに孤児院は賑やかなものとなっている。

 生活を凌ぐための日雇い仕事も、純粋に子どもたちの小遣い稼ぎ兼社会勉強の場に変わった。

 家族の笑顔が、今のライリーの幸せだ。

 

「そうだな。そっちは?」

「最近やっと落ち着いたよ。最初は王城襲撃の事後処理。それが終わったらミカエラ殿下が証拠集めをした貴族たちの更迭祭りだ。騎士でも処分されたやつもいて人手不足だよ」

「ああ、ご愁傷様」


 夜な夜な部屋を抜け出し、ライリーの部屋にやってくるミカエラからある程度の話は聞いていた。

 しかし、上で指揮する者と、それに従う者。

 それぞれの立場から聞く話は、同じ話でも違うことのように聞こえる。

 滔々と話し続けるユリウスは遠い目をしている。

 言葉の端々から、多忙の元凶である貴族たちへの恨みつらみが感じ取れて、ライリーは心の中で密かに合掌した。

 

 同情する気持ちは当然ある。

 しかし、ユリウスの顰めっ面が無性に面白く、含み笑いをしてしまう。

 

「他人事だと思いやがって」

「だって俺の業務外だもーん」

「うわムカつくな」


 食事をしながらとはいえ、最初、空きっ腹にポティーンを流し込んだからか、酔いが回るのはいつもよりも早い。

 ユリウスの耳も、うっすらと赤くなっている。

 酒が回ると会話が弾み、話題はあちこちに飛んでいった。

 ライリーはジャクソン引率のもと、初めて影の仕事をしたときの話や先日のグーロ討伐の話を。

 ユリウスはドハティ公爵をはじめ、ケイトやイーファ、影たちの近況を。

 この一年で積もりに積もった話を、料理とともに消化していった。

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