亡き義母の形見
その話を聞き、「そういえば」とセレストは自身の荷物を漁った。
サラからもらったものについて、なにも聞いていなかったのだ。
「……私の亡き義母が、これを渡したら神殿は無下にはしないと言われたんですが……」
形見の品である譜面は、音楽の知識に乏しいセレストではなにがなんだかわからないものであり、神殿に見せればいいとだけ教わっていたが。
それを見せた途端にアイリーンは言葉を失い、逆にハーヴィーは「ああ!」と目を輝かせた。
「すごいよ、これ! 失われた聖女の歌の譜面だ! 一部分は今でも賛美歌として神殿で歌われているけれど、半分以上は消失していたからねえ!」
「……なんでそんなものを、義母は持っていたんでしょうか?」
「サラ様はたしか、娼館出身だったよねえ?」
「はい」
「娼館には、魔族を産んだからという理由で捨てられた人々が大勢いたからねえ……」
魔族の隷属の呪いは、魔王に隷属の呪いだと聞いた。彼女たちがその呪いを受けて魔族を増やし続けていたのだとしたら、増やしたくないものを増やし続けた挙げ句に国から見放されてしまったのだから、気の毒としか言いようがなかったが。
それにアイリーンが「ハーヴィー、言い方をもう少し考えなさい」と咎めてから、言葉を続けた。
「……神殿側もずっと娼館に送られた女性たちのケアをずっと続けてきました。そんな彼女たちにかけられた呪いを封印するために、当時の聖女様も尽力なさったのです。娼館は今も昔も、芸事ができる方が大勢いらっしゃいましたから、彼女の歌を譜面として残せる方もいらっしゃったのでしょうね。おかげで娼館は今でも聖女様の歌のおかげで、呪いを自力解呪できる方々が大勢いらっしゃいます」
「そうだったんですか……」
「でもこれだけ長い譜面は初めて見ましたよぉ。これ、さすがに形見ですから取り上げることはしません。たた写し取って研究してもいいですかねえ?」
「ええ……どうぞ。あのう」
セレストはおずおずとアイリーンに尋ねた。
「なんですか?」
「……殿下にこの歌を歌ったら、彼のためになりますか?」
「ええ。殿下は普段、呪いの深化を抑えるために、ストレスを溜めぬように寝てばかりですが。寝過ぎたら寝られませんからね。そのせいでまたストレスを溜めるという悪循環が発生してらっしゃいます。どうか歌ってあげてください」
「わかりました。ありがとうございます。あのう」
「まだなにか?」
「……すみません、私は譜面が読めません。読み方を教わってもよろしいですか?」
「……もちろんです」
こうして、神殿に到着してからセレストが最初にしたことは、神殿の案内に、自分の仕事を覚えること、そして巫女長直々に譜面の読み方と歌い方を教わることだったのだ。
****
セレストは久々にまともにベッドに横たわることができた。
この三年間はサラの介護のために、彼女の近くにいなくてはいけなくて椅子で寝ることが多く、満足に眠ることができなかった。
神殿のベッドは貴族のものと比べると硬くて寝づらいものだったが、横になることすら稀だった三年間を思えば、横になれるだけで満足だった。
セレストは今日一日のことを思う。
いきなり家を追い出されて神殿に入れられた以上、前と同じく呪われた人々の世話をするのだろうと覚悟を決めていた。しかし蓋を開けてみれば、様子が違う。
続いて廃嫡されてしまったマクシミリアンについて思いを馳せた。美しい容姿であったが、全身から怒りが滲み出た人。王子として大切に育てられていたのが一転して呪われた人間、魔王になるかもしれないおぞましい存在として城を追われた彼の怒りや絶望は、義母の呪いが発症してからどんどん人が周りから消えていったセレストではなかなか想像だにできなかった。セレストのように諦観の念を持っていなかったからこそ、あれだけ激しく怒り、恨むことができるのだろう。マクシミリアンは存外苛烈な人だと、セレストは思った。
明日から彼の世話をしなければならないと思うと、身が竦んだが。
(でも……私の居場所はもうここにしかないから……お義母様の歌がどこまで届くのかはわからないけれど)
セレストはせいぜい王立学園の音楽の授業でくらいしか歌ったことがなく、アイリーンから譜面の読み方を教わってなんとか歌えるようになったが、その聖女の歌でどれだけ彼の怒りを冷ますことができるのかは不明瞭だ。
(頑張ろう。私にはそれしかないから)
セレストはそう祈るような思いで眠りに付いた。
久々に彼女は、夢すら見る暇もなく、ぐっすりと眠ったのだ。
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