守骸伝
犬丸工事
序章 『あたし』と『わたし』と『わたくし』の夢
夢を見ている。
何百、何千回と、生まれた時から見続けている、夢を見ている。
あたしは――わたしは、わたくしは――……『私』は。
『私』は、
これは、その最後の戦場の。悔恨に満ちた記憶の、始まりの場面であった。
『私』は、黄色い砂塵の舞う、荒れ果てた広野にいた。
馬上から臨むことで、その
かつて川床だった大地には亀裂が生じており、老婆の髪の毛より細い枯草が散見されるばかり。
“
むせび泣くような、時おり唸りを混ぜた黄風が吹きつけていた。
手慰みに左髪に
こんな時に、よりにもよって『私』が、花を飾るなど。
小さく溜息をついて、顔を上げては対面を見据えた。
枯れ野を埋め尽くす勢いの、
これでも減らした方であった。少しずつ少しずつ、長期にわたって櫛の歯を欠くよう、人を削り、物を削って、そうして――……。
『
ふと声があがった。とめどなく紡がれていた思考が、その倍は
それはこんな言葉であった。硬い男の声色にて紡がれていた。
『軽度の
見れば、傍らに立つ男は、しかつめらしい顔でこちらを見ていた。
おもわず瞬いて――微笑んでしまった。
「有難う、
『では――』
「
黙りこくる賤竜に代わり、『私』は再び眼前を臨む。
言葉とは裏腹に、少しだけ胸が軽くなっているのを感じていた。
相変わらず現状は、
意識して深く息を吸うと、ぷん、と髪よりの花の香りが感じられた。
おもわずと目を細めて、告げていた。
「ありがとう、賤竜」
『……は』
自分は何もしていないのに、といったような間があくのに、また笑ってしまった。
少しの安らぎを得て、『私』は再び彼を呼ばう。
「賤竜」
『は』
彼は顔を向けてくる。一瞬遅れて、
硝子球のような瞳が『私』を見返した。
「ここが正念場です。
『畏まりました』
こうべを垂れ、
賤竜。
陰陽の陰をあらわす黒備えに、木行の緑の差し色をいれる武人。
龍の首を模した冑に、鱗状に甲片を連ねる歩人甲(ラメラーアーマー)。黒き棍を携えている。
『私』の忠実なる
そんな『私』の
「ねえ、賤竜」
『は』
「貴方には、辛い役目ばかり任せます」
体の代わりに心が暖められたので。少しだけ、甘えが出てしまったのかもしれない。
硝子球の瞳が瞬きを落とす。浅く首が傾げられる。
『辛い。
「耐えきれぬほどの痛みはない……“痛みを感じていぬ”わけではないのでしょう?」
『私』の問いかけに、彼は口をつぐむと静かにまた瞬きを落とした。
『私』は軍勢へと目を向ける。
並みいる軍馬と人の群れ。中でも『私』の対面にいる――総大将が傍らを見つめながら、言葉を継いだ。
これから彼が戦うことになる。どころか、今までも何度も『私』が命じて戦わせてきた存在を見つめつつ、胸の内を明かした。
……内心、どこまでも自分本位であり、
最後なのだからと。これで終わらせねばいけないのだから。今しか言えぬのだから、と。自分に言い訳をして、言わずにはいられなかった。
風水僵尸。賤竜。
自分の、罪の証の一つである彼に、
「表にあらわさぬだけで、貴方が怒りを感じているのは分かります。貴方は……いいえ、貴方がたは怒るに足る、正当な理由がある。解っているのです。……けれど」
「この戦いが終われば、ようやく、貴方がたを解放することができる。ようやく、遥けき龍脈の大河へと還すことができる。見ていてください、賤竜。最後まで。……私の償いを、見届けていて」
賤竜は応えなかった。黙って、『私』を見つめていた。
そうするだろうと分かっていた。分かっていて、口に出し。
『私』は。
『私』は――……。
『――きて。……起きて、
『私』は――わたしは、わたくしは――……あたしは、目が覚めたのであった。
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