第67話 南国の夏

「良くこれ、荷物検査通りましたね」

「特例です。超法規的措置です」

 リュウキュウ本島の空港で荷物を受け取り、長物を背中にくくりつけ、スーツケースを転がして、二列に並んで広い通路を歩く。

 誰がどう見ても凶器である。

 刃渡り一メートルもある大太刀に、全長二メートル近い長さの槍、どでかい金属の塊である二つの手甲。

 仮に無人島に滞在している時に災害が発生した場合、リュウキュウ本島の合衆国軍基地に置いてある『紫電』に乗って出発する事になる。わざわざカワチまで武器を取りに戻っている暇など無いのだ。という事で、例によって特例措置が取られたという事らしい。

「それにしても、無人島だけでなくクルーザーまで……一体どこのお金持ちですか?」

「さぁ。上は知っているようですが、私には何も。御本人が港に来られるという事だけは、秋藝の方から聞いています」

 ぞろぞろと連れ立って空港の外に出る。あまりに興奮して昨夜は寝付けなかったのか、ジェシカとメイユィは飛行機の中で爆睡していた。自分の甥や姪と同レベルである。

 二人は眠って元気を取り戻したのか、まだ見ぬ貸し切りの砂浜を想像してあれやこれやと騒いでいる。遊ぶ気満々だ。

 青い顔をしたサカキだけが、どんよりとした表情で最後尾についてきている。マツバラはそんな彼をまたかという目で眺めている。

 一行は空港の外にあるタクシー乗り場に進み、三人一組に分かれてクルマに乗り込んだ。武器は流石に一つのトランクには積めなかったので、二台に分けて、それでもトランクからはみ出した状態で無理矢理詰め込んだ。

 多分、これは道交法違反な気がする。これも恐らく特例措置として見逃されるのだろうが。

「あれぇ、お客さん、DDDの人ですかぁ?」

 年老いたタクシー運転手が、助手席に乗り込んだこちらに気がついて声をかけてきた。

「ええ。今日はちょっと、竜退治ではないのですけれど、お仕事で」

「そうかそうかぁ。あっつい中大変だねえ。いやあ、うちの孫が皆さんのファンでねえ」

 港に到着するまでの20分程、彼は聞いてもいない娘と孫の話を延々と続けていた。

 はあとかそうなんですねえとか適当に相槌を打ち、最後に写真を求められたので、彼のスマホで三人並んだ姿を撮った。

 都会のタクシー会社なら客に過剰に絡めば問題になるのだろうが、ここはリュウキュウだ。色々と緩いのだろう。

「シュウゲイの皆さんはどこですか?」

「確か、個人用の桟橋だと言っていましたが」

 ジェシカとオオイがキョロキョロと辺りを見渡している。個人用の桟橋、というか、多分漁船なんかが泊まっている辺りではないかと思うのだが。

 いくつも大きな連絡船の乗り場を通り過ぎ、暫く歩くうちにやはり、漁船や釣り船ばかりが並ぶ場所に出てきた。視界を遮るものがあまり無いので、目的の人間はすぐに見つかった。

「こっちです!こちらへどうぞ!」

 背の高い茄子顔の男が、笑顔で手を振っている。過去に一度会った事のある顔だ。

 確か、ムサシ県にある秋藝の本社、写真編集部のオオニシだとか言っていたか。

 隣にはイグチと、カメラマンのクマガイ、スタイリストのリョウちゃんもいる。あとはアシスタントらしき、知らない若い男が二人。

「いやあ、お久しぶりです、カラスマさん、オオイさん。今回も宜しくお願いします」

 一行が初顔合わせとなるジェシカとメイユィ、マツバラとサカキに挨拶をしている。サカキは今回も一部生配信をするのでと言うと、取材と撮影時間以外ならOKですよと言われていた。

「今回はイグチさんも同行ですか?」

 彼は社会部の記者で、前回はただ見ているだけだったはずだが。

「はい。今回は、撮影だけじゃなくてインタビューも同時にしようという事になっていますので。豪華大特集ですよ!」

 なるほど、グラビア撮影だけでなく、二人のインタビューも初めてだ。同時にやってしまおうという腹だったのか。

「それで、その。今回場所を提供して下さった方というのは?」

「ああ、今、クルーザーの点検をされておられます。整備士と船舶免許を持っておられるので、送迎をさせてほしいと」

 とんでもない道楽人だ。日に焼けたアロハシャツの遊び人のような男がイメージとして思い浮かぶ。

 イグチに誘われるまま、近くに停泊していた巨大なクルーザーに近寄っていく。

 でかい。これ、制限ギリギリの大きさではないだろうか。

 間違いなく全長で20メートル以上はあるし、高さを見ても排水量は相当なものだ。周辺の漁船が小さく見える。

 近くに寄ると、船上に作業服姿が見えた。どうやらこの人がその道楽人らしい、が……。

「えっ……何してるんですか、スギタ社長」

 青い作業服とキャップを身につけている人は、ユリア・エンターテイメントの代表取締役社長、ユリア・スギタその人だった。

 長いウェーブの髪を無理矢理小さく纏めている彼女は、こちらに気がついて慈母の微笑みで手を振った。

「こんにちは、皆さん。ついこの間ぶりですねえ」

「いや、何をして……出版社の大株主って、スギタ社長だったんですか」

 なるほど、確かにユリアは出版業界にも深く食い込んでいる。だが、まさか彼女だとは夢にも思わないではないか。

 軽くイグチの方に視線を戻すと、彼は四角い顔にニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。知っていて黙っていたのだ。

「いやあ、先日のコスプレイベント、私も後で動画を見ましたけどね、大変良くお似合いでしたよ」

「それならそうと先に言ってくださいよ」

「ちょっとしたサプライズってやつです。社長!もう良いですか!」

 船上で手を上げたスギタは、振り返って折りたたみはしごを船の縁にかけて固定した。

「気をつけて。重い荷物はリフトを使いますから」

 一般的に重いと言っても自分達にはそうでもない。三人とも、キャリーケースも武器と一緒に、背中にくくりつけてデッキへと上がった。

「知ってはいたけど、力持ちなのねえ」

「はあ、それが仕事ですから」

 流石に他の人間はそうはいかないので、クレーンのようなリフトを使って、纏めて船上へと持ち上げた。

「改めて、ようこそ、驚天丸へ。これから皆さんを、娘島までお送りします。船長のユリア・スギタです」

 芝居がかった口調で、作業服のままこちらに敬礼するスギタ。どうやらこの人はこういった余興が大好きなようだ。

「綺麗な船ですね!ユリア!名前は驚天堂からですか?」

「そうですよ、ジェシカさん。到着まで、景色を眺めるも良し、キャビンで休むも良し。お好きにして下さいな」

「リュウキュウの海、綺麗!ホンハイの海はなんか、濁って汚かったから」

「ホンハイは……そうねえ。あそこは都市部だから」

 やたらとテンションの高い二人は、大喜びで船のあちこちを見にいってしまった。

「スギタ社長、本日はお招きに与り、ありがとうございます」

 オオイが作業服のスギタに腰を折った。彼女はいつも通りに堅い。

「気にしないで下さいな、オオイさん。マツバラ先生も。イベントではこき使って申し訳ありませんでした」

「いえ、私は医者ですから。多分、誰かに頼まれなくても患者は診ていたでしょうし」

 先日のイベントでは、自分達についてきたマツバラは医療班として会場内を駆けずり回っていた。世話焼きの彼女らしいといえばらしい。

「サカキさん、生配信、大好評でしたねえ。ユリアの放送、完全に喰われちゃってましたよ」

 ややいたずらっぽい目でサカキに話しかけるスギタ。彼は申し訳無さそうに頭の後ろに手をやって恐縮した。

「いやあ、お恥ずかしい。つい調子に乗りすぎてしまって。社長も島に滞在されるのですか?」

「私は今回は雑用よ。ほら、4日分の食べ物とか消耗品、全部まとめて置いておくわけにもいかないでしょう?兵站ですよ、兵站」

 大企業のトップを荷運びに使うというのだ。これは、しかし。

「何も社長自らなさらなくとも。他の人ではいけないのですか?」

「いいのよ、ミサキさん。私が休暇に好きでやってる事なんだから。それに、この船を動かすのが私、大好きなの。海が近いとね、どうしても血が騒いで」

「はぁ……そうなんですか」

 港町の生まれなのだろうか。どうにも掴みどころの無い人だ。賢くて親切で優しい人だというのはわかるのだが。

「社長、そろそろ」

 イグチが申し訳無さそうに出発を促すと、彼女はあら、そうねと言って船室の方へと入っていった。

 程なくしてエンジンの振動が船を揺らし、アシスタントだと思っていた日によく焼けた若者が、係留してあったロープを外した。撮影班ではなく、ひょっとしてスギタのアシスタントなのだろうか。

 巨大なクルーザー、ヨットは緩やかに桟橋を離れ、沖にある防波堤の切れ目に向かって進んでいく。南国の強い日差しと、心地よい潮風が交互に肌を刺激する。

 美しい。

 澄んだエメラルドグリーンの海原が、午後の陽光を反射して白く、碧く光り輝いている。

 白波を切って進む船のデッキでは、クマガイがその安定した体格でがっちりとカメラを構え、しきりにシャッターを切っている。

 こんなに綺麗な海を見たのは初めてだ。海水浴には何度か行った事があるが、ヤマシロ北部のヒノモト海よりも、トサ県の太平洋よりも、ナンキの白浜よりも、今まで見たどの海よりも美しい。

 災害鎮圧の為に出向く時は窓の無い機内であるため、海の様子は見えない。

 サイクロプスで見た地中海も綺麗だったが、ここまで澄んだ海ではなかった。外海と内海の違いだろうか。

「わぁぁぁー!すごい!すごいよミサキ!物凄く綺麗!」

 キャビンからデッキに上がってきたメイユィが大歓声を上げた。揺れる船の上でも、バランスを崩すこと無く平然と立っている。

「リュウキュウの海は私も初めて見ました。ここまで美しいとは……」

 一歩沖へ出るとこの光景だ。息を呑むというのはこういう感覚だろう。

「ミサキ!魚影がすごいです!あれは食べられる魚ですか?」

「どうでしょう。というか、動いているのによく見えますね」

 見える。目が良いのだ。動体視力も。

 澄んだ海の中には濃い魚影が渦巻いている。時間のせいか近くに漁船は見えないが、位置的にここは漁場ではないのだろう。それでもこの数だ。

「近くにダイビングポイントがあるんですよ。もう少し本島に近い方は航行禁止になっているので」

 茄子顔のオオニシが近寄ってきて言った。

「なるほど、それで。海の中も相当綺麗なんでしょうね」

「ミサキさんもスキンダイビング、してみますか?」

「そうですね。時間があれば」

 船は本島を目印にして航行している。

 くるくると変わる海の色は見ていて飽きること無く、激しい戦いや日常の嫌な事など、全て忘れて見入ってしまう。なんとなく、身体の内側から洗われているような、そんな気分になった。


 減速したクルーザーはスクリューを細切れに動かし、半ば慣性で島に設置されている小さな桟橋に近寄っていく。

 緩衝用のゴムタイヤに船体がぶつかると、アシスタントの彼が素早く船を係留した。ガラガラと錨を下ろす音が聞こえる。

 すぐさまタラップが取り付けられ、待ちかねていたジェシカが飛び降りるように、真っ先に桟橋に降り立った。

「一番です!」

「あっ!ジェシカ、ずるい!」

 続いてメイユィが飛び降りた。頑丈な浮き桟橋が僅かに揺れる。

「二人共、ちゃんと皆を待って下さい。上陸したらその場で待つ事。うろうろしちゃだめですよ」

「わかっています!」「わかってるよ!」

 本当に分かっているのだろうか。彼女達の浮かれ具合を見る限り。どうにも不安だ。すぐにでも島を探検だと言って走っていきそうな気配がある。

 桟橋のある場所は、広い砂浜の隅の方だった。

 西を向いた浜の周囲は僅かに入江のようになっていて、海流の向きを考えると絶好の海水浴場に見える。

 流石に大人数で遊ぶには狭く感じるだろうが、プライベートビーチとして見れば十分過ぎる広さがある。丁寧に周辺の植物等も整備されているので、結構細かく手入れをしているようだ。

 ぞろぞろと荷物を持った一行が桟橋から出て待つ中、最後にスギタが作業服のまま降りてきた。集団を追い越し、陸地の方に立って両手を広げると、やはり芝居がかった口調とポーズで歓迎の意を示す。

「ようこそ!娘島へ!滞在中は日常の煩わしさを忘れて、大いに休み、大いに遊んで下さい!」

 やはりこの人、遊び人ではないだろうか。オンオフがはっきりしているという事だろうが、今の彼女を見て、世界的大企業の代表取締役だと思う人が、果たしてどれぐらいいるものだろうか。

「さて、まずは荷物を置きにいきましょうか。コテージまでご案内します。と言っても、もう見えているあそこですけれど」

 彼女の指差した先に、茶色い木造の建築物が二棟見える。コテージと言う割には結構な大きさだ。

 どちらも二階建てで、見えている窓の数からして部屋数も多い。多分、ユリアの持っている福利厚生施設なのだろう。

 それにしてもスケールがでかい。無人島まるまる一つに大型ヨットである。流石はユリア・エンターテイメントという事か。

 彼女の後ろについてコテージに移動する。高床式のロッジのような建物で、木造ではあるがきちんと金属で補強してあり、耐震性もありそうだ。

「こちらを女性用、あちらを男性用として使って下さい。中にあるものは全て自由に使って頂いて結構ですが、ガスや電気なんかの設備関連はあまりいじらないように気をつけて。お風呂や洗濯は浄水ですので、飲み水や料理に使う水は、中にある専用タンクから使って下さいね」

 無人島ならではの工夫という事だろう。宿泊施設として使う場合、雑用水の水質検査も結構頻繁にしなければならない。設備の維持にも相当金がかかっているはずだ。

「ガスはLPですね。電気はディーゼル発電機ですか?」

「ええ。一部ソーラーを取り入れているので、燃料が無くなっても晴れてさえいればどうにかなるように作ってあります。まぁ、予備も定期的に補充しているのでそんな事は滅多に無いのですけれど」

 無人島にしてはかなり快適だ。少なくとも滞在中、普段の生活に比べて特別不自由するという事もなさそうである。

 そして案の定、ジェシカとメイユィは良い部屋を確保すべく、二階へ競うように上がっていってしまった。

「それじゃあ、男性の方の案内はお願いね、タカシ君。ジェシカさん達はお部屋に行ってしまったけれど、中の設備の使い方を説明するわ」

 タカシ君と呼ばれた船の係留をしていた若者が、はいと言って取材班とサカキを連れて隣の建物へと向かった。やはり彼はユリアの人間だったのか。

「さっきの方は、ユリアの人ですか?」

 部屋の説明を受けながら聞いてみる。彼女はそうねえ、と言って少し考えた。

「そうとも言えるし、そうでないとも言えるわね。この島の管理を任せている会社の、社長の息子さんなの。出資はほぼユリアだから、まぁ、ユリアの人間と言われればそうかも」

「なるほど。地方の傘下設備会社のようなものですね」

 割と良くある形態である。

 大きなグループ企業は、自前でメンテナンス企業を抱えている事も多い。

 直接下請けに投げたほうが安く上がる事が多いのだが、働く側としては大企業の福利厚生を受けられる系列企業のほうが、圧倒的に待遇が良い。

 殆どの企業は不況でそういった部署を切り捨ててきたが、ユリアは持ち前の体力でまだ存続させているようだ。

「ミサキさん、結構詳しいわね」

「ああ、いえ。ビルメンテナンス会社でパートとして働いていた事がありますので」

「あら、そうなの。釈迦に説法だったかしら?」

「いえ、そんな事はないです。施設によって設備は変わるものですから」

 実際、無人島にある宿泊施設の設備なんて見たことがない。

 空調はパッケージエアコンだろうが、この方式の上下水は初めてだし、LPガスも都市部ではもう殆ど見ない。電気だって基本が電力会社の送電ではなく、自家用発電機だけというのはまるで経験がない。

「まぁ、でも基本は分かっているのよね、心強いわ。困ったらミサキさんを頼りにしてくださいね、皆さん」

「いや、それはちょっと」

 スギタの冗談にマツバラとオオイが笑う。勘弁して欲しい。

 一通り説明を終えると、また明日来るからと言ってスギタは帰っていった。本島の系列ホテルに部屋を取っているらしい。

 部屋はあるのだから島に泊まっていけば良いのにと思ったが、気を使わせては悪いと思ったのだろう。それに、彼女自身が言っていたように消耗品の運搬もある。

 作業服の社長を見送って広いリビングに戻ると、丁度上から二人が降りてきた所だった。

「部屋は決まりました!南東のカドがメイユィ、その隣が私です!」

「はいはい。じゃあ、私達も荷物を置いてきますから。後で設備の使い方を説明するので、適当に座って待っていて下さい」

 もう二人は言動が完全に子供と同じである。非常に微笑ましいのだが、もう少し落ち着いてはどうだろうか。

 木製の階段を上って二階に出ると、南北に7つもの部屋が並んでいる。

 外観から推測できる部屋の大きさを考えれば、おそらく部屋は全て二人部屋なので、二棟合わせて最大で合計30人近くがこの島に滞在できるという事になる。実際にはそこまでの人数が同時に使用するという事は無いのだろうが。

 階段の正面、ジェシカの隣の部屋を開ける。中はフローリングの綺麗な部屋で、やはりというか何というか、ベッドが二つある。二人部屋なのだ。

 一通りの家具が揃っており、何なら滞在中はずっとこの部屋に籠もっていても問題ないと思える。勿論そんな勿体ないことはしないが。

 上陸した砂浜から見て北東方向に建っているこのコテージからは、南側の窓から白い海岸が良く見える。北側は森だったので、ジェシカとメイユィが南側の部屋を選択したのは、この眺めの良さがあったからだろう。

 武器を含めた荷物を部屋の隅に置いて、すぐに部屋を出る。正面の階段を降りると、リビングの大きなテーブルについていた二人は、既に冷蔵庫からジュースを取り出して、その甘酸っぱい南国の果実の味に耽溺していた。

「あっ、ミサキ!このジュース、ちょっと酸っぱいけどすごく美味しいよ!」

「オレンジに似ていますが不思議な香りがします!飲んだことがありません!」

 リュウキュウで沢山栽培されている柑橘のジュースだ。自分も飲んだことがあるが、市販されているものは甘くて飲みやすい。

「二人共、元気ですねえ」

「ミサキ達が大人しすぎるんだよ。お年寄りみたいだよ」

「失礼ですねえ」

 浮かれるのは仕方がない。照りつける太陽、白い砂浜、エメラルドグリーンの海。興奮しないほうがどうかしているだろう。ただ、自分達は少し大人の分別があるだけに過ぎない。

 彼女達に主に水回りの使い方を教える。風呂も洗濯も基本飲める水ではないので口に入れないこと、巨大な業務用冷蔵庫の中身は自由にして良いが、食材を使う時は自分かオオイに相談する事、飲み水はキッチンにあるタンクから使う事、等。

 ガス台の使い方も教えた。駐屯地の調理はインダクションヒーティング、IHなので、実際のガス火を使うのは彼女達はこれが初めてだ。

 特にこういった場所では火の取り扱いに十分気をつけねばならないので、基本的に自分がいるときにしか使わないようにと言っておいた。

「よく分かりました!ミサキ、それでは、夕食の支度をしましょう!」

「少し早くないですか?機内食が少なかったというのはそうですが」

 彼女達はずっと寝ていたので、そこまで腹が減っているわけではないだろう。こちらはそれなりに空腹感はあるが。

 しかしジェシカは細かく人差し指と頭を振って言った。

「明るいうちに準備をしなければなりません。暗くなってからでは大変なので」

「明るいうちに?なんでまた」

 電気は使えるのだ。別に暗くなろうが調理に支障はない。

 しかし彼女は椅子から立ち上がってこう宣言した。

「決まっています!外でバーベキューをするのですから!」



「いやあ、砂浜でバーベキューとか、学生の頃以来ですよ」

「サカキさんもですか?いや、僕らもね、仕事が忙しくて夏休みなんて取れなくて」

 ご丁寧に大きな焼台が倉庫の中に二つも置かれていた。炭や着火剤まで用意してあったので、間違いなくこれを想定して用意されていたものだろう。それにしても初日からこれとは。

 氷を入れたたらいにビールやジュースの缶を突っ込んで運び、巨大な業務用冷蔵庫に入っていた野菜や肉を大量に持ち出し、炭火で焼いていく。

 南部生まれの血が活性化したジェシカは鬼教官のようになって焼台の前に陣取り、食材が焼けるそばから、あれを食えこれを食えと全員の皿の上にどんどん積み上げていく。

 メイユィはジェシカの近くにいれば焼きたての肉を味わえる事に味をしめ、彼女のすぐ側で笑顔で口を動かしている。

 オオイとマツバラは並んで折りたたみ椅子に腰掛け、ビールを缶のまま飲みながら、日頃の鬱憤をぼそぼそと吐き出している。あまり健康的だとは言い難い。

 秋藝の人間は比較的固まって楽しんでいるようだが、サカキもそれに巻き込まれている。楽しそうにしているのでまぁ、特に問題はないだろう。この程度でマスメディアと外務省の癒着を疑われるような事は無いはずだ。多分。

「ミサキ!もっと食べて下さい!」

 ジェシカがこちらの皿の上に、どさどさと焼けた肉を乗せていく。

「ありがとうございます、ジェシカ。代わりましょうか、ジェシカはあまり食べていないでしょう」

「焼きながら食べているので平気です!問題ありません!」

 言われてみれば、脇に置いた皿の上に焼き上がった肉や野菜が乗っており、合間を縫って彼女も食事をしていたようだ。随分と手慣れている。

「実家では良くこうやってバーベキューをしました。勿論、海ではなく、庭でですが」

「そうですか」

 彼女は少し寂しそうな影を見せた。だが、それも一瞬の事であり、すぐにいつもの元気なジェシカに戻る。

「今はこうやって皆とバーベキューができます!とても楽しいです!」

「そうですね、楽しいです」

 程よくミディアムレアに焼かれた上質の牛肉を、市販のタレに付けて口に入れた。柔らかくもしっかりとした歯ごたえ、溢れ出す肉汁、甘い脂と辛めのタレが食欲を刺激する。

「ジェシカ、ジェシカ。コーンまだ?」

「待って下さい、メイユィ。まだです。コーンは少し時間がかかります。オニオンを食べて下さい」

「えー、タマネギ、辛いもん」

「辛くないです。きちんと火を通してあります」

 ジェシカは渋るメイユィの皿に、半透明になったタマネギをどさっと乗せた。実に微笑ましい光景だ。

 日が落ちて少し涼しくなった浜辺には、海から塩気を含んだ風が吹いてくる。

 打ち寄せる波の音と、どこか遠くから聞こえる汽笛の音。森の方からは聞き慣れない虫の声が聞こえて、ヒノモトらしくないくせに妙にヒノモトっぽい、不思議な感覚だ。

 空を見上げれば細い月に満天の星空。都会では街の光に遮られる輝きが、まるで降ってきそうな程にびっしりと天の黒幕を覆い尽くしている。

 日頃の喧騒や激しい戦いが嘘のようだ。来て良かった。初日からそう思える程、リュウキュウの夜は感動に満ちていた。


 ずっとそうであれば良かった。だが、現実は甘くない事を翌朝、嫌が応にも思い出すこととなってしまった。

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