第60話 泣きじゃくる

 後ろから迫った淡い光はやがて強い光になって辺りを包んだ。

 闇が祓われた真っ白な空間に、三人の姿が浮かび上がった。


「出雲で作った神具に、流離と修吾おじさんを救う願いを込めた。修吾おじさんの体に神具を埋め込めば、浄化は流離にも作用する。毒も魂も、浄化できるよ」


 あの神具には、親子を繋ぐ紐が込められている。大国主命が分けてくれた神力だ。

 直桜と護に腕を掴まれている流離は逃げられない。

 流離の体が光に包まれていく。神具の神力が、邪の気配を払っていく。


「何だよ、それ。今更、そんなことされても、僕は」


 直桜は握った腕を引き寄せた。

 小さな流離の体は簡単に直桜の側に寄った。


「諦めないって言ってるだろ。流離がどんなに惟神を嫌いでも、俺が変えて見せるから。流離が嫌いな集落は、俺が何とかして見せるから。だから、一緒に帰ろう」


 流離の体を抱き寄せる。

 離れないように、両手できつく抱き締めた。


「そんな風に積極的な言葉を吐く直桜様なんか、僕は知らない。直桜様は本当に、僕の知らない人になってしまったんですね」


 諦めたのか、流離は抵抗を止めた。

 四肢をだらりと降ろして、素直に直桜に抱えられている。


「俺は流離の知ってる直桜と同じ人間だよ。これから一緒にいれば、もっと俺を知ってもらえる。だから、これからは、今までより一緒にいよう。もっと沢山、今の俺を見てよ」

「嫌ですよ」


 流離が直桜の胸に手を置き、弾いた。

 流離の体はいとも簡単に直桜の腕を逃れて離れた。


「僕は僕が好きな直桜様だけ知っていれば、それでいいんです。もう決めたって言ったでしょう。自分の生き方は自分で決めます。これまで速佐須良姫神に利用された分を取り戻さないとね」


 流離の体が浮き上がり、少しずつ透けていく。


「外側から浄化しているなら、この球体もやがて消えます。直桜様たちも解放されますよ。今回は何もできなくて残念ですが、僕の挨拶が毒替わりでも、直桜様はそれなりにショックですよね」


 直桜は慌てて流離に手を伸ばした。

 この消え方は、槐が使う空間術に似ている。九十九の八束が同じ術を使うはずだ。


「流離、行くな! 反魂儀呪はダメだ! あそこじゃ流離は幸せになんかなれない」


 直桜の言葉を流離は鼻で笑った。


「僕の幸せを勝手に決めないでください。直桜様、僕ね。直桜様の心を抉るためなら何でもします。今の僕の生き甲斐です。だから次は、反魂儀呪の榊黒流離として、お会いしましょうね」


 直桜と護が伸ばした手は、空しく虚空を掴んだだけだった。

 流離の姿は白い空間に溶けるように消えた。

 次の瞬間、浮遊感の中で浮いていた体に重力が掛かって、地面に落ちた。


「大丈夫か? 直桜、護」


 清人が駆け寄ってきた。

 周囲は見慣れた梛木の部屋で、流離の闇の球体が浮いていた場所には何もなくなっていた。

 直桜は只、項垂れることしかできなかった。


「流離君が、消えました。恐らく反魂儀呪に、自分から下ったのだと、思います」


 直桜の背をさする護の声が遠くに聞こえる。


「あの様子なら、そうじゃろうな」


 梛木が話している。いつの間に、戻っていたのだろう。


「見えていたのですか?」

「あぁ、あの感じはわざと俺たちにも見せてたんだろ。この結界空間から逃げ出す手法といい、とんでもねぇ呪力を秘めて行ってくれたもんだよ」


 清人が頭を掻きむしっている様子が窺える。


「役に立たなくて、すまない。俺たちが堰き止めるべきだったのに」


 開が沈痛な声を出している。


「あれは無理じゃろう。久我山あやめの魂と惟神を殺す毒を引き継いだのじゃからな。無理に止めれば、この地下空間が無事では済まなんだ」


 梛木にここまで言わせる今の流離の呪力は、とんでもない。


「……ごめん。本当に、ごめん」


 小さな声で、直桜は零した。

 皆に謝っているのか、流離に謝っているのか、自分でもわからなかった。


「直桜のせいではありません。どうしようも、なかったんです」


 護の言葉に、直桜は激しく首を振った。


「俺がもっと早くに、ちゃんとしてたら、流離はきっとあんな風にならなかった。俺のせいだ」


 今までも、自分がもっと早くに惟神として自立していればと考えたことは山ほどあった。しかし、今回ばかりは、どう考えても自分のせいだ。

 自分という人間が与えた影響で、流離が変わってしまった。直桜が知らなかっただけで、元から考えていたのだとしても、もっと早くに解毒できていたら、状況はきっと変わっていたはずだ。

 怖くて体が震える。直桜は座り込んだまま頭を抱えた。


 大きな手が直桜の頭を撫でた。

 直桜はその手を知っていた。

 恐る恐る見上げると、榊黒修吾が直桜を見詰めていた。


「直桜のせいじゃない。俺と速佐須良姫神のせいだ。直桜が責任を感じる必要は、ないよ」


 修吾が直桜に向かって優しく微笑んだ。


「修吾、おじさん、俺、流離を守れなかった。ごめん、ごめんなさい。もっと出来たこと、あるはずなんだ。なのに俺、何もできなくて、してこなくて、だから」


 言葉と一緒に零れる涙で視界が滲む。

 修吾が、泣きじゃくる直桜の頭を胸に抱いた。


「直桜は頑張ってくれたよ。だから今度は、俺と一緒に流離を取り戻してくれないか。その為に、一緒に頑張ってほしいんだ」


 修吾の言葉が沁みて、言葉にならなかった。

 直桜は修吾にしがみ付いて、声を上げて泣いた。

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