第22話 リベンジマッチ

 案内された地下の訓練所は天井が高かった。

 三階建ての建物が余裕で建つくらいの高さだ。


「ここが訓練所だ。模擬戦はこの広いところでやって、ゲリラ戦の訓練はあっちの区画でやるんだ。ライリーにゲリラ戦の訓練はさせられないけど、見ることはできる。機会があれば見せてやるよ」


 ユリウスが最初に指差したのは障害物が何もない広場で、ここで一対一や一対多数の模擬戦をするそうだ。

 次に指差したのは、街の一区画が再現された空間。

 地下に民家や店が立ち並んでいる光景は異様で、これがあるために天井が高いようだ。

 ゲリラ戦はここでやるらしい。


「模擬戦はいいんだ?」

「九ヶ月後、本番で戦闘になった時のために訓練は必要だろ。それに、模擬戦なら比較的怪我のリスクは低い」


 暗殺の手段はいくつかある。

 毒や呪術など、少々回りくどい方法。

 そして、わかりやすく、直接殺しにくる方法。

 今回はいずれも想定しているようだ。

 

「ああ、なるほど」


 影武者の任務が終わった後、元の生活に戻れるかどうかは別として、ライリーは体が動く限り鍛錬を続けていくつもりだった。

 ジャクソンから教わった鍛錬は、体づくりとしては申し分ない。

 せっかく身につけた技術を捨てるような真似はしたくなかった。

 だからこそ、ここで生活していく中で、鍛錬ができるということは単純に嬉しい。


 ライリーが訓練所をぐるりと見回しながら頷いていると、部屋の隅で棚を漁っていたユリウスが戻ってきた。

 その手には刃が潰されている短刀があり、それをライリーに差し出す。


「怪我したらまずいからな。これを使ってくれ」


 ライリーは刃が潰れた短刀を手に取ると、体に馴染ませるように何度か振り、腰に差していた自前のものと取り替えた。

 ユリウスは、奇襲をかけてきたあの夜と同じく長剣を腰に差している。

 それも、よく見ると刃が潰れていた。

 

 二人で軽く体を伸ばして準備をし、広い空間の中央に移動する。

 ライリーはその途中、そういえばと口を開いた。


「ルールは?」

「得物は刃を潰した長剣と短刀のみ。体術はあり。急所に刃を突き付けた方が勝ち。どうだ?」

「了解」


 単純明快なルールに同意している間に、広場の中央に辿り着いた。

 二人は間合いを取り、互いに得物を構える。

 

 ライリーは右手で短刀を逆手に持ち、腕は軽く曲げ、左足を半歩後ろに下げた構え。

 ユリウスは右足を軽く後ろに引き、長剣は両手で正中線の位置で構えた。


「じゃあ、始めるか」

「ああ」


 交差する視線。

 一瞬たりともユリウスの目から視線を逸らしてはいけない。

 狙う場所を見てしまえばすぐに悟られる。

 

 模擬戦とはいえ、真剣な勝負だ。

 ユリウスにとっては、リベンジも兼ねている。

 冷たい緊張と燃える闘志が、肌をジリジリと焼いていく。


 心臓がドクドクと脈を打つ。

 ふぅ……と、体を落ち着かせるための呼吸音。

 ライリーは乾いた唇を素早く舐めた。

 

 動いたのはどちらからだったか。


 フェイントすらかけず、ライリーの顔を目掛け、正面から真っ直ぐに長剣が迫ってきた。

 ライリーはそれを左に躱して間合いに入り、短刀をユリウスの首に目掛けて振り上げる。

 ユリウスは後方に一回転し、そのリーチのある脚でライリーの右腕を蹴った。


「っ……!」


 蹴られた右腕がジンッと痺れたが、短刀を取り落とすほどではない。

 ガラ空きになった胴体を素早く隠しつつ、ユリウスの着地点を目掛けて回し蹴りをするが、着地と同時にさらに後方に一回転されたため空振りになる。


(速いッ)

 

 ライリーは舌打ちをした。

 そう簡単には打撃を受けてはくれないらしい。

 

 再び間合いを詰めるため、ライリーは回し蹴りの勢いのまま、低い姿勢を維持してユリウスに向かって駆ける。

 迎え撃つユリウスは剣先を下に向け、地を這うライリーに振り上げる。

 と、見せかけて、剣を横に薙ぎ払った。


 キィンッ……!

 

 ぶつかり合った刃が火花を散らし、互いに刃を押し込むと、ギリギリと刃が音を立てる。

 

 ライリーは空いた左手でユリウスの服を掴んで引き寄せると、彼の股に足を滑り込ませて足払いを掛けるが、ユリウスは僅かに体を傾かせただけで倒れない。

 さすがは騎士。

 体幹がしっかりしているようだ。


 鍔迫り合いをしている得物を中心に、今度は手刀の応酬が始まる。

 突いては払われ、払っては掴み、掴まれては叩き落とす。


(真っ向勝負じゃ埒が明かない!)

 

 幾度目かの攻防の末、ライリーは掌底でユリウスの顎を突き上げる。

 均衡が崩れ、ユリウスは仕切り直しとばかりに長剣で短刀をいなしてまた間合いを取った。


 今度は互いにジリジリと間合いを詰めていく。

 足を細かく動かしながらタイミングを計る。

 息が詰まりそうなほどの緊張感がそこにはあった。

 逸らされることのない視線は、物理的に穴が開きそうなほど鋭い。


 静かに、しかし激しくぶつかり合う闘気。


 最後の攻防は、ライリーの足がジャリッと地面を擦った音が合図だった。


 ライリーは短刀を体の正面に構え、ユリウスとの距離を縮める。

 フェイントで短刀をシュッと横に振り、それと同時に、構えていた左拳でユリウスの鳩尾目掛けて突き出す。

 その突きは、ユリウスが左足を後ろに半身なったことで避けられ、それだけでなく、突き出した左手を掴まれてしまった。


(や、ば……!)


 ぞくりと全身の肌が粟立つ。

 脳が危険だと警告を鳴らすが、体が追いつかない。

 どうにかしなければと思考した瞬間には、視界がひっくり返っていた。


「うわッ!」


 ライリーはグルンと回って地面に叩きつけられた。

 鈍い痛みが背中に走る。

 瞬時に体を起こそうとすると、長剣の切先が眼前に突きつけられた。


「俺の勝ちだ」


 ユリウスは息を弾ませながら、喜色満面で勝利宣言する。

 リベンジに燃えていた彼は、本懐を遂げて満足そうだった。


「だな」


 ライリーは肩をすくめ、素直に負けを認めた。

 リベンジだからといって負けてやるつもりはまったくなく、全力で挑んだつもりだ。

 この勝利は完全にユリウスの実力によるもので、ハルデランで刃を交えたあの夜、老婆が窓から顔を出さなければ、ライリーはユリウスに捕えられていたに違いない。


 悔しいけれど、これが今の実力だ。

 これからユリウスと鍛錬をしていくことになるだろう。

 彼の技術をどんどん盗んで吸収し、自分のものにする。

 この九ヶ月の間、鍛錬に関しての課題はこれに決まりだ。

 そうと決まれば、今から実践あるのみ。


 互いに得物を腰に納め、ライリーはユリウスから差し出された手を掴んで立ち上がる。

 地面に接した背中に腕を回して砂や埃を払うと、ずいっとユリウスに詰め寄った。

 

「なぁ。最後のあれ、何?」

「あれ?」

「くるっと回ったやつ」


 腕を掴まれたと思ったら、気がついた時には視界が回り地面に転がされていた。

 単に投げられたとは違う感覚は、強烈に体に刻まれている。


 ジャクソンにも教えてもらっていない未知の体術。

 技術を自分のものにするという崇高な目的よりも、どんな体術であるのか知りたいという知的好奇心が勝った。

 

「ああ、あれか。短刀と一緒で東の果ての国で使われている、武道と呼ばれる戦闘術の一種だ。厳密に言うと戦闘術ではなく修練だそうだ」


 ユリウスはなんてことはないとばかりに説明してくれた。

 つまり、その武術とやらは、影にとっては当たり前の技術なんだろう。

 

「俺にも教えてくれる?」

「もちろん。ええっと……どこまでわかってる?」

「左手を掴まれたとこまでは理解してる。でも、その先がさっぱり。気が付いた時には転がされてたってわけ」

「了解。じゃあ、左手で突いてきて」


 ユリウスは先程と同じく右手で剣を持ち、左足を後ろに引いて半身になった。

 ライリーは、ユリウスの指示どおり左手を突く。


「こう?」

「ああ。で、ここからだな」


 ライリーの正拳突きをした左手首を、ユリウスかはその上から左手で掴んできた。

 そして、ユリウスの左後方へと重心をずらされながらグッと上に引き上げられる。


「ここで体勢を崩す。それで……」


 流れるようにユリウスがしゃがんだことで、ライリーは今にも倒れそうだ。

 だというのに、ユリウスの動きは止まらない。


「掴んだ手を相手の足方向に振り下ろしながら、空いた右手で足払いをかける」


 すると、側転するように、回転しながら地面へと転がされた。

 ゆっくり技をかけられたため、しっかり受け身も取れている。

 ユリウスが動作を分解して説明してくれたおかげで、言葉では理解できた。

 しかし、実際に体が覚えるには至らない。

 

「わかったか?」

「……もう一回!」

「了解」


 ライリーのリクエストに、ユリウスは待っていましたとばかりに口角を上げた。

 

 そうして、何度もユリウスにあの奇妙な投げ技を掛けてもらい、あるいはライリーがユリウスに技を掛けていく。

 短刀のときのように相手の攻撃をいなしつつ、その力を利用するのは新鮮で、ライリーはその珍しい技に夢中になった。

 相手を転がすのに自分の力はほとんど必要ないとは驚きだ。


「なあ、この技は他にも種類があるのか? あるならもっと教えてほしい」

「あるぞ。他にはな……」


 ライリーの好奇心は止まるところを知らない。

 ユリウスにせがんで他の技を教えてもらい、すぐに実践していく。

 それがあまりにも楽しくて、二人は時を忘れて体を動かした。

 

 そんな二人の動きを止めたのは、ケイトの叫び声だ。


「こんなところにいた! ご飯は? いるの、いらないの、どっちなの⁉︎」

「やっべ……」

「ひッぃ……!」


 訓練所の出入口に立った彼女は、拳を壁にドゴッと叩きつけた。

 その顔は、般若のように恐ろしい。

 パチパチと激しく響く雷の魔術の気配に、ライリーとユリウスは手と手を握り合って震え上がった。

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