第9話 不要な接触
「うーん」
俺は唸っていた。歌は大丈夫だし、ダンスも見せれるレベルには戻ってきていた。しかし...
「作曲がな〜」
一曲は完成しているが、もう一曲は完成していない。別に急いで作り上げる必要はない。なぜならデビューライブで歌う曲はすでに四曲分決めている。
先に二曲は決めていた。それは完成した新曲"どうにもこうにも止められない!"と苦しみを題材にした"深海の底"である。大衆人気が高い"fast color"や"星降るために"はわざと披露しないことにした。
残り二曲は悩み、ドラマやアニメに採用された曲を除外して選ぶことにした。そして愛を題材にした曲"此方から無線"と冤罪を題材にした"シャウト!イノセント"に決めた。
「リフレッシュするか」
俺は家を出て、散歩することにした。ほんの数日前まではお金の消費をできるだけ抑え込んでいたが、オーディションのおかげで楓口暁が話題になった事によって動画の再生回数が伸び、収入を得た。今日ぐらいは外食にしてみるか。
徒歩十分で着く公園にのんびりと向かっていく。雨が降っていたと思える水たまりが道の途中にいくつもあり、特に理由もなく飛び越える。次々と越えていくうちに心は少し軽くなっていた。
公園に着く頃には照りつけるような日差しがさしていた。公園内にも水たまりがあり、そこに日差しがさすことで蒸し暑くなっていた。
「あっつ」
誰にも聞こえぬ声量で呟きながら、公園内を探索する。家を出るまではベンチに座りながらぼんやりと着想を得ようと思っていたが、肝心のベンチの座面は濡れていたので座る気にはなれなかった。
公園の入り口や公園内の道のサイドにウォーキングコースやどこがどのエリアなのか示した看板が設置されている。その看板を見れば、子供の遊具があるエリアや季節の花が植えられているエリアなど、いくつかのエリアに分けられている。ウォーキングコースを辿れば全エリアが通れることを確認し、道なりに進んでいく。
しばらく歩いた後、俺はとあるエリアで足を止めた。そのエリアは発表エリアというらしい。合唱あるいは音楽隊に向けにつくられたであろう側面は開放的で屋根しかなく、段上をぐるりと囲む階段状になった客席の建物やポツンと囲うものが何もない壇上となった石畳。そこに彼女はいた。
イヤホンで音楽を聴きながら合わせたダンスをしている人物がいた。ツバのついた帽子を被り、黒色のサングラスをかけ、鼻から下が見えないようにマスクを装着している。
誰かわからないようにしているようだが、見覚えのある人物であることを見抜く。オーディションの審査員を勤めていた人物である。
pastelに所属している入間えむである。
アイドルグループpastelのメンバーは四人で、元々六人だったが色々あって二人引退した。その時から入間えむは副リーダーを務めている。
入間を何も思わず突っ立ちながら眺めていると、入間と目が合うようにこちらを向いた。俺は仕方なく近付くことにした。
「素晴らしいダンスですね」
不信感をもたれないようにお世辞を伝える。入間は急に話しかけられたことにびっくりしたのか、はたまた不審者から話しかけられたことに警戒したのか、両方の可能性もある。どちらにせよ、入間はこちらの方を注意していた。
「どうも」
入間は返事をするように答える。俺も同じ立場ならそうしていたと共感しながら話す。
「散歩していたら、ダンスしている人がいて、気になったから少し眺めていました。不審感が出ていたなら申し訳ない」
「なるほど…ん?」
「どうかしましたか?」
何か引っかかる様子を見せる。俺はもしやと思い、この場から逃げることを決定する。
「なんか、見覚えあるんだけど。どこかで会っことある?」
「会ったことはないと思いますよ」
そう会ったことはない。だけれども同じ場に居合わせたことはある。
「練習の邪魔になってはいけないので、失礼します」
俺は逃げるように早足で去っていく。ウォーキングコースに戻り、次のエリアに行くまで歩行速度を継続していた。
曲のことなんぞ頭になかった。
「行っちゃった...」
というか、なんで私が練習してるって気付けたの?
「え...」
ぞわりと空気が皮膚を撫でる。私の正体が分かっていたことになる。ファンなら握手を求めてもおかしくはないし、本当に不審者ならどこかに誘拐されても不思議でもない。そういう立場、人気があることは自覚している。
なのになぜ?何もしてこなかったの?
変装をしているのに正体を見抜いてきた恐怖とそれでいて何もしてこない不気味さを味う。
そこで思い出した。さっきの人、オーディションの人じゃん。
あの楓口暁のペンライトで応援していた気狂いな人。一部では楓口暁本人ではないかと言われている。正直、私はどっちでもいいと思っている。本人ならなんでいるの?とはなるけど、本人なわけないと思っておいた方がいい。私自身の中で楓口暁復帰なんていう希望が芽生えてほしくない。芽生えてしまったら嫉妬してしまう。私とコラボしてほしいって。二年前に生じた気持ちを楓口暁が引退した時に封印したのに。
一度、近くに置いている水が入った水筒を手に取り、口に注ぎ込む。その後新曲に向けて練習を再開し始めた。
ーーーーーーーーーー
入間 えむ
本名は現在は不明。
審査員をしていたが審査員として本編では一言も発していない可哀想なキャラ。
pastelのリーダー
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