第28話 裏切りの果てに
俺は思いついた場所にタクシーで向かっていた。
おそらく小久保(草壁)香奈と千秋は同級生だった。だとすれば、彼女らが会う場所は、あの公園に違いないと直感で思った。
タクシーの窓から外の景色が流れる。
——早く着いてくれ!俺の心臓はさっきから鼓動を強く打ち続けている。車内の静けさがかえって耳鳴りのように響き、不安と焦燥が入り混じる。
そのとき、スマホが鳴った。
画面には、病院で連絡先を交換した「渋川寮」の名前が表示されている。
「もしもし、渋川さん?」
『青空さん……浩司が目を覚ましましたよ』
その言葉に、一瞬息を飲んだ。
「意識が……戻ったんですね」
『はい、彼がどうしても青空さんに話したいことがあるそうです。かわりますね』
小久保浩司は俺に何を伝えたいのか。そして、妹である小久保香奈——『あいつ』について、何を知っているのか。
『聖夜……俺だ』
「浩司……よかった、無事で」
浩司の声が聞こえた瞬間、俺の胸には安堵と同時に、心の中で抑え込んでいた疑問が押し寄せた。
「なあ浩司、妹の香奈さんが……『あいつ』なのか?」
電話の向こうから深いため息が聞こえた。しばらく沈黙が続いた後、浩司の声が静かに響いた。
『……そうだ、香奈だ』
予想していた答えだったが、実際にそれを聞いた瞬間、心の奥底がズンと重くなった。
「どうして……どうして彼女はこんなことを」
浩司は声を震わせながら、妹である香奈の過去を語り始めた。
『香奈は……俺たちの両親が不仲だったせいで、ずっと心を閉ざしていたんだ。兄の俺だけが彼女の心の支えだった。香奈は幼い頃から天才的な頭脳を持っていて、俺以上に何でもできた。中学生の頃には、俺が教えた
草壁香奈の頭抜けた才能は、小さい頃からだったんだな。そして浩司がそれを教えた……だからソースコードの癖に気がついたのか。
『だけど……あの火傷の事故が、香奈のすべてを変えたんだ』
浩司の声が震えている。
——あの時、彼女が見せてくれた、火傷が原因?
『中学生の時、香奈は大火傷を負って数ヶ月入院したことがある。その時——彼女が唯一の親友だと思っていた同級生が、一度も見舞いに来なかったことで、香奈は絶望していた。心の中では、その親友をずっと信じてただけに……その裏切りが彼女の心を壊した』
(それが……千秋、なのか)
浩司は言葉を続けた。
『両親は、香奈の入院中に離婚してしまった。香奈はそのせいで俺たちが引き裂かれたと思い込むようになった。彼女は自分がすべての原因だと感じていたんだ。俺も、妹を孤独にしてしまったことを、ずっと悔やんでいる……』
浩司の声には、深い後悔と哀しみが込められていた。
『聖夜、香奈を許せとまでは言わない……でも、香奈の苦しみをわかってやってほしい。彼女がなぜここまで追い詰められたのか、彼女が背負ってきたものがどれだけ重かったのか……せめて、わかってやってくれないか……』
俺はその言葉に、しばらく言葉を返すことができなかった。
◇◇◇
夕暮れが、白金の自然植物公園を赤く染める。
風が木々を揺らす、カサカサとした音が、草壁香奈と伊藤千秋を包んでいた。
「私、あの時決めたんだ。過去を捨てて、虫を焼いて……そうすれば、千秋と向き合えるんだって。でも——」
香奈は目を閉じ、かすかに唇を噛む。頭の中には、入院していたあの日々がよみがえってくる。
「入院してる間、一度も来てくれなかったよね。ずっと、親友だと思ってたのに……裏切られたんだって。私、あの時、本当に絶望したんだよ」
香奈の言葉には、冷たさと共に、過去の傷がにじみ出ている。千秋は何も言わず、その言葉を受け止める。
「両親もあの時、離婚してさ。お兄ちゃんとも会えなくなって、もう本当に一人ぼっちだった。学校を転校して、そこでも孤独で……誰も私に興味なんて持たなかった」
その声が徐々に震え始め、香奈の瞳に涙が浮かぶ。しかし、彼女はその感情を押し殺すように続ける。
「でも、青空さんに出会った時……ようやく変われるって思ったんだ。彼に認めてもらいたくて、必死に努力して……それで、やっと自分が変わったんだって感じたの……」
香奈は千秋をじっと見つめる。
「私、近くにいて気づいたんだ。青空さんも、私と同じように心に傷を抱えているんだって。だから……彼の痛みが伝わってきたの。私が彼に救われたように、私も彼を救いたかったんだよ」
震える香奈の言葉は静かだが、その中には強い感情が込められている。
「でも、ある日、デスクに置いてあった彼のスマホに来た通知を偶然見たの。それが、『秋空かえで』っていうVtuberで……彼が、今夢中になってる『推し』だって知った。なんで?って思ったよ。私が隣にいるのに、どうして別の誰かに心を向けるのって……」
香奈の目に怒りがこもり始める。
「彼の好みって、どんな人なんだろうって興味を持って『秋空かえで』の配信を見た時、すぐに気づいた。……伊藤千秋、『中の人』は、あんただって」
千秋はその言葉に驚いた表情を見せるが、すぐに俯く。
「でもバーチャルな存在なら、消してしまえばいいって思った。だから、活動をやめさせようと、脅迫メールを送ったの。あんたさえ消えれば、青空さんは私だけを見てくれるはずだって……」
香奈は拳を強く握りしめ、心を振り絞るように言葉を続ける。
「でも、青空さんの部屋を訪ねた時、隣に住んでるのがあんただって確信して、絶望したよ……」
香奈の声は次第に震え始め、その目には涙が浮かんでいる。
「私、必死だったんだよ。青空さんに振り向いてもらうために、どれだけ努力したか。でも、また……裏切りモノのあんたに、大切なものを奪われる気持ちわかる?!」
香奈の目は、千秋を真っ直ぐに見据え、怒りと苦しみをぶつけるように続ける。
「なんで、いつもそうやって私を追い詰めるの?なんでまた……傷つけるのよ……」
香奈の呼吸が荒くなり、涙が頬を伝い落ちる。彼女の心に溜まっていた憤りと悲しみが一気に噴き出したかのようだった。
千秋は言葉を失い、涙を浮かべながら首を振る。
「違う……私は、そんなつもりじゃ……香奈、あの日……あなたが火傷を負った日、わたしは——」
千秋が必死に言いかけたその時、突然、背後から声が響いた。
「草壁さん!」聖夜の声だ。
千秋がその声に反応し振り返る。香奈は信じられないといった表情で聖夜を見つめる。
「……なんで、青空さんが……がここにいるの!?」
香奈の顔が怒りで赤く染まる。彼女は千秋を睨みつけ、叫んだ。
「裏切ったのね!一人で来るって言ったのに、どうして青空さんを呼んだの!?二人で私を侮辱するつもりだったの!」
「違う、違うのよ!私は、聖夜さんには何も伝えてない!あなたを裏切ってなんかいない!」
千秋は必死に弁明するが、香奈の怒りは収まらない。
「もういい……うんざりだよ……もう、全部終わらせよう」
香奈は突然ナイフを取り出し、震える両手で握ると、その刃先を千秋へと向けた。
「私達が始まったこの場所で……あんたを消して、私も死ぬよ……」
そう言うと香奈は涙を流しながら、千秋に向けて駆け出した。
その瞬間——
聖夜が千秋の前に飛び出し、香奈のナイフを受け止めた。
ナイフは聖夜の腹部に刺さり、彼はその場にガクリと膝を落とした。
「聖夜さん!」
千秋の絶叫が、静かな公園の木々の中へ響き渡った。
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