第26話 狂人VS凶人────そして、決着

 華怜(かれん)の義肢は、工業用ウェアボットのノウハウを元に完成されたものだ。振り抜いた拳はコンクリート塊を打ち砕き、蹴り上げた爪先は鉄板をも引き裂くだろう。


 では、華怜の手にした力は、どれだけ「赤ずきん」に迫れるのか?


 横っ面にストレートを一発。無防備な腹部にローキックを一発。さらに渾身の膝蹴りまで叩き込んで尚、彼女の息の根を止めること叶わなかった。


 少なかずのダメージはあるはずだ。ただ、幻想人特有の再生能力で、壊した箇所から傷を治されているのだろう。


(だけど、かぐや姫みたく異能で再生能力が上振れているわけじゃないッ!)


 では心臓や脳、肺や肝臓といった生存に欠かせぬ臓器を壊すか? 


 それとも、ピーターパンを殺そうとした時の様に、マウントポジションを取った上で完封してやるか?


 思考を定めた華怜が、その義手で掴んだのはベッドの梁だった。


「一撃で潰してやるッ!」


 医療用ベッドの重量は凡そ一〇〇キロを超える。それだけの質量にぶつければ、流石の幻想人と言えどタダでは済まないはずだ。


 恐るべきはそれを軽々と持ち上げる義腕の出力。赤ずきんからも「わぁお!」と感嘆の声が漏れた。


 だが、彼女も黙って潰されるつもりはないらしい。狭い病室内で長身のマスケット銃は邪魔になると判断したのだろう。愛銃を手放した代わりに握りしめたのは、被っていたケープだ。


「悪くないね! だけど、ふふっ……それじゃあ、凡策止まりかな?」


 真っ赤な布が、彼女の異能によって曲線を帯びた刃へと作り変えられる。


 妖しく煌めいたそれは、緋色をした狩猟刀だった。


「獲物の解体は慣れているけれど、ベッドの解体は初めてね」


 彼女はコンマ数秒の間に、何度狩猟刀を振るったのだろうか。迫るベッドは数多の斬撃によって刻まれ、細切れにされてしまう。


 あの狩猟刀の切れ味があれば、ガードした義肢ごと華怜の首を跳ねることも容易であろう。


 だが、それで何の問題もなかった。ベッドを投擲したことによって、ほんの一瞬でも彼女の意識を自分から逸らせたのだから。


「ッッ!!」


 切り刻まれたベッドの陰。そこから、赤ずきんの懐に飛び込むよう、華怜が飛び出した。「一撃で潰してやる」と啖呵を切ったのはブラフだ。


 本命の一撃は、寧ろここから────


「捕まえたッ!」


 ベッドの次に義手が掴んだのは、赤ずきんの襟元。大上(おおがみ)華怜が警察官ならば逮捕術訓練で習った通り、一度彼女を引きずり倒し、拘束を試みるのが正解なのだろう。


 だが、それはもう捨てたのだ。


「流石の貴方でも、空を飛ぶのは始めてよね?」


 華怜は左の義足で、踏ん張りを効かす。そして、力任せに赤ずきんの小さな身体を上方向に投げ飛ばした。


 一〇〇キロを超える重量さえ軽々持ち上げる機械腕が、本気で赤ずきんを放り投げたなら。ベクトル作用が、彼女が勢いよく天井に叩きつけるだけでは飽き足らず、その身体を天井と床で数度バウンドさせる。


「かはっ……⁉」


 どうせ今ので生じた骨折や頭蓋の陥没も、数秒足らずで再生されてしまう。だが、脳震盪のような意識障害までは、いくら傷の治りが早かろうとカバーしきれない。


 三半規管にもダメージが入ったのか、立ちあがろうとする赤ずきんの手足には震えも見られた。手にした狩猟刀だって、元の布切れに戻っている。


 華怜の五感の全てが告げてくれた。今がチャンスだと。


「今なら、やれるッ!!」


「そうかもね……けど残念。獲物さん、貴女は罠に掛かったの。狩人の意地悪な罠にね」


 満身創痍の赤ずきんから、「ふふっ」と笑いが漏れた。そして、笑い声と連動するかのように、無数の何かが華怜の背中を貫いた。


「ぐッッ!!」


 痛覚を遮断しているが故に、苦痛はない。それでも病室の壁面から伸びるそれらは、華怜の筋骨を貫通する。


 さらに、そのうちの何本かが、機械に換装していない臓器を貫いたのだろう。


 壊れてはいけないところが壊れたと、直感する。


「……これはプラスチック?」


 そう、華怜を串刺しにしたのは、針状をした無数のプラスチック達だった。


 先端が鋭利に研ぎ澄まされてこそいるが、その色は赤色から掛け離れた乳白色である。


「実は赤いもの以外も操れたり」


「……それは嘘でしょ」


「あら、ご明察」


 華怜はプラスチック達が伸びてきた方に目を遣った。そこに灯っていたのは赤い光。部屋を暗くした際、スイッチの位置を知らせてくれる表示灯の光だ。


 あの表示灯周辺のスイッチカバーは仄か紅く彩れているのだから、確かに彼女の異能発動条件は満たせるのだろう。スイッチカバーを形成するプラスチックに「任意のタイミングで鋭く伸びろ」と命じておけば、今みたいな操作も理屈の上では可能だった。


 ただ、恐るべきは赤ずきんのセンスだ。


 表示灯の光によって一時的に赤くなったプラスチックを制御下における異能練度もそうだが、何より警戒すべきは彼女の着目点。あんな点のような紅い光を見ただけで、ここまでの策略に思いつけるのは天性のセンスとしか言いようがない。


「あら、血が流れてるわよ」


 伝う鮮血が、プラスチックを再び赤く染め上げる。無論、そんな好機を彼女が見逃してくれるわけもなく。


 赤ずきんがパチンと指を弾けば、華怜は小規模な爆発で吹っ飛ぶことになった。爆風による裂傷と火傷、そして壁に叩きつけられた衝撃がまとめて華怜を襲う。


「クスクス。文字通り、形成逆転ね」


 ダメージを回復したであろう赤ずきんが、床に転がったマスケット銃を回収する。


 ────そして、ぽっかり開いた銃口を華怜の胸元へと押し付けた。


 ◇◇◇


 これだけの乱闘騒ぎに誰も駆け付けて来ないのは、予め赤ずきんが凶刃を振るっていたからだろう。


 見張の警官たちは当然、院内の医師や患者でさえ、音もなく彼女の犠牲になったのだと今更ながら気付かされた。


「ッッ……」


 華怜は歯の奥を噛み締めるも、これで二人の邪魔をする者は誰もいない。


 押し付けられた銃身を介して身を貫いたのは、隠しきれていない殺意だった。


「クスクス。クスクス。クスクス。どうしたの、獲物のお姉さん? そのザマじゃ、まるで負け犬……いや、貴女の場合は負け狼か」


 彼女が、心臓のある左胸から僅かに狙いをずらして、引き金を引いた。


 皮膚が焼き焦げるような感触と、硝煙の匂い。そして華怜は機械油の混ざった血液を吐き戻す。


「がぁぁっっっ!!」


「ふふっ、うふふ。これで死なないってことは、やっぱり身体の内側まで機械化しているのね。けど、普通もっと痛がるものじゃない? 自分の身体に穴が空いちゃったんだから」


 痛覚神経は遮断されている。それでも呼吸をするたびに、肺の穴から空気が抜けていく感触は奇妙なものがあった。息を吸い込めば、胸元から溢れ出た血液が、ブクブクと不愉快な泡を立てるのだ。


「悲鳴が上がらないのはちょっとつまらないわね……だけど、どうしたものかしら?」


 華恋の血液を掬い上げ、赤ずきんは少し逡巡するような素振りを見せた。狩猟刀、マチェットナイフ、ハンマー、皮剥用のペンチ。思いついた凶器を次々作り替えながらも、彼女は思い悩んでいるのだろう。


 大上華恋という、自らが仕留めた最大の獲物をどう弄ぶべきか?


 狩猟の楽しみは、単に獲物を追い詰めるだけじゃない。獲物の血肉を味わうことも、剥製にして部屋に飾ることも、狩人にとっては愉悦を覚える過程なのだ。


「やっぱりご両親と同じように、高いところから吊し上げるのが一番かな……いや、待って、やっぱり今のナシ! よく考えたら、私ってば詰めの甘さを指摘されたばっかりだもんね!」


 結局、赤ずきんが選んだのは「無難にマスケット銃で殺す」というものだった。


 今度は銃口の先が、華怜の額へと押し付けられる。


「やっぱり、脳みそも機械化してるのかしら?」


 そんな風に戯けながらも、彼女の高揚はピークに達しつつあるのだろう。


 身体中が小刻みに震え、銀と金の双眸は一層に輝きを増した。


 ────そして、赤ずきんの高揚は、自らが発する信号を介し、レッドフードへと〝伝播〟される。


「ふっ……ようやくかかったわね、狩人気取り」


 華怜が小さく嗤えば、それと示し合わせたかのように、病室へ何かが飛び込んできた。


 コンクリートの壁を突き破り、現れるのは機械仕掛けの狼だ。四本のサブアームを展開し、ブレードを握り締める異形のシルエット。それは紛れもなく〈ウルフパック〉一三号車、この一〇年間で華怜が手に入れたもう一つの力だった。


 途端に、視界が燃えるような赤へと染め上げられる。回転するパトランプが、崩れた病室中を照らし出したのだ。


「クスクスっ……だけど、それはミステイクでしょ」


 赤ずきんは異能を発動させる。対象は「赤く照らされた大上華怜」。完全に自らの〝勝ち〟を確信し、その指先を弾いたのだろう。


 だが、次の瞬間に弾け飛んでいたのは、彼女の首から下だった。


「は……?」


 当然のことが起きたまでだ。


 予め、この状況が出来上がることを知っている人物がいたとすれば。赤く彩れた病室内の個人を対象に、咄嗟に異能を発動させるのも、その人物が一番速いという単純な論理。


 赤ずきんは慢心から、そのコンマ数秒で競り負けたのだ。


「これで決着だね。私の憎らしい片割れ」


 十三号車の天蓋(キャノピー)が開けられて、そこから現れるのは、とっくに指を弾き終えたレッドフードだった。

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