4-8 マリウス・エベール(3)

「聞いておきたいことがいくつかある。君の望みは何?君を蔑ろにしてきた夫に復讐がしたいの?それとも、君を苦しめた女を酷い目にあわせたいの?」


 エベール侯爵は笑顔のまま尋ねてきたが、私はこの人の変化に、ついていけなくなりそうだった。


 さっきまで、凍ったように冷たい表情をしていたのに、表情は急に色がついたようになって、声も単調ではなくなっている。


 だが、それは今までの彼を思えばのことで感情豊かな、とは言い難い。それでも、彼が愉快でたまらず、浮かれているのが全身から滲み出ているような気がした。


「……そんなことは望んでいません。夫にはふさわしい女性を妻に迎えて欲しいだけですし、リュリーへの罰は済ませました」


 彼はつまらなそうに唇を曲げた。


「あの女の今後の生活も保証するとパリスが言っていた。それのどこが罰になるのかわからない」


 彼が面白いと言ったのは、ファルネティ伯爵やリュリーに何かしら恨みを抱いていて、復讐する機会を狙っていたから?


 いや、そんな機会はいくらでもあった。


 ファルネティ伯爵は、彼の忠告を素直に聞くほど信頼している。目の前で屋敷の帳簿を開き、カルロの報告を一緒に聞かせるぐらい。

自分を信頼している人を陥れるのは簡単なことだ。


 リュリーは庶民だ。貴族であるエベール侯爵が権力を使えばどうにだってできる。


 それとも復讐ではなく、ただ単に人を攻撃して痛めつけたいだけなのだろうか?


 あまり考えたくはないけれど、彼ならあり得そうな気がした。


「リュリーは平民と結婚させます。彼女は自分の出自に劣等感を抱いていて、婚姻で貴族になることが望みでしたから」


 彼は眉間に皺を寄せ、渋い顔をした。


「それがあの女への罰になるとでも思っているの?」


「ええ、そうです」


「甘い」


 彼は渋い顔をしたままぴしゃりと言った。


「昨夜も言ったが、中途半端に痛めつけても、ああいう輩は反省などしないし、余計に君らへの恨みを募らせるだけだ」


「では、どうするのが最善だと思われますか?」


「主を蔑ろにして、横領の罪まで犯したのだから相応の罰を与えた方がいい」


「監獄に収監させるか、流刑でしょうか」


「永遠に黙らせる」


 エベール侯爵が物騒なことを冷酷に言いきったので、内心ため息をついた。この人は危険だ。接し方を誤れば火傷ではすまない。私は背筋を伸ばして、座っている彼を見据える。


「エベール侯爵にお願いしたいのは、最初に申し上げた通り、この手紙を、ジェラール公爵に悟られず叔父へ届けるのを手伝っていただきたいだけです。


 ファルネティ伯爵やリュリーへの復讐は望んでいません。


 確かにリュリーの行いには私も不利益を被りましたが、彼女に女主人の仕事を何もかも任せ、増長させたのは私が原因なのですから。


 頼み事をする立場でこんなことを言うのは心苦しいのですが、もし、あなたが他人を攻撃する機会を得たのを面白いと感じて、私に協力する気になったのなら、お力を貸して頂かなくても結構です」


「別にそんなこと『だけ』を面白いと思ったことはない。君の望まないことはしないよ」


「だけ?」


「言い間違いだ。そんなことを面白いと思ったことはない。

 ただ、覚えておいて欲しい。人の感情で何よりも警戒するべきものは、恨みと嫉妬だ」


 まだ二十代と若いはずなのに説教くさいことを言う人だなと思った。


「ところで、どうやってここにきた?ファルネティ家の馬車はなかった」


「私が今ここにいることを知る使用人はいないはずです。侍女と従僕を連れずに屋敷を出ました。

 紋章のない馬車でサングリエ街の飲食店まで向かい、御者が離れてから、辻馬車を店の裏に呼んでもらってここまで来たので、御者はまだ私が食事中だと思っているはずです」


「それならジェラール公爵はここに君が訪れていることを知らないはずだ」


 彼は楽しそうにそう言ったが、私は彼に確認したいことがあった。


「何故、私に協力してもいいと思われたのですか?」


 彼の真意が知りたかった。彼は何が面白いのか、息を漏らして笑った。


「慎重だね。私が信用出来ない?」


「残酷なことを仰るので怖くなりました」


「怖がらせたのなら謝るよ。理由は二つある。一つ目は君がジェラール公爵を警戒して間諜の存在に気付いたこと。


 公爵はアレス皇子殿下を快く思っていない。そんな彼に我々の『陣地』で好き勝手されるのは、まぁ……面白くはないしね。


 二つ目は君がこの件でパリスを頼らなかったこと。この二つ目が一番の理由かな」


「一つ目はともかく、二つ目の理由が、よくわかりません」


「パリスは貴族として模範的な男だ。妻を裏切りはしたが、地位の上下を理解しているし、自分の立場だって分かっている。自身が属する派閥を裏切るような真似はしないだろう。


 だが、ジェラール公爵とやりあうだけの器は持ち合わせていない。現に屋敷にいる間諜にも気付かなかった。


 もし、君がパリスに相談したのなら、彼は形振り構わず行動しただろうね。様々な目に自分達が晒されていることも知らずに。


 理由はどうあれ、君がジェラール公爵に利用されるのをよしとせず、私を頼るなら、パリスに相談しなかったことは、ある意味、正しい行動だったんだよ」


 不穏な言葉がいくつか聞こえたが、まだ彼の言っていることが理解できず首を傾げた。


「いずれジェラール公爵がパリスか君を脅し、君らが彼の手中に落ちるのは分かっていたことだから」


 弧を描いた唇から紡ぎだされた言葉に、思わず息を飲んだ。


「ファルネティ家にジェラール公爵の間諜がいることも、私が公爵に脅されることも、あなたはご存知だったんですか?」


「そう、知っていた。気付かないふりをして、君らを利用するつもりだった。


 パリスや君に操作した情報を掴ませて、ジェラール公爵を撹乱しようと考えていたんだ。


 でも、私の予測よりもだいぶ早く彼は動いた。昨夜、ジェラール公爵が君に接触するとは思っていなかったし、まさか君が私を頼ってくるとは予想していなかったよ」


「なんで、あなたはそんなことまで……」


 エベール侯爵の言ったことを必死に整理し、未来での彼の行動を考えて、導き出した答えに、自分の浅はかさを痛感して頭を抱えたくなった。


 ――目覚めた時に、遅くとも、エベール侯爵がファルネティ伯爵からグンデルを購入したと聞いたときに、私はアデライードの障害となった男たちについて、よく考えるべきだったのだ。


 そもそも、第四皇子の側近、腹心として、エベール侯爵が担っていた役目がなんだったのか。


 『物語』には詳しく書かれていなかったが、よく考えれば分かることなのに、私はそれを見落としていた。


 『物語』で私がリュリーに毒殺されて、アデライードが容疑者として捕まった時、無実を証明するのに何よりも役に立ったのは、エベール侯爵が調べた情報――魔術師から毒をリュリーが購入したこと、リュリーに騙されたファルネティ家の使用人が、アデライードの私物に犯行で使われた毒を忍ばせたことを突き止めたのは彼だった。


 それに、彼が中心となって企てた皇帝陛下と第四皇子の弑逆の陰謀。


 結果的には失敗したが、その謀は、皇帝陛下や第四皇子に恨みを抱く貴族や皇族たちと結託し、少なくはない人数を巻き込んで起こった反乱だった。にも関わらず、事が起きるまで悟られることはなかった。アデライードが異変に気付かなければ、陰謀は成功して彼の望み通りになっていたかもしれない。


 ただ、これは少し不自然なことだと、私は思っていた。


 いくら腹心のエベール侯爵が首謀者だったとしても、注視していれば第四皇子か、その派閥に属していた貴族は誰かしらその陰謀に気付いたのではないかと。


 第四皇子はおおらかな人ではあったけれど、陰謀渦巻く皇宮で育ったせいか用心深かったし、感情に流されて物事の判断を誤る人ではなかったから。


 時に感情的になって行動を先走りそうになるアデライードを、冷静に止めていた。自身の危機に気付かないほど楽観的ではなかったのだ。

 

 ――でも、いくら用心深い第四皇子でも、自身の耳に入れる情報を集めている側近が、裏切っていたとしたら?


 エベール侯爵はエンドルフの有力者達の動向に異常なほど精通していた。主である第四皇子が呆れるほど、いつも様々なことを事細かに調べあげ、抜かりがなかった。


 彼が有能で人心掌握の手管に優れていたのもあるかもしれないが、情報を集め総括し管理することは一朝一夕でできることではない。


 彼は第四皇子の側近として、情報収集、つまりは諜報活動を主に担っていたのではないだろうか。


 それなら、アデライードを陥れた真犯人であるリュリーを調べて、アデライードの潔白を証明する証拠を手に入れることも、陰謀の際、同じ派閥の貴族を、そして主を欺くことも容易だろう。


 そして、そんな役目を担う彼が、ジェラール公爵の動向ばかりか、ファルネティ家に公爵の間諜がいることまでも知っているということは、きっと彼も公爵と同じことをしているに違いないのだ。



 今、ファルネティ家には、エベール侯爵と内通している者がいる。



「あなたもジェラール公爵のようにファルネティ家に間諜を忍ばせているんですね」


 彼は唇の両端を更に上げただけで、否定はしなかった。この沈黙は肯定だ。

ファルネティ家にはジェラール公爵だけでなくエベール侯爵の手の者もいる。


 私は、アデライードに害を与える男たち二人に、ずっと監視されていたのだ。


 もし、私が毒殺されなかったとしても、私は彼らに利用されて、アデライードや第四皇子を陥れる手伝いをしていたかもしれない。


 『物語』に、全ての出来事が書かれていないことは分かってはいたが、それを嫌というほど痛感した。私が把握できているのは、表面上のことだけだ。


 まるで、亀裂の入った薄氷の上を歩いているような気分になる。もし、判断を間違えて足場を失えば、落ちるのは冷たい水の中ではなく、様々な欲望が蠢く暗い奈落だ。落ちたら最後、絡め取られて、二度と元の場所には戻れないだろう。


 私が生き残る選択をしたことで、未来は変わりつつある。落ちるのは私だけではなく、アデライードを道連れにしてしまうかもしれない。


 だからこそ、落ちる訳にはいかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る