とある令嬢の不幸な話 二

 帰り着いた際、父はいなかった。

 ただ使用人たちがわたわたとし、執事だけがかろうじてこちらに向かってきた。


「お嬢様! 奥様が!」

「……なにがあったんですか?」

「……ゴルゴーンの呪いにかかりました」

「……!」


 ゴルゴーンの呪い。かつて存在したとされる魔族の隷属の呪いのひとつであり、風邪や切り傷みたいに病気や怪我で誤魔化しの利くものとは違い、明らかに呪いだと見ただけではっきりとわかるものであった。

 執事に案内された先では、使用人たちが泣きそうな顔で酒を撒いていた。そこにいたのは、派手なドレスを着てベッドで臥せっているサラの姿だった。


「お義母様……」

「……セレスト?」


 その言葉にセレストは心底ほっとした。

 ゴルゴーンの呪いは石化の呪い。呪いの進行が早ければ早いほど石化し、しゃべることもできずに完全に石化してしまうが、ベッドで眠るサラは綺麗なもので、石化している部分が見つからなかったのだ。

 だが、執事がセレストの耳元で囁く。


「奥様は、下半身が既に……」

「……見せてちょうだい」

「しかし」

「お義母様……呪いとお伺いしましたが」


 途端にサラの顔は強張った。

 今まで気高く、凜とした佇まいの人だったがために、これだけ恐怖で顔を引きつらせたことは、今までなかった。


「……見ないでちょうだい」

「ですが。今のうちならば、神殿から解呪士を寄越してもらえれば助かるやもしれません。呪いはきちんと神殿で診てもらえれば……」

「……神殿に報告なんかしたら、呪われていると気付かれるでしょう!?」


 サラの慟哭に、セレストはビクリと肩を震わせた。今までサラの怒鳴り声なんて、セレストは一度も聞いたことがなかった。

 一方サラはガタガタと震える肩を抱き締める。


「私はこの身ひとつでのし上がったの! 呪いにかかった……しかも娼婦上がりが呪いにかかったなんて言われたら……殺される……」


 それにセレストは黙り込んでしまった。

 娼館にいる女性のほとんどは、魔族の隷属の呪いを受けて家を放逐された元貴族だ。

 かつて娼館の女性たちは魔族の子を産んだことで、人間扱いされなかった時期があったという。娼館出身のサラもまた、その話を聞かされて育ったからこそ、神殿から人を呼んだことで呪われたことを世間に知られてしまうのをおそれていたのだ。

 この辺りはセレストも王立学園で触りだけは勉強したことがある。娼館出身のサラの覚えている恐怖を想像することしかできないが、強靱な精神の人がおそれるほどのことが、娼館出身の人が延々と語り継ぐほどにはあったのだろうと思い知らされてしまった。

 一方、執事も言う。


「……旦那様から言付かっております。神殿に報告は辞めるようにと」

「それは。そもそもお父様はどちらに?」

「奥様の世話を任せるとのことです……恋人の元に向かったとのことです」

「……あの人は」


 父はよくて温和で人を身分で判断しない人間だが、悪くて優柔不断であり決断力のない人間だ。だからこそサラを娼婦上がりと知りながら後妻に娶って妹を産ませた一方、サラに呪いが発症した途端に逃げ出すのだ。

 神殿に通報された場合、どう判断されるかは貴族院の判断による。呪われた人間を神殿に捨てれば爵位返上は免れるらしいが、父の優柔不断さが原因でそこまでの決断にも踏み出せずに逃げ出したのだろう。

 結局は全てを帰ってきたばかりのセレストに押しつけたのである。

 それからのセレストは、毎日のように義母の介護をするようになった。

 下半身が丸々石になってしまったサラは、まずほとんど食事を摂らない。念のために調べたが、ゴルゴーンの呪いを受けても食事は必要なため、せめてもとパン粥を食べさせようとしても抵抗するのだ。

 その上、体が思うように動かない……というより下半身が完全に石化が広がって動かなくなってしまった以上歩けない、立つことすらできなくなったことで、ストレスの溜まったサラが使用人たちに中身の入った皿やコップをぶつけるようになってしまったのだ。

 見かねたセレストが間に入り、彼女が世話をするしかなくなった。


「わたくしがもうドレスを着られないのに、こんな服を着て……!」


 服を力いっぱい破こうとするおかげで、セレストは使用人と大差ないワンピース以外着ることができなくなってしまった。


「髪を……もうといても旦那様は見てくださらないの……!」


 髪を引っ掴まれ、実際に皮膚が捲れ上がる勢いで引きちぎられるものだから、セレストは髪を短く切り揃えるしかなくなってしまった。背中を覆っていた自慢の黒髪も、今は肩まであるかないかの長さしかない。

 使用人に習って服を脱がせて体を拭き、サラの髪をとく。

 噛み付かれる。引っかかれる。物をぶつけられる。

 かつて美しく気高かったサラは見るも無残な姿になってしまった一方、他の誰もサラの介護ができない以上はセレストがやるしかなく、必死に耐えるしかなかった。

 そんな生活を一年続けた頃には、すっかりとセレストはボロボロになってしまっていた。

 その間、王立学園に通う妹のライラはもちろんのこと、愛人の家に転がり込んだ父も、帰ってこなかったのである。

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