第11話 邪まなる意志・前編

 金色の陽射しと空宿る海のスカイブルーが美しく、潮騒の楽しげなシュテルンツェルト村。そこにある白い石造りの、メルヒオールの家。天馬の羽を用いて帝都を脱出し、フリスゲスに預かってもらっていたヴィントを引き取るため、グリツィーニエ村に立ち寄った後―――ラインハルトたちが向かった先はここだった。ラインハルトの早過ぎる帰郷、帝国参謀と将軍の出現に、沈着なメルヒオールは珍しく驚愕を見せた。

 しかしアドルフとラインハルト、そしてぽこの、

「こいつらは皇帝の怒りを買い、レーベンスブルネンに軟禁されていたんだ。俺とライニがレーベンスブルネンの実験設備を壊し、実験体の子どもたちを逃がすのにも一役買ってくれた。ヨーゼフの奴はまあ、口が悪いし、オイゲンは無愛想極まりない奴だが、二人ともそう悪い奴じゃない」

「エーデの森ではすっごくやな奴って思ったけど、オイゲンは真面目で結構面白い。……ヨーゼフは結構腹立った。今も思い出したらちょっと腹立つ……」

「ボクもヨーゼフさん、最初は憎ったらしいって思ってました。でも敵意のニオイしなくなりましたし、飴くれました。オイゲンさんはアドルフさんとの掛け合いがじわじわ来ます。顔怖いけど」

 という、訳が分かるような分からないような説明に、何か得心するものがあったらしい。些か緊張した様子のオイゲン、ヨーゼフに、

「大体のことは分かった。私の家に滞在したら良いだろう。ここでの生活に慣れたなら、適当な住まいを探すと良い。シュテルンツェルトには手頃な家がいくらもあるし、ここは漁村だ。屈強な男手、魔術師の助けを必要とする人も大勢いる」

 そういうことになった。


 メルヒオールの家に落ち着くことになったヨーゼフが真っ先に要求したものは、風呂の用意だった。眼帯は外したものの髪が金色のままであり、かつそれに大いなる不満を抱いているアドルフにも、否やがあろう筈はなかった。

「魔封じの枷を右手首に付けられていましたからねえ。髪や体を拭くことは出来ましたが、入浴は出来なかったんですよ。着替えもままならなかったですし」

 潔癖性のヨーゼフは憤懣やるかたない様子でいるが、オイゲンは黙ったままでいる。というより、いけないと思いつつ体を拭くヨーゼフをちらちらと見、悶々とする夜を過ごしたことは断じて言わぬ……墓場まで持ってゆく心算だ。そんなオイゲンを見たラインハルトはいたって無邪気に、

「オイゲン、どうしたんだ?顔と首筋がすごく赤いぞ」

「……いや…」

「律儀だな、貴様は」

 アドルフが生真面目に言う。オイゲンは何かを言いたそうな素振りを見せたが、何と言って良いか分からなかったので何も言わなかった。アドルフに促されるまま、風呂の支度を手伝っている。

 律儀と言えば、ヨーゼフもそれなりに律儀であるらしい。新しいシャツ、ダークブラウンのズボン、ネイビーのエプロンというくだけた服装を、それでもどこか瀟洒に着こなしながら、

「お風呂を使わせていただきましたからねえ。お礼に昼食を作ります。台所の烏賊や海老、使って良いですね?」

「それは有り難い」

 昼食の支度にあてる時間を書斎での書き物に使えることになり、メルヒオールはなかなか満足そうである。ヨーゼフの料理の腕前を知るオイゲン、髪色を茶褐色に戻したアドルフ、棲家と食事にありつくことになったぽこも同様だった。

 だがたった一人満足していないのは――風呂場で髪を金色に戻したにも関わらず――ラインハルトで、

「ヨーゼフが毒とか入れないか、ここで見張ってるっ!」

 ヨーゼフの傍らにスツールを持ち込み、そこに陣取った。アドルフは呆れた口ぶりで、

「ヨーゼフがそんなせこいことをしても、何にもならんだろう。ともあれ俺は腹が減ってるんだ、ヨーゼフ、さっさと支度をしてくれ」

「見張ってるっ!」

「わたしもよくよく嫌われたもんですねえ」

 ヨーゼフは苦笑し、鍋やフライパン、食材をワークトップに並べ始めた。

「ここは海が近いから、魚介類が素晴らしいですね。海鮮トマトスープを作りますよ。それと烏賊と玉ねぎのカレー粉炒め、グリルソーセージ……」

 誰にともなく話しながらも、ヨーゼフは存外楽しそうである。玉ねぎをみじん切りにしたり、鍋に油を熱して大蒜を炒めたりする様子も、なかなかどうして手際が良い。ラインハルトはいつの間にかスツールを下り、今度はヨーゼフの隣に陣取り始めた。

「……なんです?」

「……なんかちょっと良い匂いがする…」

「大蒜とオリーブオイルですね。これで魚介の臭みが消えるんです」

 気軽く応じたヨーゼフに、ラインハルトは真剣そのものといった様子で、

「違う。なんか香料みたいな……」

「ああ、カレー粉ですよ。烏賊の炒めものに使いますが、グリルソーセージにかけるのも美味しいんです。わたしはここより寒冷な地方の出なので、料理の味付けが濃いかも知れません。嫌ならカレー粉は止めにしますか?」

「止めなくて良い。烏賊捌くのも見てて面白い……」

「貴様は変なところで素直じゃないな、ライニ」

 アドルフは些か呆れたようでもあり、また些か楽しげでもある。ヨーゼフの料理の腕前もさることながら、その自然な態度に惹かれてゆくラインハルトの姿が面白いらしい。

 それはそれで結構なことなのだが、居間では別の騒動が出来(しゅったい)しようとしていた。

 風呂を使い終え、小ざっぱりした白シャツとネイビーのズボンに着替えたオイゲンは、落ち着かない様子でソファーに座っていた。ヨーゼフと離れて慣れない場所にいることに、居心地の悪さを感じているらしい。一方、五分も経たぬうちにメルヒオールの家を我が家と心得るようになったぽこは、居間のキャビネットや本棚、出窓に置かれている本を物色していた。ややあって数冊の本を抱えながらオイゲンに歩み寄り、

「オイゲンさーん、本読んでくださいよう!」

「分かった。これか?……『巨乳美女剣士、ブラチラ特集〜股間がズッキューン編〜』。……ぽこ、貴方はまだ子どもだと思うが、子どもというのはこうした本を読むのか」

 オイゲンはオイゲンでどこかずれている。ぽこは得意げに胸を反らし、

「ふふふ、アドルフさん秘蔵の大人の絵本ですよ。剣術の本と本の間に挟んであったんです。アドルフさん、見かけによらず巨乳好きみたいですね。こっちが『魅惑の巨乳騎士、鎧ポロリ特集〜股間がバッキューン編〜』で―――」

 顔と首筋を真っ赤にしたアドルフが台所からやって来、ぽこから大人の絵本を取り上げたのはその時だ。

「あー!ボクの巨乳美女がー!」

「いらんことをするなッ、この腕白小犬!!オイゲン、貴様も貴様だ!こんなものを子どもに読み聞かせる奴があるか!」

「こんなものを所有していたのは貴方だろう」

 アドルフの腹いっぱいの怒声に、オイゲンはムッとした表情を浮かべた。しかし直ぐと鹿爪らしい様子で、

「だが子どもにこのような本を読ませるべきではないという、貴方の考えには同感だ。この本は私が責任を持って預かっておく」

「ふざけるなこのムッツリスケベ!」

 大人の絵本をそそくさと抱えたオイゲンに、当たり前だがアドルフは怒声を浴びせた。しかし相手はどこかしらずれているオイゲンなので、

「男は大概スケベだ!そもそも事の発端は、貴方が巨乳好きのスケベだからだろう!」

「巨乳好きは関係ない!」

 居間ではどうでも良い喧嘩が始まっている。ヨーゼフはスープの味見をしながら、

「…ラインハルト」

「うん」

「あんな男になっちゃいけませんよ」

「うん!」


 そんなこんなのやり取りを経て、昼食が始まった。

 魚の切り身や海老、貝がたっぷりと入り、魚介の出汁のきいたトマトスープ。カレー粉のみならず、玉ねぎのみじん切りと大蒜のぴりりとした風味が食欲を刺激する、烏賊の炒めもの。ケチャップソースとカレー粉がふんだんにかけられた、熱々のグリルソーセージ。ハム、コールドタン、ピクルス、スライスしたパン、バター……。

「これは素晴らしいな」

 メルヒオールは素直な感嘆を口にし、料理を堪能している。アドルフとオイゲンは旺盛な食欲を発揮し、無言で烏賊やスープ、ソーセージと取っ組み合っている。料理に大満足の時は無言になるというオイゲンの癖を知るヨーゼフは、アドルフも同じ癖を持つ男だと結論づけたのだろう。満更でもなさそうに、烏賊やハム、ソーセージを取り分けてやっている。ぽこはというと、

「うまっ!うまままま!烏賊うまっ!スープうまっ!これ作った人、なんかもう神!」

 だそうだ。

「………」

 ラインハルトだけがそうした狂騒の渦に巻き込まれることなく、黙々と料理を口に運んでいる。食べ盛りの男の子にしては珍しい、ひょっとして味付けが合わなかったのだろうかと訝ったヨーゼフは、

「味はどうです?ラインハルト」

「まあまあ…。メルヒオールとアドルフの料理の方が美味しい」

「ライニ…」

 ラインハルトがむっとした表情で答える。アドルフは心なしか嬉しそうである。だがラインハルトはむっとした表情のまま、

「でもスープのズッキーニを減らして、烏賊のカレー粉炒めとグリルソーセージをもっと出してくれたら、ヨーゼフの料理の方が美味しくなるかも知れない……」

「………」

 アドルフが自棄になったようにソーセージを噛み千切った。ヨーゼフは微笑し、

「気に入っていただけて良かったですよ。スープにスライスしたパンを浸しても美味しいんです」

「ん…」

「食後の飲み物の支度もしますけど、ラインハルトは何が良いんです?」

「ヨーゼフと同じやつ…」

「貴方にブラックコーヒーはまだ早いです。ミルクと砂糖をたっぷり入れてあげます」

「ボクもそれが良いです!」

 ぽこが大張切りで身を乗り出す。しかしオイゲンは無表情――いや、その左目に当惑の色合いがないこともない――に、

「ぽこ…、貴方の食後の飲み物は分かった。だが貴方は何故、私の皿にピクルスを乗せているのだ」

「オイゲンさんが早く大きくなるようにと思って」

 身長一九一センチのオイゲンに、ぽこの配慮は必要ない。

「しょうもないことをするな、腕白小犬!ちゃんと食え」

「ふえ〜」

 アドルフに叱られたぽこは、不承不承といった様子でピクルスを回収している。だがアドルフとても芯から怒っているわけではないらしく、

「どうしても食えなけりゃ俺が食ってやる。一口で良いから食え」

「それにぽこはこの間、ブロッコリーだって食べられただろ」

 ラインハルトも言う。それなりに和やかな、寛いだ雰囲気の中で、昼食は終わった。

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