第22話 負け犬たち
怒涛の勢いで華怜(かれん)を押し流すのは、生活排水だ。粘着性を帯びた水質が全身に纏わりつき、肺を押し潰す────
◆◆◆
レッドフードにマンホールを探させて、そこに飛び込んだまではよかったはずだ。
監視カメラも幻想人(フェアリスト)の反応を捉えるスキャナーも設置されていない。実際に多くの幻想人が下水道を通って、逃亡した例だって多くある。
だが、華怜は逃走において素人同然。レッドフードも、こと逃走経路の精査に関しては、ほとんど百千(ももち)に頼り切っていた。
そんな二人が、下水道内の詳細について知るわけもなく。さらに、殆ど満身創痍で身体を動かしていた華怜は足を滑らせ、濁流の流れへ身を落としてしまったのであった。
(ごっぽッッ……!!)
咄嗟に口へ含んだ酸素も底を尽きて、意識が次第に薄らいでいく。何かを捕まろうとしても、止めどない激流がそれを許さなかった。こんな状況では自慢の嗅覚も、機械の義肢も役に立たない。
(ッ……ここまで来て、こんなあっさり終われるわけがないッ……)
警察官という立場を殴り捨て、世話になった対策班の人たちも裏切って。
そういう面倒な枷を取っ払って、ようやく自分が思うままに「正義」を果たせるというのに。
その結末が、こんな呆気ない終わり方で良いわけがなかった。
(そうじゃなきゃ、「フェアじゃない」って、貴女は言うんでしょッ!)
汚水の臭気に混じって、捉えたのは仄かな甘い香り。それと同時に何かが水中でもがく華怜を掬い上げた。
「死なせないよ、カレンちゃんッ! ようやく私たちは〝共犯者〟になれたんだからッ!」
レッドフードだ。
彼女の背から伸びるのは巨大な腕。恐らくは血液を掌型に凝固させたそれが、自分を救ってくれたのだろう。
◆◆◆
「げっほ、げっほ……。ごめん……こんなところで足を滑らしちゃうだなんて。余計な手間をかけちゃったみたい」
「カレンちゃんは真面目すぎるんだよ。こういう時は『ありがとう』と『助かった』だけで十分なのに」
華怜はレッドフードの肩を借りていた。辺りに響くのは、配管を滴る水音と、二人の足音だけだ。
アジト代わりにしていたビルはもう使えない。かぐや姫が倒されたことをきっかけに、赤ずきん率いるコミュニティは、もっと凶悪な刺客を送り込んでくるかもしれない。
おまけに「大上(おおがみ)華怜」の悪名は、これから指名手配犯として全国に広まってしまうはずだ
レッドフードと二人仲良く手配書が張り出されるところを想像してみたが、それは少しも笑えそうになかった。
まさしく、最悪の状況だ。
「これで、またゼロからのスタートだね……せっかく武器も揃えて、いざ決戦って感じだったのに。もう、やってらんないよ、こん畜生ッ!」
「おまけに私たちは揃ってボロボロだから、ゼロどころか、マイナスかもね」
「うへぇ……お巡りさんじゃなくなっても、カレンちゃんが厳しいのは相変わらずか……」
それでも二人が歩みを止めることは許されない。そもそも相反する立場の二人が共犯関係を結んだきっかけだって、すべては赤ずきんの裏を打倒するためなのだ。
華怜は被害者たちの復讐を果たし、自分の信じた正義を貫き通すため。
レッドフードは、自らの片割れに決着を付け、この世界でのアイデンティティを確立するため。
互いの目的は違えど、目指すべきゴールは同じだった。
「けどさ……私から誘っておいて、今さらこんなことを言うのもアレだけど。本当に私なんかの共犯者になって良かったの? 私はレッドフード。君が心の底から憎む幻想人なんだよ」
「なんというか、本当に今さらね。確かに言いたいことの一つや二つあるけれどさ。現に貴女と組んでいたおかげで、凶悪犯である『かぐや姫』を処分できた。『赤ずきん』にだって、あと一歩のところまで迫れた。それに、」
「それに?」
レッドフードの誘いに乗ったことに後悔がないと言えば、嘘になる。
もっと良い選択ができたかもしれなかったのに。その答えを探す努力を怠ったという自覚だってある。
だが、それでも────
「私は貴女と出会うまで、何も知らなかった。幻想人に裏と表があることも。表である貴女たちが、ずっと理不尽に抗っていたことも」
誰にだって幸福に生きる権利がある。それを己の愉悦と快楽の為に踏み躙るような連中は、獣と同じだ。
「私はずっと力が欲しかったの。あの頃の私みたいに、理不尽に苦しめられている人たちを、一人でも多く助けたかったから」
身体の六割以上を機械部品に換装したのだって、それが理由だ。
「だから、私は私なりに案外これで良かったって納得してるの」
「カレンちゃん……」
後半から静かになったレッドフードの方に目を遣れば、彼女は涙をグッと堪えていた。金銀、双色の瞳が潤みきっている。
「ちょっと、レッドフード……まさか、泣いてるの⁉」
「うっ……泣いてないからッ!」
「嘘、その顔は絶対、泣き出す一歩手前でしょ」
「泣いてないったら、泣いてない! 私はカレンちゃんが心を許してくれたぐらいで感動するような、安い女じゃないんだから!」
「何それ?」と思わず吹き出しそうになる。どうやら自分も、随分と彼女に毒されてしまったらしい。
ただ、そんな華怜の耳朶に響いたのは「ガシャン」「ガシャン」という金属音────
〈ウルフパック〉の足音だ。
それに気付いた華怜の行動は早かった。すぐにレッドフードを押し倒し、自らの身体でその上へと覆い被さる。
「チッ……やっぱり、そう簡単に逃がしてくれるわけもないか……」
頭上から聞こえる〈ウルフパック〉の足音が止むことはなかった。きっとマップに登録された下水道内のデータを参照し、二人の逃走経路に当たりを付けたのだろう。
〈ウルフパック〉には幻想人から発せられる通信信号を捉えるためのセンサーが備え付けられている。その精度はお世辞にも高いとは言えないが、今晩は以前のように大雨が降っているわけもない。こんな風にレッドフードに覆い被さったところで、彼女の信号を捕捉されてしまうことは目に見えていた。
「い、いきなり何! まさか私を押し倒して、そういうエッチなことをシたくなっちゃったとか⁉」
「こんな時にふざけないで!」
華怜は気配と息を押し殺す。だが、今の自分たちは揃って満身創痍だ。とてもじゃないが、武装した警察官をいなす手段など持ち合わせていなかった。
無慈悲にも頭上のマンホールが開けられて。降下してきた警察官が自分たちを組み伏せ、手錠を掛ける。────そんな未来のビジョンが、華怜には容易にイメージできた。
(どうする……?)
懐から、残弾僅かな拳銃を抜き、
(どうすればいい……?)
全身の筋肉を硬直させた。
だが、身構える華怜に対し、足音は遠のいていく。まるで「ここには何もいない」と諦めたように、頭上から〈ウルフパック〉の気配が消えたのだ。
「なんで……?」
華怜には意味がわからなかった。
本当に奇跡的な確率で、〈ウルフパック〉のセンサーだけが故障していた?
いいや、ありえない。一号車から十二号車までの整備を担当しているのは、富田(とんだ)重工の勝村健三(かつむらけんぞう)だ。彼は〈ウルフパック〉たちに人一倍の愛情を持って接している。そんなベテランが、致命的な整備ミスを犯すとも思えなかった。
では、そもそもレッドフードから信号が出ていないのではないだろうか? 以前に彼女の反応をセンサーで捉えきれなかったのも、それが本当の原因で。
「ちょっ……何、カレンちゃん⁉ いきなり押し倒してきたと思ったら、今度は人の顔をジロジロ覗き込んで、」
けれど、そんなことがあり得るのだろうか?
幻想人が発する信号の正体は、表と裏の間で交わされる通信のようなもので。それはレッドフードと赤ずきんが生存している限り途切れることも無い。
────そこまで考えた華怜は、不意に一つの可能性へと思い至る。
「ちょっと、待って……レッドフードたちが有する異能は『赤い物を思うがままに操れる力』……いや、だけど、裏の方がレッドフードより高い練度の異能を有していたのなら!」
そこまで考えた華怜から不敵な笑みがこぼれた。
まさか、そんな所に隠れていたなんて。どおりで彼女は十年以上も警察から逃げ仰せることができたわけだ。
「ようやく尻尾を掴んだわよ……あと貴女の喉元に牙を突き立てるだけね、赤ずきんッ!」
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