解放のファンタズマ 1-②


 デスクの電話から資料室に連絡。最優先事項だと命じて手配を済ませる。

 一時間もすると、報告書ファイルの束が運ばれてきた。

「何処に置きますか?」

「俺のデスクの上でいい」

「はい」

 ファイルの束がアメデオのデスクの上に置かれて山を作り、係員が立ち去る。

 アメデオは試しに一冊、手に取って頁を捲ったが、細かい文字ばかりがみっしりと詰まった文書にうんざりとした。

(なんだこの報告書は。少しは見やすくならんものか)

 煙草をふかしながらそう思っていると、ふらりとフィオナが入って来た。

 痩せた身体にピッタリした黒いパンツスーツ。血の気のない青白い肌。黒い縮れ毛の一房が額にかかり、大きなグレーの瞳に暗い影を落としている。

 相変わらず幽霊じみた容貌だ。

 フィオナは無言で一冊のファイルを手に取り、パラパラと頁を捲った。文字が読めているのかどうか、疑わしいほどのスピードだ。

 あっという間に三冊読み終えた彼女は、そこでパタンとファイルを閉じた。

「どうだ? 使えそうな事件はあったか?」

 アメデオが意気込んで訊ねる。

「いいや。単に懐かしかった」

「そ、そうか。だが安心しろ。報告書はまだまだあるぞ」

 宥めるように言ったアメデオを、フィオナは冷ややかな視線で見た。

「ボク、すっかり読む気が失せてるんだけど」

「なんでだよ」

「この報告書、冒頭の事件概要と、次項の捜査手順はしっかり書かれてる」

「ああ。その辺は優秀な部下が纏めてくれるんだ」

「だけど、その捜査を何故大佐が行うに至ったかの論理的根拠だとか、調査の折々で感じた大佐の見解や推理なんかが、何も書かれてないじゃない。

『理由は無いけど捜査をしてみたら、犯人が分かったから逮捕しました』だなんていい加減な報告書、よく上が受理したもんだよ」

「まっ、まあ、実際に事件を解決しているからな」

 アメデオの大雑把な答えと、それを不問とするカラビニエリの安直さに眩暈を覚えながら、フィオナは額に指を当て、細い溜息を吐いた。

「講演用の原稿を作るには、報告書に書かれていない部分が一番大切なポイントになるんだ。つまり過去を思い出しながら、報告書の穴を埋めていく作業が必要だってこと」

「ほう、成る程な。そういうのはお前が得意だろう?」

「……大佐よりはね。だけど、これは思ったより時間がかかりそう」

「一カ月じゃ無理か?」

「うーん……」

 フィオナはスケジュール帳を開き、しかめっ面をした。

 時計の秒針の音がアメデオの耳に大きく響いていた、その時だ。

 ノックの音が聞こえた。

「誰だ」

「カルリ少尉であります」

「ジョイア少尉であります」

 二人はアメデオが捜査の全権を任せている、切れ者の部下である。

 アメデオは姿勢を正し、椅子に座り直した。

「入れ」

「はっ」

 カルリとジョイアは扉を開けて入ってくると、アメデオに敬礼した。

「どうしたんだ?」

「はっ。大佐どののご判断を頂きたい事件があるのですが、ご来客中のようですので、出直すべきかと」

 カルリは部屋にいるフィオナに視線をった。

「構わん。彼女はローマ警察の犯罪プロファイラーだ。フィオナ、ここでの話は他言無用で頼む」

 アメデオは威圧的に言った。フィオナが頷く。

「はっ、お心遣い恐縮です」

 カルリとジョイアは緊張した顔を見合わせ、薄い書類の束をアメデオに差し出した。

 アメデオはそれを片手で受け取りながら、カルリに話しかけた。

「事件とやらの概要を話してくれ」

「はい。先週、マフィアのボスであるブルーノ・バンデーラが射殺され、その犯人が飛び降り自殺をしたという事件がありました」

「うむ。テレビでも騒がれていた事件だな。それで?」

 アメデオは鷹揚に頷きながら、書類の束をスッとフィオナに手渡した。フィオナが手早く頁を捲る。

「はい。被害者のバンデーラについては一時、大きく報道されましたが、無名の犯人とバンデーラの間に接点は見つからず、犯行の動機も不明とあって、報道の熱もすぐに冷め、捜査も事実上の打ち切りとなりました」

 カルリがそこまで喋った時、フィオナが横から会話に加わった。

「犯人のオズヴァルド・コッツィは、持病の腎臓病で余命宣告を受けていたんだって。あと、彼には傷害の前科があったそうだ」

「余命宣告だと? つまり、コッツィは自暴自棄になって無差別的に、若しくは漠然とした正義感からマフィアを標的に、殺人を行った可能性がある。前科者なら、犯罪には親和性があっただろうしな」

 アメデオが決めつけるように言うと、フィオナは「まだ続きがあるよ」と囁いた。

 カルリが隣のジョイアを肘でつつくと、ジョイアは小さく咳払いをして話を始めた。

「先日、未解決事件の資料を整理中に判明したのですが、実は今から約一カ月前、ローマ七区でも、バンデーラ殺しに類似した事件が起こっていたのです。

 連続強盗犯として逮捕され、移送中に逃亡した男が、潜伏先のアパルタメントで刺殺されたのですが、その犯人の足取りを監視カメラで追ったところ、自宅で首吊り自殺をしていたと判明したのです。バンデーラほどの有名人では無かった為、ニュースなどにはなりませんでしたが……」

「ふむ。それだけならば、単なる偶然の一致にも聞こえるが?」

 アメデオが腕組みをする。

「はい。確かに偶然の一致かも知れません。ただ、その犯人も又、癌で余命宣告を受けており、前科があったそうなのです」

「二つの事件に何か繋がりがあるのか、ないのか」

 アメデオはちらりとフィオナに眼を遣った。

「……」

 フィオナは何も答えなかったが、その目が妖しく光ったのをアメデオは見逃さなかった。

「よし。ひとまずこの事件は俺が預かろう。お前達は下がっていいぞ」

「はっ」

 カルリとジョイアは一糸乱れぬ敬礼をし、踵を返して部屋を出て行った。


「フィオナ、今の話をどう思った?」

「気味が悪い……そう思った。ボク、久しぶりにゾクッとしちゃったよ」

 フィオナは両手で二の腕を抱き、遠くを見詰めて薄笑いを浮かべた。

「お前がそう言うなら、何かがあるってことか」

「うん。そんな予感がするよ。きっとマスターの出番だって……」

 フィオナは時々、こうした霊感混じりの台詞を言う。そしてそれがよく当たる。

 経験上、それを知っているアメデオでも、いや、それだからこそ、フィオナという存在が無気味で堪らない。

 アメデオは悪魔払いのお香代わりとでもいうように、新しい煙草に火を点け、くゆらした。

「やれやれ……また厄介な事件のお出ましかよ」

 するとフィオナが突然、デスクにドンと手を突いた。

「大佐、何を余裕ぶってるのさ。これは大佐にとっても、大チャンスなんだよ!」

「へ? 大チャンスというと?」

「今からボク達はこの事件について調査し、推理だってしていくだろう? それを大佐が余さずメモしていけば、例の講演の格好の材料になるじゃないか。過去の事件を掘り起こすより、ずっと生き生きとした原稿が書ける筈だよ。

 そして最後に、マスターやボクが語った思考や推理を、さも自分が思いついたように書き換えればいいんだ」

「おお、成る程! バンデーラ殺しってのも、事件としてインパクトがあるしな。よし、じゃあ早速、ローレンに連絡を取ってみるか?」

 アメデオは目を輝かせ、椅子から腰を浮かせた。

「駄目だよ。その前に、ボクらが出来る限りのデータを集めておかなきゃ」

「ああ、そうだった。カラビニエリとローマ警察のデータベースから、類似の殺人事件がなかったか、調べればいいんだよな。カラビニエリの方は、部下達に協力させる。ローマ警察の方は、この際だからマヌリッタ長官に協力を仰いでみるとするか」

「いいかい、大佐。絞り込むべきポイントは、余命宣告を受け、犯罪歴のある犯人が起こした殺人事件、ってところだよ」

「分かった。そんなケースが他にも出てくれば、ただの偶然じゃないと証明できる」

「ボクの予感では、一つや二つじゃない筈さ」

「おおお、こいつはワクワクしてきたぞ」

 アメデオは鼻息を荒くし、腕まくりをして新しいノートにメモを書き始めた。


(続く)

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