第10話 くっころガチ勢、ビビッと来る
風を切る音がする。
視界は真っ暗で何も見えない。
ただ己の斬るべきものだけがぼんやりと浮かびその白い線をなぞるように剣を振っていた。
「はぁ……こんなふうに剣を振るうのはいつぶりだ」
最近は忙しくて朝夕の鍛錬は続けていたもののこうしてゆっくり思うがままに剣を振るのは久しぶりのことだった。
くっころが見たくて始めた剣だが今は割と剣術自体も楽しくて積極的にやっていたりする。
「お疲れ様です、ジェラルトさん。いつ見てもあなたの剣は美しいですね」
後ろから声をかけられて振り返るとそこにはシンシア王女が立っていた。
鍛錬に集中していたから全く気づかなかった。
「シンシア王女?いつのまに?」
「15分前くらいですかね?お邪魔しないようにここで見させてもらってたんです。これ使ってください」
そう言ってシンシア王女から手に持っていたタオルを手渡される。
なんだかフワフワでいい香りがして使うのが申し訳なくなってくるがせっかく渡してくれたので額を流れる汗を拭う。
「わざわざありがとう。助かった」
「いえいえ。私がしたくてしたことですから」
「後で必ず洗って返す」
「別に今返していただいてもいいですしなんならもらってくださっても構いませんよ?」
「いや、これはケジメだからな。ちゃんと洗って返させてもらう」
「ふふ、相変わらず真面目ですね。ではよろしくお願いします」
はっ!?
なんかつい礼儀正しく接してしまった!?
こういう場で『そういうのは必要ない』とかバッサリ切り捨てておけば好感度を下げられたのでは……?
今からでもこのタオル投げ捨てるか……?
でもさっき洗って返すと言った手前今更捨てるのもおかしいしもしシンシア王女の思い出の品とかだったら腹切っても詫びきれない。
捨てるのはやめにして好感度を下げるのはまた今度にしよう。
俺たちの関係は長い信頼関係で結ばれているわけではないしまだ間に合うはずだ。
「それでシンシア王女は護衛も付けずになぜこんなところに?実戦訓練で兄君に危険があったのだからシンシア王女も気をつけてくれ」
「わかっています。なのでほら」
シンシア王女は手のひらを上に腕を向けるとその先には少し離れたところにマーク殿がいた。
俺が見たことで小さく一礼してくる。
なんにしてもこの真面目だけどお転婆姫という矛盾を抱えたお姫様が学んでくれたようで良かった。
マーク殿がいるならひとまず安心だ。
「ジェラルトさんが休日に入ったと兄様に聞いて伺ったんです。お疲れのところ申し訳ないかなとも思ったのですが、兄様にせっかくならみなに仲良しアピールをしてこいと」
「はぁ……あの王子は……」
「い、いつも兄様がすみません。兄様を支えてくださっているジェラルトさんには感謝しかありません」
「いや、シンシア王女が謝ることではない」
あの王子は本当に……
有能なのはありがたいが天才ゆえの変態性を持っている。
あの人と結婚させられる未来の王妃に心の中で合掌した。
「では適当に歩くか?」
「……!はい!行きたいです!」
ヴィクター王子と違ってシンシア王女といるのは疲れない。
なんとかくっころを取り戻す算段をつけるためにもシンシア王女のことをもっと知るのは大切なことだ。
彼を知り己を知れば百戦危うからずって言うし。
「どこか行きたいところでも?」
「学校の外はこの時間だと難しいですし……ジェラルトさんはどこか行きたいところはありますか?」
シンシア王女がどんなことが好きか知りたくて聞いたのに俺に質問が帰ってきた。
あくまで俺に情報は掴ませないという魂胆か……!
中々やるな……!
「では適当に歩き回ってシンシア王女が気になったところがあれば顔を出すというのはどうだろうか?」
「わかりました。そうしましょう」
歩き慣れた学内を回るだけだと相当面白くない気もするが俺の行きたい場所なんて特に無い。
歩くだけだとしてもシンシア王女の考え方や趣味嗜好を聞くのだ。
俺達は世間話をしながら学内を歩いていく。
婚約発表は士官学校の入学記念パーティーだったため生徒で婚約を知らない人はまずおらず生暖かく興味に満ちた視線を向けられた。
「視線が多いな……」
「あ、あはは……意外とすぐに慣れますよ……?」
「こんなの慣れたくないな。王族たちを素直に尊敬するよ」
こんな視線を受けて日々を過ごすなんて居心地が悪いったらない。
貴族だったり噂のこともあって視線を向けられるのは慣れたと思っていたが生暖かい視線は想像以上に心に来る。
俺がそんなことを考えているとシンシア王女は図書室の前に止まった。
「あ、図書室はどうでしょうか?お勉強でもなんでも付き合いますよ?」
「図書室はいいけど勉強は勘弁してくれ……何度ここでヴィクター王子の調べ物に付き合わされたことか……」
「あ……だ、だったら楽しい本を読みましょう!勉強じゃない読書は楽しいですよ!」
「まあそれは否定しないが……」
シンシア王女の顔が一気に申し訳無さそうになり話題を無理やり変える。
ヴィクター王子もそれくらいの気遣いを身に着けて欲しい。
人間というものは分厚い六法全書みたいな本を十分で読んで内容覚えて要約して報告するなんて不可能なんだぞ……
これだから天才は……
おかげでこの本の匂いを嗅ぐだけで少し嫌気が差すようになってしまった。
俺は嫌な記憶を心の奥底にしまいこみ切り替える。
この時間をなんとしても有益なものにしないとな。
「シンシア王女はどんな本を好むのだ?」
「……笑いませんか?」
「え?そんな変なものを?」
「べ、別に変なものではないんですけどね!?」
じゃあ一体どんな本が好きなんだ。
たとえ俺はシンシア王女の愛読書が官能小説でも広い心で受け入れよう。
変態過ぎたら困るが姫騎士様が実はむっつりでしたなんて全然アリ寄りのアリ。
そのシチュエーションを実現してやったら恥ずかしがってくっころしてくれないかな。
「どんなものでも笑いませんよ」
「そ、そうですか。じ、じつはですね私……絵本が好きなんです……」
「絵本?」
帰ってきた言葉は意外なものだった。
絵本ってあの絵本だよな?
「はい。絵本って大切な人とのゆったりとした時間って感じがしませんか?小さい頃寝る前にお母様が絵本を読んでくれるのが大好きでした。だから今も……あの暖かくて優しい時間に憧れてるんです」
「なるほど。そういう見かたもあるのか」
絵本を読むのも好きだがそれ以上に大切な人との時間が好き。
確かに俺も前世で絵本を読んでもらったことはあるし穏やかで優しい時間だったのは間違いない。
シンシア王女らしいなと素直に思ってしまった。
「いいんじゃないか?大切で温かい時間。そんな民の平和な日々を守るためにドレイク家は戦っているのだから」
「ふふっ、そうですね。本当にドレイク家には感謝してもしきれませんよ」
近衛兵と貴族の私兵を除いた王国軍全軍の指揮権は我が父より前の世代からずっとドレイク家に受け継がれてきたもの。
世襲制ではないのにも関わらず実績と能力で周りを黙らせ軍務卿の地位に座り続けている。
ここ数百年前からアルバー王国を守護し、軍部の地位が上がったことでその立場をより確固なものとした。
アルバーの王国の平和はドレイク家によって守られていると言っても過言ではないのだ。
「おや、シンシアとジェラルトではないか。仲が良いな」
「兄様!?」
「げっ、どうしてこんなところに」
「兄様、ジェラルトさんは休日ですよ?」
「なんだ、デートをそんなに邪魔されたくなかったのか?」
「で、デートだなんて……」
シンシア王女一撃で撃沈。
しかしそう見えたがまだシンシア王女は折れていなかった。
「兄様が私に言ったんでしょう?仲の良さをアピールしてこいと」
「別に無理して今する必要はないけどな。そなたがジェラルトに会いたそうにソワソワしていたから背中を押してやっただけだ」
「なっ……!?」
「よかったな。ジェラルトは男としての甲斐性にあふれているぞ?そなたの寂しがりも多少は和らいだのではないか?」
「さ、寂しがりなんかじゃありません!というかジェラルトさんの前でそんなことを言わないでください!」
「はっは!初々しくていいな!」
「あぅ……」
シンシア王女撃沈。
顔を真っ赤にして手で顔を覆ってしまった。
というかアンタ妹にも容赦ないな。
「ジェラルト、仕事はしなくていい。頭にだけ入れておけ」
「断っても無駄でしょうし一応聞きます」
もう仕事恐怖症になりかけている。
ヴィクター王子が王になったときの王宮仕えの者たちは大変だろうな。
俺はもう大人になったら領地のことと国境線の守護しかせんぞ。
「モーン伯のことだが王族を危険にさらしたことと明らかな人選ミスの責任で現在は謹慎している。そしてモーン家の調査が改めて行われたのだが……」
「やはりダメですか」
「事態は想像以上に深刻だ。例のヌシの生育記録が発見された」
「生育記録、ですか!?」
つまり此度の騒動は暗殺だったということ。
もしかしたら脱走だったのかもしれないがあんなバカでかいのが脱走したら民にバレないはずがない。
つまりは秘密裏に訓練していたヴィクター王子のもとへ送り込まれたということだ。
「なぜモーン伯がその技術を持っているのかはわからん。だがきな臭いことにはかわらない」
「はぁ……ただのお家没落で終了だと思ったのに……」
「今回の一件は想像以上にでかい。間違いなくモーン伯だけの仕業ではない。力を貸してくれ」
「了解しました」
その瞬間ビビッと背中に何かが流れたような感覚がする。
この高揚はまさか……!
くっころの気配がする!
これはくっころの時が近づいているに違いない!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます