第24話 休息は大切
寄り道しながらも、ようやく食堂へやってきた。
「温め直すからちょっと待ってて」
ケイトはそう言うとキッチンの奥へと引っ込んだが、すぐに二つのトレーを持ってきてくれた。
そこには、ボリューミーな朝食が盛り付けられている。
「しっかり食べるのよ」
「はい、ありがとうございます。いただきます」
ライリーとユリウスはトレーを受け取ると、キッチンカウンターに一番近い席で朝食をとりはじめた。
パンとオニオンスープ、魚の姿焼きが二尾、色とりどりの野菜炒め。
料理を目の前にすると、再び腹がキュウッと自己主張し、口内にじわっと唾液が溢れる。
ライリーは早速料理に手を付けた。
見た目に反して味付けは薄めで、これなら朝でもがっつり食べられる。
押し寄せる空腹感に負けて夢中で食べていたが、次第に腹が満たされると、ライリーははたと思い出してユリウスに頭を下げた。
「さっき、ありがとう」
「気にすんな。それに、俺があんなやって騒ぐのはいつものことだし、あいつらには俺を揶揄った報いは受けてもらう。安心しろ」
「何をどう安心しろと?」
「さあな」
ふっと鼻で笑うユリウスは上機嫌にパンを頬張っている。
それを見たライリーは、昨日の記憶を引き寄せた。
(ドハティ公爵とファングさん、いつもの悪い癖が何とかって言ってたよな)
ユリウスに覚えていろよ言われたマークとルイがひくりと頬を痙攣させた様子を見るに、悪い癖というのは相当タチが悪いらしい。
ライリーは、いずれ近いうち、ユリウスの毒牙にかかるマークとルイに心の中で合掌し、そして、自分もその餌食になることがないようにと祈ったのだ。
すべて残らず食べ終わると、二人はケイトに追い立てられるようにして風呂に入った。
汗を流して湯船に浸かり、酷使した筋肉を伸ばして労ってやる。
それが終わると、ライリーは浴槽にもたれかかって浮力を楽しんだ。
「はぁぁ……風呂、最高」
しかし、極楽はすぐに終わりを告げる。
「それな。でも、もう上がるぞ」
「くぅッ……」
ユリウスはライリーが倒れないように時間を管理してくれているだけだ。
本来なら感謝するべきだが、感情はままならないもの。
もう少し浸かりたいという気持ちは止められない。
ライリーは湯当たりしないようにタイムキーパーをするユリウスを恨めしげに睨んだ。
「そんな顔しても駄目だ」
「ってぇ!」
皺が寄った眉間をペチンッと指で弾かれ、ライリーは渋々湯船から上がったのだ。
脱衣所に戻ると、ライリーは再びユリウスから香油を塗りたくられ、タコのようにグデングデンの状態にされていく。
やはりユリウスのマッサージは気持ちいい。
まるで世界を統べる王になった気分だ。
ゆったりとした心地よさに目を細めていると、ゆさゆさと肩を揺すられた。
「おい、終わったぞ」
「は……ぇ⁉︎ 俺、ちょっと寝てた?」
呼びかけられ、微睡に浸かっていた意識がはっきりとする。
疲労はすっかり消え去り、今にも空を飛べそうなくらい体が軽いが、頬にひんやりとした違和感がある。
口の端からつうっと垂れている涎を拭うと、ユリウスは堪えきれないとばかりに声をあげて笑った。
真っ赤になった顔など見せたら、ユリウスはこのことを話のネタにするだろう。
ライリーは恥ずかしくて、傍にあったバスタオルを引き寄せて頭から被った。
「気持ち良さそうだったぞ」
「それは認める。けど、こんなにすぐ寝落ちしそうになるなんておかしい。何か魔術を使っているだろ」
「まさか。逆に聞くが、何の魔術だ?」
「それもそうだ……」
となると、単純にユリウスの腕が良いだけの話だ。
貴族の身分を持ち、近衛騎士をしていて、さらに裏では影の任に就いている。
顔もその下に付いている体も羨むほど上等で、他人にものを教えるのが上手く、香油を使ったマッサージも器用にこなす。
できないことは何もなさそうな彼に欠点などあるんだろうか。
(いや、あるじゃん。他人を揶揄ったり、調子に乗って失言するところ)
そう考えると、涎を垂らしたライリーのみっともない顔なんてどうでもいいことのように思える。
バスタオルの中で吐息を漏らすように笑い、もぞりと顔を出す。
失礼なことを考えていたことなど知らないユリウスは小さく首を傾げたが、それを追求することはなかった。
荷物を二階の自室に置き、その前で待ち合わせをする。
そのころには、すでに昼食の時間になっていた。
逐一時計を見ていないため正確な時間はわからないが、体感的には入浴よりもユリウスに香油を塗られている時間が長かった。
ライリーの体のメンテナンスに、じっくりと時間をかけられていたらしい。
「腹、減ってるか?」
「いや、そんなに」
「ケイトに言って軽食にしてもらうか」
「できるの?」
「直前に言うと嫌がられるんだけどな。駄目元でお願いしてみるか」
「そうしよう」
食堂へと向かいがてら話していたのだが、ケイトは元からそのつもりだったようだ。
「そう言うと思っていたわ」
食堂に現れたライリーとユリウスに提供されたのはホットサンドだった。
ひとつはほうれん草とスクランブルエッグのもの。
ひとつは三つ目牛のステーキのもの。
ひとつは甘味で、イチゴとバナナ、クリームチーズのもの。
三つとも一枚ではなく半分で、二人で一枚をシェアしているようだ。
「さすが」
「ありがとうございます」
「もっと言っていいのよ?」
ケイトは生き生きとした顔で称賛のおかわりをねだる。
ライリーとユリウスは顔を見合わせた。
「綺麗」
「強くて格好いい」
「ご飯美味しい」
朝のお詫びも兼ねてケイトを褒め称えれば、何の捻りがなくても彼女は喜んでくれた。
ケイトの笑顔を見れば、ライリーも嬉しくなってくる。
最初は戸惑いが勝っていたが、今は楽しさが胸に広がっていた。
「ありがとう! これで夕飯の支度を頑張れるわ」
満足したケイトは投げキスをすると、スキップをしながらキッチンの奥へと戻っていった。
不意に、ぐぅ……と腹が鳴る。
ケイトとのじゃれあいで、少しは腹が空いてきた。
ライリーとユリウスは席に着くと、ホカホカと湯気を揺らしているホットサンドに齧り付く。
どのホットサンドも頬が落ちそうになるほど美味しい。
最初は意気揚々と食べ進めていたのだが、段々とペースが落ちてくる。
量が少ないとはいえ、少し腹が減っているだけの状態での食事は向いていない。
ライリーは、最後の楽しみに取っておいたイチゴとバナナ、クリームチーズのホットサンドを半分食べたところで、苦しくなってしまった。
「どうした?」
「残したくないんだけど、腹がいっぱいでさ」
「もう?」
首を傾げたユリウスは、信じられないとでも言いたげに目を見開いている。
その顔から、ユリウスにはかなりの余裕があるとみた。
「ユリウス。これ、食べて」
ライリーは唇を噛み締めながら、ホットサンドが載った皿をユリウスに差し出す。
苦渋の決断だ。
こんなに美味しいものは一口残らず食べたい。
本当は完食したいのだ。
けれど、これ以上食べたら腹がはち切れてしまう。
残り物を他人に、それも貴族相手に渡すなど非常識なことだとわかっている。
しかし、孤児院出身で、現在は食の生産者である農夫を仕事にしているライリーにとって、食事を残すことは耐え難いことだ。
それに加えて、あれだけ上機嫌なケイトを失望させたくない。
「いいのか?」
そんなライリーの葛藤など知る由もないユリウスは、差し出された食べかけのホットサンドを前に気遣わしげに尋ねてくる。
しかし、その目はキラキラと輝き、視線はホットサンドに釘付けだ。
子どものようなわかりやすさに、ライリーの口角が上がる。
「俺の食いかけだけどな。残すの、もったいないから」
「構わない。ありがとう」
ユリウスは満面の笑みで皿を受け取り、自分のホットサンドを食べた後、ライリーの食べかけのものを食べ始めた。
その食べっぷりといったら、見ていて爽快な気分になるほどだ。
美味しいものを食べきれなかった悔しさは、ユリウスの食事を眺めているだけで吹き飛んでいった。
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