第26話 貴族ってやつは!

 王都に着いてから三日目。

 前日と同じく朝からユリウスと鍛錬をし、朝食とシャワーを済ませてサロンで一休みする。

 一刻ほどゆっくりした後、ライリーは食堂の奥にある部屋に連れて行かれた。


 ユリウスがそのドアを開けた瞬間、僅かな消毒液の匂いがライリーの鼻腔を擽る。

 正面の壁沿いに五床、ドア側の壁に四床のベッドが並んでおり、まるで街にある治療院のようだ。


「ここは……?」

「任務で怪我した影が療養する部屋だ。隣が食堂だから飯を運ぶのも楽だろ」

「なるほど。考えられているんだな」

「そりゃあな。今日みたいに怪我人がいない日は、自由に使って良いことになっている」


 ユリウスはそう説明しながら、ドアの真横にある魔術陣を起動し、天井にある明かりを点けた。

 そして、元々閉まっているカーテンを、隙間がないようにぴっちりと閉め直して回っている。


 今日は快晴だ。

 カーテンを開ければ明かりをつける必要はないなのだが、ユリウスは一体何をしようとしているのだろうか。

 意図はわからないが、それが必要なことであればと、ライリーはユリウスに倣い、彼とは逆の方向からカーテンを閉め直していく。

 

「で、ここで何をするんだ?」

「それは……」


 ユリウスが答えようとした時、コンコンコンッと軽快にドアをノックする音が響いた。

 それに続く音はなく、ノックをした人物はライリーとユリウスの反応を待っているようだった。

 相手が誰なのかわかっているユリウスにその対応を任せ、ライリーは最後のカーテンを閉める。

 ライリーの動きを察したユリウスは、焦った様子もなくドアに向かい、それを開けた。


「お待ちしていました」

「失礼いたします。本日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ」


 ユリウスが部屋の中に入れた、ノックの主。

 それは、まだ暑さが続く秋の初めだというのに汗を一滴も流すことなく、かっちりとグレーのジャケットを着こなしたロマンスグレーの男性だ。

 その手には、一目見て上質なだとわかる革製の、カクカクとかしこまった長方形の手提げ鞄がある。

 皺が刻まれた、人当たりの良さそうな顔をした彼は、ライリーと目が合うと、空色の目を眇めて吐息を溢した。


「ユリウス」


 無言でじっと見つめられ続けると、悪意がないとわかっていても背筋がむずむずとして居心地が悪い。

 ライリーがユリウスに助けを求めると、彼はこほんとひとつ咳払いをした。


「ライリー。彼はコノル・マーリー。王家御用達の、マーリー服飾店の店主だ。影のことは代々店主にしか明かされないようになっているから安心していい」

「お初にお目にかかります。どうぞよろしくお願いいたします」


 ユリウスに紹介されたマーリーは、皺を深くして柔和な笑みを浮かべると、上品で美しい所作で深く頭を下げた。


「はい、よろしくお願いします」

 

 見た目も言動も素敵な老紳士と出逢うのは初めてだ。

 失礼のないようにと体が緊張してくる。

 マーリーの挨拶を受け、ライリーは胸を逸らせながら挨拶を返した。


 氷のようにカチンと固まりつつあるライリーの心境を察したのだろう。

 ユリウスとマーリーは、その緊張を和らげるように穏やかな笑みを浮かべた。


「話が途中だったな。今日はライリーの服をマーリー殿に作ってもらうために、体の採寸をするんだ」

「俺の服……?」


 ライリーの服はもう用意してもらっている。

 驚くほど肌触りの良い服だ。

 現に、今もそれを着ている。

 

(これ以上は必要ないと思うんだけど)

 

 戸惑うライリーに、マーリーはその疑問に答えてくれた。

  

「ええ。来るミカエラ殿下の成人の儀、その夜会用の衣装にございます。また、予行練習用として、普段着も数着お作りするようにと承っております」

「ミカエラ殿下のサイズで作ればいいんじゃないんですか?」

「いけません。体は人それぞれですからね」

「そう、なんですか……」


 マーリーはライリーの新たな疑問に笑顔でぴしゃりと答えると、一番近いベッドに鞄を置いた。

 鞄の口がパカリと開かれる。

 その中には鋏や糸など裁縫道具がずらりと並んでいた。

 それをゴソゴソと探るマーリーの傍らで、ライリーはごくりと息を呑んだ。


 採寸するとは聞いたものの、これから一体何をされるのだろうか。

 ライリーが視線を彷徨わせていると、ユリウスがそっと手を引いてきた。


「ライリー。服を脱いで、下着だけになるんだ」

「え、服を脱ぐ?」

「下着の上からメジャーを当てるんだ。服を着てると誤差が出るんだそうだ」

「ああ、なるほど」


 たった数ミリの誤差が全体のバランスを崩す。

 それは、チビたちと折り紙で遊んでいる中で、工程が多いものを作る場合。

 あるいは、蔦を伸ばす農作物の側に支柱を刺す場合。

 少しずれただけで、結果が大きく変わってくるのは経験済みだ。

 

 それを思い出せば、ユリウスの言っていることも理解できる。

 初対面とはいえマーリーは男性で、彼はきっと下着姿の男性など見飽きるほどに見ているはずだ。

 ライリーは恥じらいを部屋の隅に投げ捨てて服を脱ぎ、畳んで空いているベッドの端に置いた。


「では、失礼します」


 マーリーはペンと板に固定した紙をユリウスに渡し、使い込まれたメジャーを手に微笑んだ。

 そして、ライリーの頭のてっぺんから足の先まで、ありとあらゆる場所をメジャーで測っていく。


「では、次は右腕を真横に……ああ、そうです」


 ライリーはマーリーの指示に従い、腕や足の位置を変える。

 マーリーはそこにすかさずメジャーを当て、目盛りを読み上げる。

 ユリウスはそれに従い、人体の絵が書かれた紙に腕や足の長さを書き込んでいった。


 マーリーの皺の刻まれた顔や手は男らしく、無骨に見えるのに、メジャーを操る手つきは繊細そのものだ。

 一ミリたりとも間違いはしないと、その鋭い眼差しが雄弁に語っている。


 ふと、ライリーはミカエラの姿を思い出した。

 ミカエラはライリーより歳下だが、ライリーと身長や体格もさほど変わらないように思える。

 

「あの、ミカエラ殿下と俺。そんなに変わりますか?」

「ええ。ライリー様の方が幾分か背丈も高く、それに伴って手足も僅かに長いです。筋肉のつき方も違いますから、もしライリー様がミカエラ殿下の服を着るとしたら少し窮屈かと存じます。貴族の皆様は目が肥えています。王族は体に合った服をお召しになっていただかなくては、恥を晒してしまうことになるのです」


 ライリーの疑問に、マーリーは嫌な顔せず、メジャーを操る手を止めることなく答えてくれた。

 要は、その者の品位にかかわるということのようだ。


 服は古着で済ませていたライリーは、服の着心地や見た目を気にしたことはなかった。

 着る物さえあればいい。

 サイズが合わないのは仕方がない。

 諦める以前にそれが普通だったライリーにとって、貴族の世界はとても面倒なものだと感じた。


「そうなんですか」


 とんでもない世界に引っ張り込まれた。

 そんな感情が返事に出ていたのだろう。

 ユリウス自身も面倒だと感じているようで、肩をすくめてライリーを諭した。

 

「着飾ることも王族の務め。王族の着ているものが流行の先駆けになる。金を掛けることで威厳を保ち、市中の経済を回すんだよ」

「着飾ることが王族の務め、ね。貴族は見栄を大事にするんだな」

「どこの国もそういうもんさ」


 ユリウスの言葉に、ライリーはまたひとつ記憶を手繰り寄せる。

 孤児院に来ていた貴族はいつも派手な服を着ており、来るたびに服が変わるものだから、皆と一緒に「今日の服は孔雀みたいだったな」なんて陰口を叩いていた。

 なるほど、貴族とは虚栄心の塊というわけだ。


 庶民には理解できない感覚に、ライリーは重いため息を溢した。

 

「でも、こんなに前から服を準備するんですか?」

「ええ。デザイン自体は出来上がっていますが、実際にお召しになって合わないということは多いですからね。修正する時間も必要ですから、余裕を持って仕立て、本番ギリギリまで調整いたします。今回は取り掛かるタイミングとしては遅い方です。また、ミカエラ殿下が成人の儀で着る礼服はほとんど出来上がっておりまして、近々最終調整に入るところです」

「そうなんですか⁉︎」


 ミカエラの成人の儀までは半年以上あるというのに、今から作り始めるのは遅いという。

 一体、王侯貴族たちが着る服はどれだけの金と手間暇がかかっているのか。

 ライリーは伸ばした手をびくりと動かしてしまった。

 すると、マーリーから容赦ない注意が飛んでくる。

 

「ライリー様、じっとしていてください」

「すみません!」


 ライリーはマーリーの手を煩わせないよう、体に力を入れて姿勢を維持する。

 

「こんな前から採寸して、もし体型が変わったりしたらどうするんですか」

「そうならないように俺が運動面から、ケイトが食事面から健康管理するんだよ」

「あっ……そういう役割?」

「そうだ。絶対にその体型は維持させるから心配するな」


 ユリウスは紙とペンを手に、胸を張ってそう言った。

 ただ生活していくだけなのに、実はしっかりと管理をされている。

 ライリーの考えを軽々と越えていく壮大な計画に、くらりと目眩を覚えたのは当然だと思いたい。


 採寸が終わると、スタンダードな貴族の普段着というものを試着した。

 全体的に煌びやかな装飾が多く、肩に重さがのしかかる。

 

 サニーラルン国の夏はそこまで暑くなく、普通に生活をしていれば汗をかくことは稀だ。

 しかし、こんな服を着て歩き回るのなら話は変わってくる。

 

(俺、貴族じゃなくてよかった)


 こんなものを夏に着るなんてとんでもない。

 庶民万歳、である。

 

 ふへっと頬を緩ませて視線を上げると、ユリウスと目が合った。

 上から下へと目線を移動させたユリウスは、何かを納得したのか、ふむふむと頷いている。

 

「なんだよ?」

「いや、馬子にも衣装だなと思って」


 もっと他に、何か気の利いたことを言うところではないのか?

 馬鹿にされたのは間違いない。

 ライリーは無言でユリウスの背中を思いっきりひっぱたいた。


「ユリウス様、お戯もほどほどに」

「はい」

「そういうところは相変わらずですなぁ」


 叩かれてもなお、くっと喉で笑うユリウスは、マーリーに嗜められて笑顔を引っ込めた。

 流石に、外部の人間の注意は素直に聞き入れるらしい。

 

 マーリーはライリーの味方だ。

 強力な味方がいるのは心強い。

 ライリーは破顔して勝利宣言した。


「今は違和感しかないと思いますが、体に合った衣装だとまた変わりますよ」

「楽しみにしています」

「ええ。ご期待に添えるよう、全力で仕立てさせていただきます。それではお着替えを……」


 ライリーはマーリーに促され、重い貴族衣装を脱ぎ、シャツに着替えた。

 体が軽くなり、実に快適である。

 

 試着した服はマーリーの手によってスルスルと畳まれ、鞄へと消えていく。

 マーリーはメジャーやペンなども鞄に納め、それを手に持つと、すっと背筋を伸ばした。


「さて、ライリー様。今日はこれで終わりです。次回は仮縫い段階での試着となります」

「はい。よろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。ふふっ……国を動かす大きな計画に加えていただき光栄です。では、また……」


 マーリーは暇を告げると、羽でも生えたかのような軽い足取りでドアの向こう側へと消えていく。

 喜びを抑えきれない背中を見送ったライリーは、しゅんと萎んでいたユリウスを肘で突き、空気を送って元の大きさに戻すことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る