第3話 被害は最小限に

 袴田美優の手を引きながら俺は走って走って走りまくった。


 最初のうちは袴田の父親らしき男が執拗に俺たちを追いかけてきたのだが、どうやら男はあまり体力がないようでしばらくすると速度が落ちてきて最終的には息を荒げながら膝に手をついていた。


 それでも俺たちは必死に走り続けていたのだが、裏路地に入ってしばらくしたところで足を緩めて後ろを振り返る。


 どうやら追っ手はいないようだ。


 ホッと胸をなで下ろした袴田へと顔を向ける俺だったが……。


「んんっ……」


 俺に手を引かれながら走っていた彼女はなにやら頬を真っ赤にしていやらしい吐息を漏らしていた。


 いや、なんで……。


 そんな袴田に動揺していた俺だったが「そ、そろそろ離してください……」という彼女の言葉でハッと我に返る。


 どうやら彼女の手首を掴みっぱなしだったようだ。


 それどころか必死で逃げたせいで俺の爪が彼女の手首に食い込んで痛そうである。


「わ、悪い……痛くなかったか?」


 いや、痛いからこそあんな吐息を漏らしていたんだろうけど……。


 そんな俺の問いかけに彼女は首を横に振る。


 まあ痛かったんだろうけどとりあえず怒ってはいないことはわかったので少しホッとする。


 それはそうと……。


 とりあえず追っ手の心配がなくなったことに安心した俺は少し冷静になって彼女を見やった。


 可愛い顔だな。ゲームでも可愛いと思っていたけれど、こうやって3次元に動く彼女はゲームの画面だけでは感じられない美しさがある。


 その大きな瞳も通った鼻筋も、透き通るような白い肌も男を引きつけるのに十分すぎるほどの魅力を持っていた。


 思わず見とれそうになるが、俺の視線に気づいた彼女がちらちらと視線を向けてきたので慌てて視線を逸らす。


 今は彼女に見とれている場合ではない……。


 とりあえずこれからどうしようか……。


 面倒なことになったというのが正直な感想である。なにせ、俺は彼女を初めとした『星屑のナイトレイド』のキャラクターたちに干渉しないつもりだったのだから。


 まあ、俺はモブオブモブの顔をした地味な人間である。


 間違っても彼女の生田京介への好意が自分に向くなんて思ってはいないが、俺に好意が向かなくてもシナリオに大きな影響が出るのは避けたい。


 なにせこいつらの恋愛で心を癒やして貰うつもりでいるのだから。


 しかし、いったい彼女になにが起こったのだろうか……。


 俺の見る限り、袴田は明らかにいかがわしい撮影会に参加させられそうになっていた。


 そして、中年男に連れられてビルに入ろうとしていた彼女の瞳には光彩がなかった。


 少なくとも俺はゲーム内でこんな暗い顔をした袴田を見たことがない。


 天真爛漫でみんなを笑顔にする明るい性格が彼女の魅力なのだから。


 が、俺が知っているのはあくまでゲームのシナリオだけである。もしかしたら、シナリオでは描かれなかった他の側面もあるのかもしれない。


 こいつは女優の卵である。ゲームでは描かれてはいなかったが、女優の仕事をする中で、辛い仕事をこなしていた可能性も全然あるしな。


 そもそも俺がプレイしたのはあくまでゲームなのだ。ゲームというものはあくまでプレイヤーを満足させるものであって、わざわざプレイヤーが不快になる描写をしないだろう。


 が、ここはゲームの世界ではあるが現実である。ここにはシナリオに書かれていない出来事だってある。いや、むしろシナリオなんて所詮は世界の一部を切り取っただけなのだ。


 むしろシナリオに描かれていない出来事がほとんどなのだ。


 そういう意味では少し安心である。


 彼女のこんな暗い顔は見たくはないが、仮に本編のどんなシナリオに分岐したとしても彼女が不幸になる未来は存在しない。


 今回はたまたまだ。彼女はすぐに元気を取り戻してまた俺たちを笑顔にしてくれるはずだ。


 これ以上、俺が不必要にシナリオに干渉さえしなければ……。


 ということで。


「とりあえず逃げられて良かったよ。なんというか俺が言うことじゃないかもしれないけれど自分を安く売るようなことはしない方が良いと思うぜ? じゃあな」


 だから彼女の記憶の中に俺が残る前にこの場から退散することにした。


 老婆心ながら、そんなアドバイスを送って彼女の元を立ち去ろうとした俺だったが……。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 背後からそんな声が聞こえると同時に、誰かが俺のブレザーの背中部分をぎゅっと掴んだ。


「え?」


 当然ながら掴んだのは袴田である。背中を見やると俺の背中にしがみ付いて顔を押しつけながらぶるぶると震える彼女の姿があった。


 おい……止めろ……これ以上、俺をお前たちに干渉させるな……。


 が、そんな俺の願いもむなしく彼女は「た、助けてください……」とのたまってくる。


 マズいですよ……本当にマズい展開ですよ……。


 内心ヒヤヒヤものではあるが、さすがに縋り付いてくる女の子を引き剥がして逃げ出せるほど俺の人間性はできていなかった。


「た、助けてってどういうことっすか?」

「このまま家に帰ってもパパやママやあの人にいじめられる……」

「…………」


 え? なに言ってんすか? なんで袴田美優のような女の子がパパやママに虐められるの?


 あと、あの人って誰……。


 少なくともゲームを全てプレイした俺は彼女が両親からいじめられるなんて話は知らない。


 というか、そもそもゲームには彼女の両親は登場しないのだ。


 あれ? 家族関係は良好だったんじゃないのか? だって良好じゃなきゃシナリオにそれを匂わすような描写があるはずだよな?


 困惑する俺は思わず絶句する。が、そんな俺の絶句を袴田は許してくれない。


「ひどいですよ……。このままじゃ私、怖くて家に帰れないです……」

「いや、でも……」

「こんなことになるなら私、撮影会に参加すれば良かった。それならパパやママに虐められなくて済みますから……」


 あーあー重い重い……。


 なんなんだよこれ……。


 え? これ本当に『星屑のナイトレイド』の世界だよね? だって袴田美優は現にここにいるし、他のキャラクターも俺は確かにこの目で見たぞ。


 世界観ぶち壊しの彼女の発言に、俺は思わず金属バットを片手に運営会社に殴り込みに行きたいところだが、それはできない。


 どうしようか……。


 なんて考えている間も彼女は俺の制服を掴んで離そうとはしない。


「と、とりあえず俺の家に避難するか?」


 困った俺の口からこぼれたのはそんな言葉だった。


 マズいのはわかっているが状況的にそういうしかなかった。


「あ、でも勘違いするなよ。あくまで緊急避難って意味で他意はない。うちには妹もいるし袴田も安心してうちに来れるかなって思って」

「行きますっ!!」


 そんな俺の言葉に袴田は即答した。


 ということで俺は渋々彼女を自宅へと連れて帰ることにした……。


 あーマズいマズい……。

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